■ Bad Blood

ビル街の日陰を抜けると、薄曇りの夕日さえまぶしかった。 俺の仕事始めはいつも正午過ぎ。 数人の客を乗せれば日が暮れる。 片手ハンドルでタバコを灰皿に押しつけると、じりじりとつぶし消す。 それから、すっかりトレードマークになった毛先だけ白金に染めた髪を撫で付け、新しいタバコをくわえた。

相手方の赤信号を確認したら、青信号を待たずに出発進行。 この辺りではこれが常識だ。今日もエンジンは快調。 街道沿いの歩道には、たくさんの人間が歩いていた。 どうやら今夜は忙しくなりそうで、めでたいこった。 いつだって、稼ぎが増えるのはありがたい。

俺が運転する白茶けた車体の上には☆型のライト。 外からよく見える位置には、ただいま『空車』の赤ランプが灯る。 お、そこのあんた。今、こう思っただろ。『タクシーだ』ってな。正解だぜ。

金曜の午後ともなれば、タクシーを使う仕事帰りの客も多い。 これから夜中まで街道を流すつもりだ。 道端の客を拾って送り届け、また道端の客を探す。 それが俺の表通りでの一日。 真夜中がくれば、裏通りに向かう。 そこではもう一つの生活が俺を待っている。

「おっと」

信号が黄色に、そして赤に変わる。 押しボタンの信号を押しやがった奴がいた。 仕方がないんだが、うっとおしいもんだ。 心持ちじれた表情でふうっと煙を吐く。そのとき。


コン、コンコン。


誰かが助手席側の、すなわち、歩道に面した方の窓ガラスを叩いた。

乗ってきたのは若い女だ。 俺の好みではないが、随分整った綺麗な顔をしている。 服装からして、仕事帰りか何かだろうか。

車は夜の道を走り出す。

「ねえ」

突然、客が話し掛けてきた。

「あい?」
「運転手さんて、≪Haeven≫の常連さんでしょ」

一瞬、ぎくりとする。 女が口にしたのは裏通りでも随一のヤバイ店の名だった。 常連なのは確かにそうだが、こんな若い女が、なぜそんな店の名を知っているだろうのか。 そんなところで若い女の姿なんぞ見たこともない。 よっぽど度胸の据わった商売女でもない限り、あの店には顔も向けないだろう。 この客は、見たところ普通の娘さんのようだが。

「アナタのファンなの」

バックミラー越しに、女が歳に似合わぬ艶めいた視線を寄越す。

「このマエー、裏通りのお店に友達みんなと行ってみたのね。 わりと安全なトコ? そこでアナタのこと見た」

ほほう。 女は右手の指輪をいじりながら、なおも続ける。

「その店で、アナタが凄んでるトコ見ちゃってぇ。 も、超かっこよくてぇ」
「マジで?」

問い返す顔がにやける。悪い気はしない。俺も男だ。

「うん♪ だから今日、偶然会えて超ウレシー♪  それでネ、そのときー、友達の男のコがアナタのこと知っててぇ。 ふふっ♪ イロイロ教えてくれちゃった」
「そいつ、俺の知り合い?」
「ううん、アナタが有名人だから知ってただけみたい」

言いながら、身を乗り出し運転席を覗き込んできた。

「ねーえ、運転手さんって、この後ヒマ?」

おいおい。積極的だな、最近の小娘は。

もちろん暇だ、と言いかけて、初めて気づいた。 女から流れてくる違和感。 うっかりしてりゃ気づきようがないほど微かだが……ふん、なるほど。

「お客さん、行き先は?」

笑いを含んだ俺の問いかけ。 バックミラーの中、女がにったりと唇を曲げる。 車は夜の道を抜け、明るい電飾がにぎわう界隈へ向った。 いかにも『素人』の女が好みそうな、おしゃれで清潔感のあるホテルがいいだろう。 普段の俺なら絶対に使わないタイプの場所だが。

俺は一軒の若者向けなラブホを選んで車をとめた。

「料金はどうなる?」

車を降りようとする女に向かい声をかける。 女は一瞬なんのことだかわからないといった表情を見せたが、すぐにあきれた顔で財布を出した。

「ホテル代?」

何、言ってんだ。 こいつあほか?  うんざりした表情をひたすら隠して、タクシー代の方だと告げる。 とたんに笑みになって、いきなり運転席ごと抱きついてきた。 まさか『体で払う』とか言うんじゃないだろうな。

「タクシー代はぁ、ア・タ・シ♪」

………。

駐車場を出るなり、女がうふうふ笑いながら腕を取ってくる。 そのまま、無人フロントを経て部屋へ。 好きな部屋を選ばせたら、一番奥のやつを選んだ。

部屋に入ってすぐ目に飛び込んできたのはシャワー室だ。 シャワーの脱衣所が思いっきりガラスばり。 あくまで明るくおしゃれな雰囲気が保たれているのは、さすがプロの仕事、と思っていいんだろうか。

女はきゃあきゃあ言っている。 恥ずかしいなら見せなきゃいいのに、目の前で脱ぎだすから呆れた。 スーツの上着を落とすと、下からワンピースが顔を出す。

「あん、ジッパー下ろせなぁい。ね、手伝って?」

背中のジッパーを引っかき、女が流し目を送ってくる。 やっぱりな。こいつは『素人』さんじゃねえ。 裏通りの俺をよーく知っている、骨の髄まで裏の女だ。 それも<裏通り>じゃなく、<裏社会>の人間。 素性は悪いが人のいい、裏通りのまともな連中とは似て非なる生き物だ。

危うく、一杯食わされるところだったぜ。しかも毒入りのを。 まあ、いい。 そっちがその気なら、こっちも目一杯キツイ奴をお返しするまでだ。

「下ろすのはいいが、上げるのはごめんだぜ」

近寄りもせずに言う。

「あー、脱がすのだけは慣れてるってやつぅー?  うふふっ、遊び人ー」

やかましい。 てめえの方がよっぽど手慣れてるんだろ?

一夜限りのどうでもいい女の場合、裸になった後しか興味はなし。 だが、気に入った女であればあるほど下ろすも上げるもやたらに手を出したがる。 どこで聞いたか知らないが、いつもの俺の遊びグセなのだ。 気に入られたつもりなのか、バカな女だ。 余裕に満ちまくったエロい微笑がガラスに映った。 イラつくな、ったく……。

「てめえで脱ぎな」

女の方を見もせず、薄いピンク色の壁に言う。 見えないはずの後ろ側で、女の背中が一瞬止まった気がした。


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