■ Hey,brother

朝一番に店に飛び込み、髪の色を変えた。 いつも髪の色は自分で変えている。 しかし、一度真っ黒く染め上げた髪をきれいな赤にするのは、やはり難しい。 無様なムラが嫌なら、ちゃんとプロに頼んだ方がいいだろう。

馴染みの店で、最も明るい鮮やかな赤を選んだ。

「お兄ちゃんが帰ってきたのかと思っちゃった」

店の女主人の言葉が耳に残る。 不愉快なノイズのようだ。

くり返される毎日を、できるだけ面白おかしく過ごしたいと思ってきた。 できるだけ思い出さないように、かすかにも考えないように。

兄が消えて、もう二年になる。

裏通りの中でそれなりに幸せに暮らす、目立たない家族だった。 一つ目の家業は、まったく儲からないクリーニング屋で。 もう一つは、『イレイジング(消す)』と呼ばれる仕事を請け負うのが生業の一家。 通称『イレイザー(消しゴム)』。要するに殺し屋、ヒットマン一家。

≪Evolution≫と呼ばれる裏社会の激動が始まったのは、二年半ばかり前のことだ。 それから約半年、兄がどう動いていたのかは知らない。 ある日を境に、兄の消息はぴったりと途絶えてしまった。 父も母も裏社会の人間であり、こういったことは日常茶飯事だという。

「あの子は大丈夫よ」

兄さんはどこに行ったのか、と声を荒げる自分に、母がつぶやいた言葉だ。 それでも疲弊して見えた母にくらべ、父は意外なほどさばさばとしていた。 自分は、まともな世界の人間である。 人殺しなんて冗談じゃない。危険なことなんて真っ平だ。


頭を冷やしたい。


薄汚れた裏通りの、さらに汚れたゴミ捨て場の横だった。 ちょうど通りかかったその場所に、思い切り嘔吐した。

渦巻く。 思考、想い、不安、嫌悪、ノイズ。甘さと転げ落ちる恐怖、痛み。

兄貴のことなんか知らない。 第一、生死も定かではないじゃないか。 そう思ったとたん、胸の奥で、怒りにも、悲しみにも似た感覚がうずいた。 視界の端に蛾が二匹ひっかかる。 見れば、死んで乾いた灰色の蛾と、ばたばた、もがく白茶けた蛾が一匹ずつ。

「……生きてるさ」

そう、つぶやいた。


Fin.

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