■ My way,your way

裏通りの夜。 霧が深く立ち込め、時刻はいつの間にか0時になっていた。

古いロックが流れる店内は、着飾った若者が集まってにぎやかだ。 めいっぱいはしゃごうとする夜行性の人々が踊る。 まだまだ、夜はこれから。

「じゃ、そろそろ帰ろうか?」

兄は弟の肩を押す。 優しく。 わざとらしいほど、にこやかに。

「兄貴は?」

頭一つ分ほど下から、見上げる視線で弟が問う。 帰ろうかと言いながら、立ち止まったまま動かない兄が不審だったのだろうか。

兄は無言で笑顔を返す。首は、横に振るけれど。 心底しぶしぶといった様子で、弟がうなずいた。 赤い髪をした弟の頭をなでながら、兄は満ち足りた顔で微笑む。 弟は軽く頭を振り、子供扱いするなとばかりに嫌がって見せた。

もう子供ではない。 だからわかっているはずだ、兄が示した、言葉ではない返事の意味が。 兄の『仕事』はイレイザー(消す者)。 おそらく彼は、今夜、誰かを消しに行くのだろう。

今日の昼間は洗濯屋の長男坊として、せっせとYシャツの染みを消していた。 そして今からイレイザーとして、ターゲットを消しに行く。 兄にとっても、まだまだ、夜はこれから。


兄は好んで弟と歩く。 弟も拒まず兄について行く。 くだらないことをしゃべりながら、のんびりとした散歩だ。 たいていは行き先も決めない。 裏通りに限らず、表通りでさえも一緒に歩く。 自宅でも、兄弟で無駄話をしていることが多い。もちろん両親とも話すけれど。 弟が友だちとつるまないときには、ほとんど兄がくっついていると言ってもいいほどだ。

兄は、つい先日、家に戻った。 これまで彼は、家族にすら接触せず、大切な『仕事』をこなしていたのだ。

最近になって、やっと『仕事』に一段落がついた。 さらに、腕のいい同業者が仲間になったため、ずいぶんと自由な時間が増えていた。 それで実家に帰ってきたわけだ。 思えば、かれこれ二年ほど失踪していたことになる。

まるで長いこと離れていた時間を取り戻すみたいに、二人は一緒に歩いた。 そんな兄弟が、唯一、別の道を帰る夜。 それは、兄が『仕事』を抱えているときだった。


弟の後ろ姿を見送ってから、兄は静かに暗がりへと溶けた。 本当は、同じ道を歩きたいと思わないわけではない。 一緒に歩いて、同じ家に帰りたいと思わないはずはない。

それでも。

物言いたげな弟に、兄は首を横に振る。 彼は『仕事』に出かけなくてはならないのだ。違う道を通り、違う場所へ。 たとえ途中まででも、一緒には歩けない。

そろそろ帰ろうか、兄は優しく肩を押す。 兄貴はどうする、言葉では問いながらも全てを知った表情で弟が言う。 『仕事』の前には、いつも同じようなやりとりがあった。 父も母もイレイザー(消す者)。 見事なまでの裏家業一家の中で、たった一人、闇に染まらなかった弟。 一族の中でただ一人、暗殺者にならなかった存在だ。 愛おしくて、己と同じ色に染めたくなくて、兄はそっと距離を作る。

兄の得意分野は静かな抹消だ。夜の闇を味方につけて、獲物の元まで忍び寄る。

皮の手袋をはめて、ナイフを準備したら。

たった今、兄は名もなきイレイザーへと生まれ変わった。 弟が去った方向をそっと見た瞳の奥にのみ、優しい兄貴の面影を残して。

イレイザーの唇からため息がこぼれ、こんなささやきが聞こえてくる。 誰を愛することもなく生きていけたら、どれほど楽だろうか、と。 大切だからこそ、苦しくて仕方がないのだろう。 越えられない距離を悲しむと同時に、距離が近づくことを案じて苦しむ。 矛盾する感情は、彼が人間である証だ。

「さぁ、帰ろう……」

影に溶けたまま、『仕事』へ向かうイレイザーがつぶやく。 表通りの真ん中に、彼の帰りを待つ仲間がいるのだ。 彼は裏通りを抜け、表通りへと足を進めた。 赤毛の青年はまともな裏通りに、イレイザーは『進化』の炎の中に。

「帰ろう、別々に……」

いつか全てが『進化』を遂げて、彼の『仕事』が終わるまで。

兄弟が、別々に帰る日々は続く。


Fin.

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 Thanks for your request! お題は「さまよい」(c)E.YAZAWAでした。  koraiちゃんに捧げます。

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