Schizophrenia

※ caution!! ※
 この先には、暴力表現・残虐表現が含まれています。
 血や大怪我が苦手な方はご注意を!
 また、暴力表現のため、R−15指定になります。
 身体か心の年齢が十五歳以下の方は見ちゃダメ。


その病名を告げられたのは、もう何年も前のことだった。

旧称、「精神分裂症」。今では呼び方が変わり、「統合失調症」という。
前の病名のときはよく多重人格と勘違いされたが、まったくの別物だ。
最初は、人間が苦手になったと思い込んでいた。
できることなら、ひっそり目立たず誰とも会わずに暮らしたい。
そんなことを考え始めて一年ほど経ち、家族の勧めで精神科を受診した。
相手や状況に応じて態度・対応を使い分けることが出来ていない。
身の回りのことひとつとっても行動が遅くなっている。
いつも無感情に近いが、強い感情をコントロールできずにいるときもある。
これが家族が言った私の状況だ。
脳がうまく働かないと言うのだろうか。
いや、かえって働きすぎていると言おうか。
目から入る光と色、耳から入る雑多な音、匂い、触感。
何もかもが洪水のように押し寄せ、処理しきれずにいる状態。
それが医師から説明された自分の状況だった。

今でもよくわからない。自分が病気なのか、それすら。
しかし、私は今も通院中だ。
多量の薬が処方される。
他の人間が飲めば、あっという間に眠るような量の何倍もの薬。
すべて飲んでも眠くなることはない。むしろ気分が落ち着く。
『あなたの場合は、このくらいの量、薬飲んでも大丈夫ですから。
 眠くなることあるかもしれませんけど、そうだったら教えて下さい。』
主治医が言っていた。
こんなことも、この病気の特徴の一つらしい。


その異変は突然起こった。
私の住む街にある、静かで小さな飲食店での出来事だ。
シュッ
かすかな音だったと思う。
何か空気が漏れるような音を聞いた、次の瞬間だった。
私と同じ店内で食事をしていた人間たちが、急にバタバタと倒れたのだ。
アッと叫ぶ間もなく、一人の凶悪な目つきをした男が駆け込んできた。
鼻と口を覆うのはガスマスクのようなもの。
本物を見たことがないので判断はできなかったが、おそらく間違いない。
私は狭い店内の、一番奥の席に一人で座っていた。
目立たない席にいたことが幸いしたのだろう。
乱入してきた怪しい男は私が無事であるのに気づかなかったようだ。
男は、ケタケタと奇妙な声を上げて笑い、一人の少年に近づいていった。
見れば、男の手には刃渡り30cmほどの刃物が握られている。
狙われている少年も、周囲の人々同様にテーブルに突っ伏していた。
目の前で起きている事態に混乱が止まらない。
とにかく、このままではいけない、という気持ちがわいた。
だが、動けない。声も出ない。ふと気づくと膝の上で両手が震えていた。
男が刃物を振り上げた。
そのまま降ろせば、少年の首筋に突き刺さる。
男が刃物を振り下ろす。私は、とっさに目を閉じた。

バキィッッ!!

変な音がした。
おそるおそる、息を飲みながら目を開く。
見えた。
携帯電話に突き刺さり、裏側からわずかに先端をのぞかせている刃物が。
きらり、光る先端。
かろうじて貫いたもののそれ以上は刃が進まないのだろう。
凶刃が少年の喉笛に突き刺さるまで、あと2cmほど。
しっかりと両端をつかまれた携帯電話が、刃を阻んでいた。
いつの間にか仰向けになっていた少年の手につかまれた携帯電話が。
「何ィ!?」
よほど思わぬ事態だったに違いない。
乱入者は硬直し、驚きの声を上げた。
マスク越しだからか、モゴモゴした印象のこもった声に聞こえる。
する、と少年が席を抜け出し、店内を走る。
乱入してきた男は突き刺した携帯電話ごと刃物を投げ捨てた。
少年は素早く立ち回り、店中の窓と扉を開けていく。
先程の怪しい男も、少年を追って狭い店内を駆け回る。
少年は、ひらりひらりと上手いこと男の攻撃をかわしていた。
どうやら男の手には、何か別の凶器が握られているようだ。
私がいた場所には窓も扉もなかった。
だから二人が近づいてくることはなかった。運がよかったのかもしれない。
風が店内を通り抜け、空気が入れ替わった頃だ。
「ぷはー!」
少年は、水から顔を上げた時のように息をした。
どうやら呼吸を止めていたらしい。
「睡眠ガスなんて、幼稚くさーい。ノンノンノン、だね。」
少年はペロッと舌を出して笑う。
「アンタ、しつこいよ。もー、これで何回目?てか、何日目?」
少年のおどけた問い。
乱入者は何かを口走りながら少年に襲いかかった。
何を言っていたかはわからない。
まともな言葉には聞こえなかった。ぐぢゃぐぢゃした雄叫びだ。
「よっ、と。」
少年はひらりと身軽に飛んだ。着地したのは……私の目の前。
私の方を向き、にこっと笑顔。
「おじさん、すっごい。なんで起きてんの?」
セーターの下からわずかに顔を出す、鮮やかな青の服が目に焼きつく。
「これ、もらいまーす。」
彼は私のテーブルから、紙ナプキンの束をつかみとった。
そして。
ぱあっと、視界いっぱい、ひらひらと、白。
辺り一面を白い紙ナプキンが覆いつくす。
少年が宙に舞わせた紙で視界がさえぎられた、一瞬の出来事だ。
「うごぁえっ!?」
くぐもった奇声が聞こえ、イスか何かが倒れる乾いた音がした。

男が、倒れていた。

「そーろーそーろー、オレも本気出しちゃうぞ?
 この前は風邪ひいてやる気ゼロだったけど、今回は元気だし。」
びし、と指さし宣言する少年。
彼の指が示す先では、先程の男がみぞおちの辺りを押さえて倒れている。
苦しげに床を這いずり、うごめく男。
とどめの一撃なのだろうか、少年は……銃、のようなものを握っていた。
手のひらに収まるほどの小さなもので、一瞬おもちゃかと思ったのだが。
男の頭がビクンッと跳ねる。その様子は激しい痙攣と似ている。
発砲の音は聞こえなかった。
そのかわり、周囲でかすかな物音がした。
はっとして見まわすと、店内の人々が目を覚まし始めている。
「すんません、警察呼んでもらえます?」
少年がこちらを向いて言った。
オレのケータイ壊れちゃったんで、と言い添えて。
何が何だかわからないでいる私に、少年はまた微笑みかけた。
警察官らがやってきたのは、通報からまもなくのことだ。
少年はいつの間にかいないわ、男は虫の息だわで一騒ぎだった。
やってきた警察官に事情を聞かれるのは、正直不快だったが……。
とにかく。
すごいものを、見てしまった、らしい。

統合失調症の患者の中には、
健康な人が飲めばあっという間に眠ってしまう量の
何倍もの薬を摂取しても、平気な者もいる。

まさか、こんなことが役に立つとは。
私は少しだけ、今の人生が楽しくなった。

Fin.

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