Reset

ホテルの一室に戻り、私は深々と息をついた。
今日一日で、少なくとも半世紀分ほどの疲れがどっと出た気がする。
テレビをつけると、臨時ニュースのテロップが流れていた。
何の気なしに文字を追い、息を飲んだ。
私的な訪問を理由に非公式に来日していた、某国の政治家が交通事故に遭ったというのだ。
某国。今まさに、相手せんとするわが祖国の。
要人は無事だったが、乗っていた運転手や通訳が命を落とした。
おそらく、命を落とした彼らはただの使用人ではない。私が過去にいた機関の者だろう。
場所は、このホテルのすぐ近く。
私の安全は、保障されてはいないのだ。


電話のベルが鳴る。
ベル音に気づかない男。

部屋の窓がさっと開き、風が吹き込んでくる。
死ぬほど驚いて飛び上がれば、窓から現れたのは昼間の少年。
にこにこしながら電話をとって、何事か話してがしゃんと切った。
「何事だ!」
我が耳には聞こえない言葉を叫び、荒々しくつかみかかる。
胸ぐらをつかみ上げる私に、彼は小さな銃口を向けた。

テレビつけた? ニュースになっていると思うけれど。

冷たい目をして彼の片手が言う。
あご下に押し当てられた、かすかに温みの残る銃口。
はっと思い当たるまでもなく、部屋のドアが静かに開いた。
滑り込むように、ホテルの従業員風の服装の男女が入ってくる。
少年が素早く銃を引っ込める。
助かったかと胸をなでおろした瞬間。
従業員どもが一斉に我々を取り囲んだ。
恐怖。
助けと思った者が敵だったとは。
そのとき、引きつった神経にかすかに届く程度の軽い振動が立て続けに感じられた。
次の瞬間。
あっという間に、襲い掛かってきた全員がぶっ倒れた。
目を押さえる者も口をかっと開けた者もいる。
しばらく痙攣していたが、ほどなく動かなくなった。
とても致死力がある弾丸には見えないが、何か仕掛けでもしてあるのだろうか。
二人ほど、息がある。
この辺は『昔取った杵柄』とやらか、意外と冷静に判断できた。
少年の手元を見れば、いつのまにか両手に同じ小型拳銃を握っている。
彼は倒れた人間達に近寄っていった。
どうするのかと見ていれば、生きている連中の耳元に何かささやいている。
近づいてきた少年の腕を無言でつかむ。
少年は自信ありげな笑みでこう伝えてきた。

こっちには、お・れ・さ・まがいる、と伝えた。
生きてれば『上』にも伝わるでしょ。
真っ向勝負、挑んでもらおうじゃない?

馬鹿か、この子は。
私は開いた口がふさがらなかった。
やっと思い出し、さっきの電話はなんだったのか、尋ねてみる。

『上』の人からだったよ、おれに手を引けだってさ。
いや……。

少年は得意げに訂正する。

どうか手を引いていただきたい、だってさ。
報酬はいくらなのか、こちらはその五倍だそう、なんて言ってー。
「やーだね」って言ったら、望みの額を出してもいい、だって。

パチン、とウインク。

もちろん断ったけどぉ♪

人好きのする顔で笑う。
報酬云々は、いくらなんでもホラ話だと思うが……。
あながち、まったくの嘘ではなさそうだった。
まじまじと、目の前の少年を見直す。
今の私には知りようのないことだが、おそらく業界では有名な腕利きなのだろう。
あんな威力のない銃で、七人もの人間を打ち倒してしまったのだから。
見ればわかるが、うち五人は完全に人体の急所を撃ち抜かれている。
息のあるうち一人の女は胸に一発。
まともに声は出せなくなるものの、命には別状のない辺りをきれいに射抜いている。
誠に見事な腕前だ。
残りのうち、一人は股間に。
白目をむいて気絶している。こちらは男だから、悶絶するのも無理はない。
プロテクター越しの弾丸は、男性の大事な部分に…かなり強い衝撃を与えたはず。
さぞかし効いたことだろう。
ご愁傷様だ。同じ男としてこっちまで痛い気がしてくる。
こんな異常事態を普通に見ていられる自分に呆れてしまった。
同時に、あきらめがついた。
やはり私は、完璧にまともな世界の住民になれたわけではない。
そう。
これは宿命だ。
私は私自身。消し去ることは出来ない。
完全な新品の、まったく別物の私を手に入れることなど出来ないのだと。
ふわりと硝煙の香がする。
部屋の中、少年がゆっくりと振り返る。
どうするの?
視線で問い掛けてくる。

是非もなし。

『母国語』の手話で答えてやった。
少年はにっこり。
いったい何ヶ国語(手話も含めて)が理解できるのか。聡明な少年だ。

ありがと、先生。

少年がはきはきと手を動かす。

知ってることを、世界の皆に知らせてくれるだけでいいんだ。
そしたら、きっと他のヒトたちも話しやすくなるでしょ。
いい本書いてね。期待してる。

私は、死体を眺めつつ、苦笑する。

それが一番、相手にとって避けたいことだ。私は命を狙われるよ。

少年は、自信ありげに胸を叩いた。

へーきへーき。
このおれが守ってあげるんだから。

ほどなく、清掃員の格好をした老人がやってきて、我々二人を追い出した。
廊下で過ごす時間は、ことのほか落ち着かない。
ものの五分で、老人は死体と息のある二人をきれいに片づけて行った。
部屋の掃除まで完ぺきだ。血のしみ一つ見当たらぬ仕事振り。
部屋に戻った少年は、手馴れた様子で盗聴・盗撮用の機械を探し出した。
見つけたのは三つ。
まだある!
私はなぜか得意な気持ちになって、
もう一つ、カーテンレールの影から直径5ミリほどのカメラを取り外してやった。
ありゃ、といった風に頭をかく少年。
こういった点では私の方が一日の長ありだ。なにせ、元は仕掛ける側だったのだから。

しっかりしてくれよ。ちゃんと守ってくれなきゃあ。

いたずらめいた気持ちでからかうと、少年はにやりと笑った。

その調子。余裕出てきたじゃん。

親指を立ててGoodのポーズ。入ってきた窓から半身を乗り出し、くるりと振り向く。
私も同じポーズ。まあ、ここはノッてあげようと思った。
少年が立ち去った誰もいない部屋は、がらんとして心細い。
明かりを消して、深呼吸を一つ。
無音、無明の闇の中、私は目を閉じた。
もう一度やり直そう。
一か八か、大きな賭け。
機械の再起動音をイメージの中に聞きながら、深々とベッドに腰をおろした。
まっさらの新品と取り替えるのは、あきらめた。
しかし、やり直しはできる。
スタートまで戻って、もう一度歩きなおすことならばできる。
何度でもできる。
できるはずだ。
この気持ちは、あの日、祖国を捨てる覚悟を決めたときと同じ感覚だ。
暗闇の中に少年の顔が浮かぶ。自信家らしい力強い瞳。
鳴り響け、邪魔者を消す銃声。
リセットボタン。
歯車の狂った展開を消し去り、もう一度新しい展開を立ち上げ直せ。
新品ではなく、確固たる過去を持つ再起動である。
人生という名の作品を書き上げるために。


音もなく。
歯車が、回り始める気配。リセットされた設定の元、もう一度、最初から。

とある国家の内部を全て暴露するノンフィクションの書物が発行されたのは、
それから約半年後のことである。
軍の密動部隊の存在、今も存在するというスパイ活動の実態、武器開発、
およそ国家が隠し通したかったであろう種々の事柄が克明に描かれた回顧録。
元・亡命者の小説家たる私が記したそれは、空前のベストセラーとなった。
タイトルは、『暴け!』。
暴かれた内容の重大さから、我が身の危険をかえりみずよくぞ書いたと絶賛を受ける。
だが、かの小説家は静かに微笑み、こう答えるのだ。

いいえ、危険など、ちっとも。
私には守り神がついていますから。

強気で小癪な童子神がね。

Fin.

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