Garbage box

校内は、シンと静まり返っていた。
真っ黒い闇と、窓から差し込む街灯や月の薄明かりが僕らを包む。
人に見つからないようにと電気をつけずに進むことにしたのだが。
「真っ暗すぎて楽しいなー♪」
あくまでも楽しげにあいつが言う。
僕はというと、闇と独特の雰囲気のせいですっかり怖気づいていた。
夜の学校はけっこう不気味な空間だ。
「ところでさあ。」
階段を登りながら、あいつが聞いてくる。
「なんで死にたくなった?」
僕は唇をぎゅっと閉じて、一言ももらさなかった。
「なにゆえ?」
あいつが、重ねて尋ねる。
「……。」
何故、と言われても、答える気などなかった。
今でもあのときの理由は誰にも明かしていない。
内緒だ。
秘密。
誰にも教えない。
もちろん、この話を聞いている君にも、ね。
数分後、僕たちは三階のロビーにいた。
ここから一階のロビーまでは吹き抜けになっている。
四階以上は通じていなかった。
今考れば、落下時の危険を考えて三階までにしていたのかもしれない。
吹き抜けの周りは、背の高い柵でぐるりと囲まれていた。
柵の間から、下の方をちらっとのぞく。
広々と口をあけた空間。
意外と高いかな、と思った記憶がある。
僕の身長は特に低いわけではなかったが、高い方でもなかった。
背伸びをしたくらいでは乗り越えられそうもない高さの柵。
つま先で立ち、柵の上にかけた手に力を込めて伸び上がった。
柵の上に顔を出してあらためてのぞいた下の空間は、真っ暗なばかり。
それでも床までの距離はだいたいわかる。
ちら、と。
こんな高さで、人は死ぬだろうか?
そんな疑問…、いや、不安がよぎった。
本当は最上階の窓からでも飛び降りればいい。
その方が、確実に。
この場合は高ければ高いほどいいのだ。普段ならば、わかりきったこと。
でもこの時は、あまり頭が回らなかった。
あいつが連れてきたままに、このロビーに来てしまった。
最初はもっとすごい高層ビルからの飛び降りを予定していたはずだった。
学校についてからだってそうだ。
外でうろうろしていた頃までは、ちゃんと屋上から飛び降りるつもりでいた。
なのに。
いつの間にか隣に来ていたあいつが、柵の向こうをのぞき込んで言う。
「こんなもんじゃ無理だよ、頭からつっこみでもしなきゃー死なないよ?」
むかつく。
「わかってる、うるさいっ!」
いいかげん頭にきて、ちょっと強い言い方になった。
頭から落ちればいいんだ、と。
どういうわけか、当時の僕はあいつの言葉をそのまんま鵜呑みにした。
頭から落ちるとなると、工夫が必要になりそうだ。
鉄棒で言う『前まわり』で柵を乗り越えればいいだろうか。
ためしに腕の力だけで体を持ち上げてみたが、疲れてしまってダメだ。
この方法ではうまく越える自信がない。
前まわり作戦に失敗した僕は、次なる越え方を必死に考えた。
ふとあいつを見ると、ちょうど向こうもこっちを見たところ。
ばっちり目が合ってしまった。気まずい。
「……なんかないの、アイディア。」
あまりにも気まずかったせいで、ついあいつに話しかけてしまった。
あいつは少し考えて、突然思いついたようにぽんと手を叩いた。
「アレは? ほら、海とかでダイビングする人みたいに。」
一瞬何のことだかわからなかったから、僕は「ハッ?」と息だけで聞き返す。
「船のはしっこに座って、頭から落ちるやつ。どぼーん、と。」
身振り手振りであいつが説明を始めた。
何だか楽しそうでムカつくんだけれど……とにかくやり方は理解できる。
そして僕は、しばらーく考えた結果、その案を採用してやることにした。
まず柵の上に座って、そのまま後ろに倒れればいい。
簡単そうだ。
さっそく柵の上に座ろうとしたが、なかなか上手くいかない。
のんきそうに眺めていたあいつにも手伝わせ、何とか柵の上に腰掛けた。
あとは、
このまま、
後ろに倒れれば……
ちらっと振り向くと、暗くて遠い床がかすかに見える。
当時は認めたくなかったけれど。
今はもう認めよう。あのとき、確かに僕は『怖い』と思っていた。
ちょっとバランスを後ろにやって倒れこむ。
たったそれだけのことが怖くてできなかった。
ガキだった僕は、正直、よくわかっていなかったんだ。
はっきりと危険な場所に来るまで、『自殺』することに実感がなかった。
だから、いざ頭から落ちるぞ、となると怖い。
僕は半分涙目になりながら、硬直状態に陥っていた。
そのときだ。
くすくす、笑い声がした。
当時のその場にはあまりにも場違いな、おかしくてたまらない風の笑い声が。
かぁっと頭に血が上った。
「なんだよ!できないと思ってるのか!?」
まだクスクスやっているあいつを怒鳴りつける。
最後は泣き声が混じった。
バランスを崩しかけて悲鳴を上げ、そんな自分が嫌で、また頭に血が上る。
恥ずかしいやら腹が立つやら、悔しくて、怖くて。
「ほんとに…っ、や、るんだ、邪魔すんなよっ!!」
やつあたりぎみに、まだ声変わり前のかん高い声で再び怒鳴りつけた。
次の瞬間。

「イケば?」

蹴り。
邪魔なんかしねーよ、という言葉すらなかった。
思わず「ごふっ」と声が出るほど、手加減の無い一撃。
腹に叩き込まれたのは、確か、見事なフォームのハイキックだったと思う。
蹴落とされたと気がついたのは落下し始めた直後だ。
世界が逆さまになり、ぐるんぐるん回る。

(ぎゃあー!)

声にならない叫び。
喉に声が詰まるというか、ふさがれたように悲鳴も上がらない。
空中にいたのはほんの数秒だったのだろうが、あのときは長く感じたものだ。
ぼすっ!!!!
衝撃と粉っぽい空気が全身を包む。
息ができない。
しばらくもがいた後、やっとげほげほと咳き込めた。
咳をするたび、わずかな空気が肺に届く。
空気と一緒に何かのほこりも入る。また咳き込む。
悪循環で、しばらく咳き込み続けた。
落ちた直後の視界は真っ白。視界というより、頭の中が真っ白か。
それから真っ赤。最後は真っ暗。
たぶん、目をつぶっていたのだろう。赤はきっと、まぶたの裏の色。
どうにか落ち着いた頃、電気がついているのに気がついた。
まぶしい。
視界のほとんどを白い何かが覆っている。
もしゃもしゃと何かをかきわけ、なんとかそこから顔を出した。
いったい何が自分を埋めていたのか。
見れば、それはシュレッダーの紙くずだった。
僕は、細切りの紙くずがいっぱいにつまったゴミ箱に落ちていたのだ。
昼間は職員室にある、大きな大きなゴミ箱だった。
確か放課後には児童玄関のゴミ置き場にあったはず。
それがちょうど落下地点にあるなんて、今考えれば偶然にも程がある。
もっとも、あの頃は不自然だなんて思いもよらなかった。
子どもだったんだなあ、と思う。
いや、今も成人年齢にはなっていないけど。
それはそうと、ゴミ箱に落下した僕は必死に起き上がろうともがいていた。
尻からはまる格好で落ちてしまっていて、どうにも起き上がれない。
どうやら蹴られた勢いで、座った姿勢のまま空中に飛び出したらしいのだ。
今になって考えてみれば。
予定どおり頭から落ちていたら、いくらゴミ箱があっても無事ではない。
そうすると、あの蹴りも彼の計算だったのだろうか。
それに、うまくゴミ箱に蹴り落とすのもなかなか大変な気がするのだが。
今度聞いてみようかな……どうせ彼は答えないだろうけれど……。
少し横道にそれてしまった。
では、話を戻そう。
僕がゴミ箱に落っこちて、なんとか抜け出そうともがいていた所からだったね。
そう、あのときのことだ。
紙くずの中でもしゃもしゃやっていると、階段から人影が寄ってきた。
「いやー、紙が舞いまくって雪みたいでしたがー。」
楽しそうな、いたずらめいた口調。
まだゴミ箱の中にいたせいで顔は見えなかったけれど、あいつだ。
ぴょこぴょこ楽しそうに駆けてくる足音。
ゴミ箱の中の僕を上からひょいとのぞき込む。
「死んでませんにゃあ?」
にやり。
見下ろしてくる顔には、いかにも意地悪そうな笑み。
「…、にゃあっ、て……。」
咳き込んだせいだけではなく涙ぐんで、僕は彼を見上げた。
ゴミ箱にハマった僕を見下ろす姿。
なんて傲慢な悪魔に思えたことだろう。
どがっ、と音がして、また世界がひっくり返った。
あいつがゴミ箱を横に倒したのだ。
あわれな悲鳴をあげた僕の頭の上で、声変わり中のハスキーな笑い声が響く。
やっとの思いでゴミ箱から這い出し、その場に力なく座り込んだ。
地面を見つめる僕の視界に、学校指定の上靴が入ってくる。
薄汚れた蛍光素材の赤いラインがやけにまぶしい。
顔を上げたら、あいつがいた。
手を差し伸べていた。
「……」
「……」
互いに無言のまま、僕はあいつの手を取った。
何の変哲もない普通の手だ。
暖かい、と思った。



むちゃくちゃな子どもだった彼は、今も相変わらずむちゃくちゃまま。
世界中が反発してもどこ吹く風で、自分勝手に生きている。
あの頃嫌いだった馴れ馴れしさにはもう慣れた。
徹底した自己中心的な快楽主義にも、そうとうの諦めがついた。
時々見せるガキっぽさには愛着すら感じる。僕も変わったものだ。
もう、一生そのままでいればいいとさえ思う。
たぶん、彼もまた、いつか『大人』なんてものになってしまうんだろうけれど。
今の僕のことかい?
ゴミ箱から拾われた僕はまだ生きている。
学校には通っていない。
両親とは散々もめたが、結局自分のやりたいことをやりたいようにやることにした。
毎日パソコンに向かっているか、本を読みあさりに図書館や書店に出かけるか。
さもなければ、アルバイト代わりに彼の「仕事」の手伝いをするか。
そのどれか、という生活をしている。
そのうち大検か高卒の資格でも取って、大学には通うつもりだ。
ああ、資格テストや受験のことかい?
僕の実力なら簡単なことだから、心配してくれなくても大丈夫。
今の生活は、ほぼ快適だ。
世間の風当たりは冷たいが、彼と一緒ならこのまま行くのもいいかもしれない。
もし僕がヘマを打ったら、また蹴落として、それから拾ってくれるだろう。
そのかわりもし彼が行き過ぎたことをして地に堕ちる時が来たら。

キャスターつき・業務用、サイズは特大。
中身はシュレッダーのくず。 元の紙なら古新聞で十分だ。
彼の好きなウルトラマリンの青でべたべた塗りまくって、ついでに落書きして。

今度はぜひ、僕が受け止めてあげたい。
ザマアミロと高笑いのオマケをつけた、彼専用のクールなゴミ箱で。

Fin.

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