■ Declaration of war

それは秘密の集まりだった。 招かれた特別な客たちしか参加することができない、他所者の進入を許さぬ会員制のパーティ。 とは言っても、しょせんは表社会の集まりだ。 会場は住宅街にある隠れ家的なレストランを貸しきっただけ。 本気で紛れ込もうと思えば何とかなりそうにも思える。

会場の片隅に白髪の男がいた。 地味だがたいそう仕立てのいいタキシードでやや小柄な体を包んだ男。 彼は細長い窓に寄り添うように立ち、外の暗闇を眺めている。 銀縁の眼鏡からのぞく細い目はいったい何を見ているのであろうか。

夜は更けゆき、宴は華やかさを増してくる。 大口を開けて笑うマダム。 彼女が本当に高尚な人物なのか、それとも高尚さを擬態しただけの下賎な人物なのか。 そんなことは誰もが知ってる。知っていてもおおっぴらに話してはならない公然の秘密だ。

小さな絵画で飾り立てられた壁。 金属製の花器に生けられた花々。 控えめな照明に照らされた店内はやや暗いが、"薄暗い"などという陰気な言葉は似合わない。

白髪はゆったりと部屋の出口付近にやってきた。 開け放たれたドアの向こうには暗い中庭。 ちらりと上に目をやれば四角く切り取られた真っ黒い夜空がぽっかりと口を開けている。 中庭には二人連れになった男女などがチラホラといるようだ。

白髪はドアの前で足を止めた。 出て行くわけではない。 たまたまその場所に足が向いた、という風だ。

出口を背にしてホールの中央を見やる。 人が多い。 立食パーティである。 皆、手に背の高いシャンパングラスを持って談笑している。 白いテーブルクロスと黒いタキシードの男たちに混じって、色鮮やかな女性のドレス。 白黒の中に鮮やかな色彩が混じる光景は、鮮やかなものだけが溢れるよりも遙かに華やかで美しい。

つつ、と音もなくボーイが寄ってくる。 その手には銀の盆。 盆の上から金色のシャンパンが入ったグラスを取り、白髪に差し出す。

白髪の男は微笑みながら受け取った。 細いグラスの底からは一筋の泡が美しく立ち上る。 この泡のからくりを知ったのはいつのことだったろうか。

一転の曇りもなしと思えるこのシャンパングラスの底には小さな傷がついている。 職人がわざとつけたその傷がからくりだ。 傷に刺激された液体から泡が生まれる。生まれた泡はそのままグラスの中をまっすぐに昇る。 その傷がある限り泡はいつまでも生まれ続け、連なる泡は細くたなびく一筋の光となってグラスを貫く。

シャンパンをより美しく見せるための技術だという。 傷一つない完成品を、酒を美味く見せるためだけに損なうことの背徳。 もしもグラスが生き物ならばいつまでもすすり泣き続けることだろう。 嗜好のために強いられた傷はきっとひどく痛むものであるに違いない。 完璧な者の裏にはいつだって目立たぬ誰かの尊い犠牲があるのだ。

「おお、こちらにいらっしゃった!」

声をはりあげて誰かが近寄ってきた。 白いものが交じる口ひげをたたえた小柄な紳士。 白髪とは以前から親交という名の同盟関係にある男だった。

あくまでも仕事上の付き合い。 ゴルフなどをたしなみながらの相談事が多いため、周囲からは親しい遊び仲間だと思われている。

「こんばんは、良い夜ですな」

紳士は朗らかに両手を差し出し、白髪の男の左手を握り締めた。 勢いのいい握手に右手に持たれたシャンパンが揺れる。

「ご紹介したい方がおりまして」

そう言って、紳士は自分の後ろに立っていたスーツ姿の男を見やった。 シャレた帽子をかぶったやや長身の男だ。 タキシードではなくデザイン性の高いモダンなスーツを着ている。 室内なのにかぶったままの帽子もまたデザインの一環のようだ。

白髪の目が帽子の男を捕らえる。 ほぼ同時に、帽子の男はさっと帽子を取って一礼をした。 にっこりと弧を描く口元。 黙っていてもどこか陽気な印象を与える男だ。

「彼は……ええと、何だったかな、そう、この前お話した会社の代表の知り合いだそうで」

そう言って紳士は快活に笑った。 たいして知りもしない相手でもすぐに身内のように扱う。 これがこの紳士の利用価値でもあり、欠点でもあった。

「彼も同じ仕事をしているんですが、友人であり良きライバルでもあるのだとか。 このパーティには初めて参加するんですよ。さ、君、ご挨拶を」

紳士に促され、帽子の男が一歩前に進み出る。 紹介者が横によけたため、二人は真正面から向き合う形になった。 白髪は中庭に背を向けてホール中央へ向いて立ち、帽子の男はホールを背にして暗い中庭を望む。 二人の距離はほんの数歩ばかり。

「ども、はじめまして」

歌うように弾む声で帽子の男が言った。

「はじめまして」

白髪はにこやかに答える。

「今夜、この場所でこの方に会えるなんて運がいいよ! 実に珍しい」

紳士は帽子の男の背を二・三度軽く叩いてますます相好を崩した。 帽子の男は再び会釈をし、白髪も会釈を返す。

「ぜひ一度お話したいと思ってました」

帽子の男が白髪に言う。

「奇遇ですね。 私もちょうど、あなたのようなお若い方と話がしたいと思っていたところです」

白髪が答える。 二人とも落ち着いた口調だ。 声を潜めて……とまでは行かないが、おそらく少しでも離れた位置にいる者の耳には届かない会話だろう。

二人をつないだ紹介者である紳士はただ「運がいいね」と繰り返す。 すでに上機嫌のようだが、それほど飲んだのだろうか。

ほんの一秒か二秒、沈黙が落ちた。 ふと見れば、ホールの人ごみの中からこちらに手を振る女がいる。 派手なメイクと露出の多いドレス。ボリュームのある金髪が目にまぶしい。 どうやら彼女は例の紳士を呼んでいるようだ。 気づかない様子の紳士に向けて、白髪は笑顔で女性を指し示した。

紳士は急にやに下がった笑みを浮かべ、挨拶もそこそこにそそくさと女の元へ向かう。 帽子の男は首だけを回してその背を見送った。 クルッと前に向き直ると白髪がじっと帽子の男を見ている。まるで、何かを待っているかのように。

それまで笑顔であった帽子の顔がひと時だけ真顔になった。 それはほんの一瞬の出来事。再び浮かんだ笑みは口元をゆがめるいたずらな微笑。

「実は……、」

何かたくらむようなその表情で帽子の男が切り出した。 それを遮って白髪が言う。

「初めてではない」
「ビンゴ」

帽子の男はパチンと指を鳴らして言った。 楽しげな笑みをかたどる彼の目にはどこか嬉しそうな色。

「あなたとお会いしたのは、確か……もう二十年以上も前のことです」

シャンパングラスを軽く掲げて白髪が言う。

「はい」

脱いだ帽子を胸に当て、帽子の男がうなずいた。

「お目にかかるのは二度目ですね?」

確かめる白髪の言葉に、あ、と帽子の男が小さく声を上げる。

「二度目と見せかけて、実は三度目、なんですけど……」

おどけた調子。 白髪もおどけた風にひょっと肩をすくめた。

「ではそれは、おそらくまだあなたが取るに足らない矮小な存在だった頃のことでしょう。 よほどあなたのことが眼中になかったと見える。まるで記憶にありません」

とげのある言葉はあくまでも柔らかな口調。 まるでやんわりと耳触りの良い音楽のように聞く者の耳をくすぐる声音だ。

帽子の男は、ありゃ!といいながらわざとらしく体制を崩して見せた。

「あっらぁ〜、手ぇー厳しいですね」

2人とも声を出して笑い合う。

しばし、間があった。 途絶えた会話、緊張感。 先に動いたのは帽子の男の方だ。 スッと白髪に近づく。 白髪の男は動かない。 近づいた帽子の男は内緒話ができるくらいの距離にまで接近して立ち止まった。 視線が合う。 交わる。 ぶつかる。 静かなる牽制は熱を持たぬ火花。

白髪が言う。

「あなたのボスがどれほど本気なのかは、」

さえぎって、帽子の男がチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。 チガウチガウと異論のポーズ。

「ボス、じゃないんです。相方ですよ」

低い声はまだ笑みを含んでいる。 白髪はほんのわずかに微笑んだ。どこか作り物じみた整いすぎの微笑だ。

「失礼。 あなたのパートナーがどれほど本気なのかはわかりませんし、またわかる気もありませんが。 ……これだけは言っておきます」

白髪は帽子の男の耳元に顔を寄せる。

「もし君たちが本気で我々に立ち向かうと言うのならば、このまま手をこまねいているわけには行きません。 全力で、お相手をいたしましょう。あくまでも、全力で」

ささやいた恫喝は彼らにだけ通じる内容だった。 事情を知らぬ者が聞けば何のことだかわかるまい。 彼らは敵同士なのだ。

『進化せよ』

その言葉を挟んで右と左に立場を分かつ。 帽子の男は進化の波に乗る新たな勢力、新興勢力のNo.2。 そして白髪の男は進化により脅かされる古い力、巨大な組織の頂点らしき人物なのである。

「……こっわ!」

帽子の男はヒューと息を漏らし、肩をすくめてわざとらしく震えて見せた。 その頬にはまだまだ楽しげな笑み。

そのときだ、人影が近づいてきたのは。

それは隻腕の男だった。 仄暗い室内の一角から浮かび上がるように現れた肩幅の広い男性。 着慣れない風にタキシードを着こなし、腕のない片袖をぎゅっと結んでいる。

隻腕の男はごく当たり前のように帽子の男の脇を通り過ぎ、白髪の左側に立った。 今はもう存在しない右腕を白髪の肩に置くかのように、いかにも気心の知れた雰囲気で。

「よう!」

に、と笑った顔は苦みばしった初老の男。 帽子の男よりも十ばかり年上のようだが、覇気に満ちた瞳からは若々しい印象さえ感じる。

その顔を見て、帽子の男の表情が変わった。 引きつった笑み。 他人には聞こえないはずの彼の鼓動が聞こえるようにすら感じられる。 おそらくは早鐘のような音。 それほど彼の表情には明らかな動揺がにじんでいた。 焦り、だろうか。 作り笑いを保とうという意識がわずかにあるのか、それとも本気で焦ると顔が笑う性質なのか。

帽子の男は口元だけが半分笑ったまま、別人のような険しいまなざしで隻腕の男を見つめていた。 沈黙していた白髪がゆっくりと口を開く。

「もう一度だけ言いましょう。全力で、相手をさせてもらいます。ご覧の通りの……」

そっと片手を挙げ、隻腕を指し示す。

勢ぞろいフルキャストで」

放たれた最後の一言。 ふぅっ、と帽子の男が息を吐く。 男は無言のまま帽子をかぶり直し、中庭へと歩を進めた。 白髪の男もまた、ゆっくりとホールに向かって足を動かす。 すれ違う、その瞬間。 横並びになったとき、二人は示し合わせたかのごとく同時に立ち止まった。

互いに横目で相手を見やる。 どちらも鋭い視線、突き刺すように。

「……あくまでも?」
「大人しく引き下がると、思いますか?」

会話はそれだけ。 そのまま二人はすれ違う。 帽子の男は中庭へ。 その先には黒服の男がいた。 帽子の男は黒服の元へと歩み寄ると自然な仕草で軽く相手の背をつつく。 振り向いた黒服に送られた目配せ。 帽子の男の視線はホールを見るように促している。

黒服がホールへの入り口を見やる。 視線の先、開け放たれたドアの真ん中には立ちふさがるように仁王立ちする隻腕がいた。 片方しかない腕をひょいと上げ、指をひらひらと動かして笑う。 黒服の眉間にぐっとしわが寄った。 もともと力強い印象の眼に、一瞬、より強い光がよぎる。

すぐにホールに背を向けて、黒服と帽子の男はひそひそと何かを話し始めた。 どうやらこの二人はかなり親しい仲間か、友人と呼べるような力関係であるようだ。 その様子を見守る隻腕の背後から柔らかな声がかかった。

「彼らは私よりも、あなたを恐れているようですね?」

白髪の男だ。 その手に握られたシャンパングラスには先ほどと変わらぬ量の酒。 最初にくらべれば弱々しいものの、いまだ細い泡の筋がきらきらと立ち上っている。

「いや、違いますよ。 ヤツら、引退した俺を裏に引き戻すほどの、貴方の本気にビビッてんですよ」

年を経て渋みを帯びた隻腕の顔には楽しげな笑み。

「物は言い様です」

そう言いながら、白髪の男もまた、わずかに楽しげな気配のにじむ笑みを浮かべた。

やがて外で花火が上がり、パーティーが終わる。 今宵、邂逅を果たした二つの勢力。 『進化』と呼ばれる裏社会の大変革に揺れるこの都会まちで、遅すぎる宣戦布告はひそやかに交わされたのだった。


Fin.

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