Background-Music

背後に流れる音楽は、

背景のように、絶えず、決して目立たず、ただ流れ続ける。

ちょうど昼休みに入り、少女は携帯電話の電源を入れていた。
授業中には電源を切るのが彼女の習慣だ。
電源が入ったのとほとんど同時に、着信メロディが鳴った。
発信者は大好きな彼氏。
喜んで電話に出たのに、話の内容はとても残念なものだった。
今日会おうという予定が駄目になったと言うのだ。
がっかり……。
言葉には出さないものの、雰囲気で伝わってしまったのだろう。
彼氏は何度も謝ってきた。ごめん、ゴメンネ、また今度…。
しょんぼりしながら携帯を切った。
ため息をかき消す校内放送は明るいラブソング。
沈む心とは裏腹のBGMに、もう一つ、ため息をこぼした。

とぼとぼ歩く帰り道の、いったいどの時点だったか。
奇妙なことに気がついたのは。
見たことのない男が一人、ずっとついて来ている。
気がついた瞬間、頭の中を最近のニュースが駆け巡った。
通り魔事件とか、ストーカー被害とか、とにかくいろいろ。
まさかと思って目をそらしたけれど、怖くてしょうがない。
駅についても男はいる。
やっと電車がきたと思っても同じ車両に乗ってくる。
車両を変えたらついてきた。しかもニヤニヤと笑いながら。
間違いない、自分をつけまわしているんだ。
確信したとたん、全身の血が凍るような気持ちになった。
男をチラッとうかがってみると、何だか目つきがおかしいみたい。
変な人だ、怖すぎる。
駅に着き、電車を降りても男はついてきた。
泣きそうになりながら助けを求めようと辺りを見回す。
すると、突然、男の姿が消えた。
ほっとするよりも不気味でしょうがない。
とにかく何とかしたくて、少女は携帯電話を取り出した。
頼りがいのある彼氏に迎えに来てもらおうとしたのだ。
しかし。
『電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため…』
残念っ!
なんて言っている場合じゃない。
この時間では、迎えに来れる家族もいないのだ。
おびえながら周りをよく見直すと、やはり男はいなかった。
大丈夫、だろうか。
おそるおそる、家への道を歩き始める。
数分後、彼女は走り出していた。
振り返って見た風景の中に、男の姿を見つけたからだ。
身の危険すら感じた。
もはやあの男は、完璧に『変な人』に認定できる。
全力疾走の後、少女は隠れられそうな場所を発見した。
たまたま通りすがりに見つけたマンションだ。
建物の前にいくつも並ぶ物置は薄っぺらい金属でできている。
とっさにあの中に隠れようと思い立ち、大急ぎで駆け寄った。
早くしなければ、さっきの変な人が来てしまう。
いくつか調べるうちに、鍵がかかっていない扉を見つけた。
後先なんか考えられない。
とにかく飛び込み、内側から扉を押さえた。中は、真っ暗だ。
しばらくして、誰かが近づくのがわかった。
住民かもしれない、しかし、さっきの変な人かもしれない。
乱れる呼気を必死で殺す。
心臓の音が大きい。
止めてやりたい。
この音で見つかってしまうのではないかしら?
かすれる吐息と跳ね上がる心音は、不安を掻き立てるBGM。

一つ、一つ、ガタガタと扉を動かす音がする。
端から確かめるように、順番に物置を開けているのだ。
こんな怪しい行動、住民であるわけがない。
いつくかある鍵がかかった扉も、無理やり開けているらしい。
ガンガンと扉を殴りつけるような音が響いている。
音は、一つずつ、少女の隠れた物置へと近づく。
内側からは鍵がかけられない。
かと言って、扉を押さえていてもきっと開けられてしまうだろう。
見つかったら何をされるかわかったものではない。
少女は賢かった。
扉をそっと離し、物置の奥に移動したのだ。
震えながら、まともに動かない体を必死で励ます。
そして、物置の一番奥の方、物と物の間に体を押し込んだ。
物音を立ててはいけない、でも、急がなくちゃ。
本当に必死だ。
近づく音は、もう隣りの扉に行き着いていた。
隣りは鍵がかかってたから、開くまで少し時間がかかるはず。
息を飲み、どうか見つかりませんようにと祈った。
そのとき。

聞きなれた

着信メロディが……!

いつもなら楽しげな音楽が、今は恐怖のBGMに変わる。
あまりのことに慌てふためき、カバンを落とした。
ガタン!
近くにあったガラクタにぶつかり、けっこう派手な音がする。
息を飲む少女の視界は、涙でゆがんだ。
カバンの中で着信を示す光が、メロディにあわせてまたたく。
涙の中にぼやける光は、青だった。
かっこよくて頼りがいがあって大好きな、彼氏指定の着信色。
まさかこんなときに鳴るなんて。
ひく、とすすりあげながら、少女は運命の残酷さを嘆いた。

……?

何も、起こらない?
外の物音がやんでいる。何があったのかと耳を澄ましたときだ。
「きっ、貴っ様ァ〜!?どっから湧いて出やがったぁっっ!」
聞き慣れない男の声が、興奮しきった調子で叫ぶ。
硬直する少女の耳に飛び込んできたのは、こんな言葉だ。
「Be silent!…Before my babies begin to cry.」
返事をしたのは、聞き慣れた少年の声。
早口の外国語で、意味まではわからなかったけれど。
この声は!
少女はバネのように立ち上がり、物置から飛び出した。
「っ!?っっ!!」
声にならない声。
予想とは違う人物、そして期待通りの人物への反応だ。
最初に目に入ったのは、先ほどからついてきていた変な人だけ。
それはそれは驚いて急停止すると、上から、人が降って来た。
少女の電話を鳴らした人が。
英語らしき言葉で返事をしていた、本人が。
物置の上から飛び降り、少女をかばうように前に立つ。
「ユキッ、無事か!?」
鋭い口調、いつになくシャープな輝きを帯びた瞳。
少女をユキと呼んだ少年は、間違いなく、少女の彼氏だった。
今日は会えないと電話してきたはずなのに、助けに来てくれるとは。
まさに救いの騎士、白馬の王子様参上!といったところか。
思わず見惚れる。
かっこいい…v
なんて言っている場合じゃない、というわけでもない。
気がつくと、変な人はすでにいなかったのだから。
「さっすが逃げ足だけは速ぇー。評判になるだけある、チッ!」
怒りさめやらぬ!といった様子で少年が舌打ちをする。
くるりと振り返り、彼は少女を抱きしめた。
「急にケータイ鳴らしてゴメン。ユキの場所、俺にもわかんなくて。」
すまなそうに言いながら、髪をなでてくれる。
少女は震える体でしっかりと少年に抱きつき、混乱を静めた。
よくわからないが、助かった。助かったんだ。
「うぅ…、怖かったぁ〜っっ」
ほっとしたと同時に泣けてきた。気が抜けてしまったからか。
顔を押しつけた胸から、彼氏の鼓動が聞こえる。
すなおなリズム。
恐怖で乱れた自分の呼吸音に添うように、彼の呼吸が聞こえる。
聞こえるか、聞こえないかの整った音色。
安らかな気持ちになるのは、彼から生まれるBGMのおかげ。
背景を流れる音楽は、こうでなくちゃ。
少女は、こうしていれば安心、と瞳を閉じる。
よしよしと彼女を抱き寄せ、何を思うか険しい表情になる少年。
彼は鮮やかなウルトラマリンブルーのマフラーを少しゆるめた。
それから、アッシュグレイに染め上げた髪をかきあげる。
少年がとっさに英語を使ったのはなぜだろう。
やはり、彼女に理解させたくなかったからだろうか。

『るっせー、黙れ!……俺のベビーたちが泣き出す前にな。』

例の男に言った英語は、こんな内容の言葉だ。
もちろん、二挺を握った両手をポケットから跳ね上がらせて。
最後通告。
黙って立ち去れ、オレ様ご自慢のベビーたちが、鳴き出す前に。

Fin.

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