■ Patronized gun

昔から付き合いのある政治家だった。 彼方は駒として、此方は金づるとして。 裏でつながり互いに便宜を図る。 よくある癒着の構図だった。政治家と犯罪組織の共生関係のようなものだ。

『今から来てもらえないか?』

政治家は言った。

「何か御用でしょうか」

問い返した言葉に政治家が答える。

『あ、ああ、相談したいことがあるんだ。連絡役に話はつけてある。すぐに来てくれ。』

電話はそこで切れた。



電話を受けたのは白髪の男だった。すでに老齢と呼べるような男である。

白髪は、ある組織の人間だ。 巨大な犯罪組織。会社のように統制の取れた組織であることから『カンパニー』とあだ名されている。

白髪は有力な幹部だった。 組織を統べていると言っても過言ではない。 内外を問わず、彼が組織のリーダーだと考えている者も多い。それほどに有力な人物だった。

夜の街を車は走る。 政治家が言った連絡役とはいつも白髪の男と政治家をつなぐ役割を果たしている男のことだ。 白髪の部下で、信頼も厚い。 連絡役が寄越した迎えの車に乗り、白髪は政治家の元へと向かった。 政治家の自宅から程近い民家が約束の場所だ。 いつも人目を避けて会うために借りてある家だった。

「どうも」

言葉少なに白髪の男を出迎えたのは連絡役の男だった。

奥の部屋へと通される。 扉が開けられたとたん、異様な光景が白髪の目に飛び込んできた。 緊張しきった面持ちで、両手を挙げた政治家。 部屋中にあふれるスーツ姿の男たち。 そして、政治家に銃を突きつける男の姿。

「入ってもらおう」

その声は背後から聞こえた。 わずかに振り向き、視線を動かす。 視界の端では連絡役の男が構えた銃を白髪の背に向けていた。 その顔は自信に満ち溢れ、輝いているようにも見える。

促されるまま部屋に入った。 後ろでドアが閉まる音を聞きながら、白髪は軽く息を吐く。 どうやらここは『敵』の真っ只中であるらしい。

連絡役の男が進み出て、政治家の脇に陣取った。

「ようこそ。お待ちしてたぜ」

連絡役は大仰にお辞儀をして見せる。 白髪はほんの少し眉を上げたきり何も言わなかった。

「ボディチェックをさせてもらおう」

連絡役が言うと、ドアの両脇にいた男たちが白髪に近寄った。 手にしていたステッキを奪われ、両手を挙げさせられる。 男たちは外套のポケットから仕立てのいいワイシャツに至るまで全てに触れていった。

懐中時計とペン、それに劇場の半券が一枚。 その他は何も出てこない。

「何の武器も持たずにおいでとはずいぶんと無用心ですな、ご老体?」

チェックが終わると連絡役の男は勝ち誇るようにあごを上げて言った。

「ええ、年寄りに銃は重過ぎますから」

年寄りという単語を少し強調して、白髪はわすがに微笑む。 やけに余裕のある態度にイラついたのか、男は急に表情を変えて白髪をにらんだ。

「単刀直入に言おう」

にやり、男は笑う。

「あなたに引退してもらいたい」

あなたと言われた白髪はまったく表情を変えなかった。 しん、と一瞬だけ辺りが静まり返る。

「新しいリーダーは俺に任せてくれ。あなたのそばで全てを見てきた。大丈夫、うまくやる自信がある」

冷たい笑みを口元に浮かべて連絡役の男が言った。 いや、今はもう連絡役とは言えまい。 男。 ただの男だ。 主人だった白髪に反逆の意を示す、ただの男。

「指示を」

男は言った。 それから机の上の電話を取ると白髪の方に受話器を差し出す。

「これでお得意の電話をかけてくれ。あんたはいつだって重要な話も電話で済ませてきただろう?  さぁ、これで後は俺に任せると指示を出すんだ。要たる幹部、外部、全てにだ!」

宣言とも呼べるほどきっぱりとした男の口調。 その言葉が終わるか終わらぬかといった時に白髪がはじめてにやりと唇をゆがめた。 めったに見せないような、邪悪な笑いの形に。

「まだその時ではないでしょう」

白髪の言葉に男が目を見開く。

「それに、」

白髪は柔らかな笑みをたたえながらこう続けた。

「この役目は君には務まらない」

目をむく男。 カッと音が聞こえるかのような勢いで男の耳が赤くなった。おそらく、怒りのために。

「黙れ、老いぼれ!」

男が怒鳴る。

「大人しく言うとおりにしろ! 黙って言われたとおりに電話するんだ!」

激昂する男を面白そうに見つめながら、白髪はこう答えた。

「『黙って』『電話をする』とは難しい注文ですね。 黙っていたのでは、電話をかけたところで相手に何も伝えられません」

あまくでも穏やかな白髪の口調。 見る間に紅潮していた男の耳から顔全体に朱色が広がる。 唾の泡を飛ばしながら男が叫んだ。

「貴っ様! この銃が見えないのか!? お前には銃もなければ、逃げ場もないんだ!」

白髪は静かに言った。

「私の銃ならば、そこに」

すっと上がる人差し指。 それが示すのは激昂する男の背後だ。実はそこにもドアがある。

そのドアが開く気配を感じてさっきまで朱かった男の顔色がさっと青ざめた。

「よぉ」

男が振り返った視線の先で。 楽しげに片方しかない腕を上げたのは、白髪の相棒とされている人物だった。



救出した政治家を伴って外に出る。 涼しい夜風に吹かれながら、白髪は出てきた民家を振り返った。

警察に扮した白髪の部下たちによって取り囲まれた家は物々しい雰囲気の中にある。 これ以上長居しては目立つことこの上もない。 周囲の住民が気づいて騒ぎ出す前にこの場を離れるのが得策だった。

「ほ、本当にすまない。仕方がなかったんだ」

舌をもつれさせながら政治家が言った。 決して悪気はなかったという台詞を聞き流し、急かすようにして政治家の自宅へ向かう。

「お気になさらず。むしろ謝罪すべきは我々の方です。 内輪のいさかいに表の方を巻き込んでしまいました。本当に申し訳ありません」

深々と頭を下げた白髪に、政治家は初めて安堵したような笑顔を見せた。

「いやぁ、しかしお互い災難だったね」

政治家は急に快活になった。明るい笑顔で白髪の背を何度も叩く。 その肩にそっと手を置き、白髪は彼の耳元に口を寄せる。

「二度目はありませんよ」

他の誰にも聞こえぬようにと潜められた囁きは言いようのないほどに暗い響き。 政治家はヒッと喉を詰まらせるように息を吸うとその場に立ち尽くした。 その姿に一瞥もくれず、白髪は彼のそばを離れた。 そのまま迎えに来た別の車に向かう。

ふと。

思い出したように立ち止まり、彼は政治家のそばに戻って行った。 そして言う。

「ご忠告が1つ」

ぐっと政治家に顔を近づける白髪。

「今まさに命を脅かされた人間はそんなに晴れやかには笑えません。 特に、『予期せず』人質となり、銃を突きつけられた直後には。  ……今後のためを思うならば、ぜひとも、もっと迫真の演技を身につけることをお奨めします。 もっと泣くような、引きつりながらも冷や汗とともにも思わず沸いて出るような、そんな安堵の笑みの演技を」

そう言い終わるのとほぼ同時に、白髪に“私の銃”と呼ばれていた隻腕の男が小走りに駆け寄ってきた。

白髪は軽く会釈をして隻腕の男とともに迎えの車に乗り込む。 呆然と立ちすくむ政治家だけを残し、辺りに静寂が訪れた。 地味だがしっかりとした作りの灰色の車は夜の町へと走り始める。

「『あの政治家も裏切り者の仲間だった』と言ったら、あなたは驚きますか?」

唐突に語りだした白髪の言葉に、隻腕の男は不思議そうに首をかしげた。

「……グル? あの先生が?」
「ええ、おそらくは」

白髪の男はゆっくりとうなずく。

「どうしてそう思うんです?」

隻腕が問うと、白髪はあごの下で両手を組んで静かに目を閉じた。

「彼自身には別の理由を告げておきましたが、本当に確信したのは、そう、タイミングです」

白髪の言葉が一瞬だけ途切れる。

「タイミング?」

間髪いれずに問い返す隻腕の声に、白髪はちらりと目を開いた。

「ええ。部屋に入った瞬間から薄々感じてはいましたが、彼が笑顔を見せたタイミングで確信しました。 普通、予期せず命を脅かされた人間は『助かった』と感じた瞬間に安堵の笑みを漏らします。 ですが、彼のその瞬間は銃の脅威から開放されたときではなく私が『気にしなくてもいい』と言った場面でした。 つまり……、」

とうとうと流れる説明を隻腕がさえぎる。

「つまり、奴はハナから銃を恐れちゃいなかった。 逆に俺たちに殺されること、裏切りがばれることを恐れてたってことですね?」

細い目をなお細めて白髪はにっこりと微笑む。

「その通り」

白髪の言葉に隻腕は得意げに笑った。 だが、白髪はふっと窓の外に目をやるとこうつけ加える。

「ただ……これは想像ですが、彼自身の実感はあなたが言うよりも楽観的だったのかもしれません。 彼の表情。 あなたは見ていないので知りようがありませんが、実に快活で明るい笑顔でした。 本当に危機的状態から逃れたばかりの人間はあのように晴れ晴れとした顔では笑えません。 あれは命の危機から救われた顔ではなく、嘘をつき、うまく叱られることを免れた子どものような表情です。 さて、そこから想像できることとは?」
「は? えー……」

突然質問に変わった言葉の終わりに戸惑う隻腕。 その様子を面白そうに見つめて、白髪は再びゆっくりと口を開いた。

「おそらく彼はホッとしたのでしょう。思惑通り、私に嘘がばれなかったことに。 我々に殺されることを本当に恐れていたならば、あんなに屈託のない笑顔を浮かべるとは考えにくい。 おそらく彼は十中八九嘘がばれることはないと高をくくっていたのでしょう。
そして私は彼を助け出し、いさかいに巻き込んだことについて謝罪までした。 そのため彼は自分の嘘が真実として受け止められたことを確信した。 だからこそ、あのような嬉しそうな笑みを浮かべてしまったのではないでしょうか。 あくまで、ただの想像に過ぎませんが」

とうとうと述べられた白髪の言葉。 Q.E.D。 まるで名探偵が推理を語る場面のようだ。 目と口をぽかんと開けて聞いていた隻腕だったが、すぐ何かに気づいた様子で真面目な顔になる。

「いいんですか? 奴を放っておいて」

隻腕が問うと白髪は静かに答えた。

「彼は近々行われる選挙で落選します。 そうなれば我々との縁も切れ、二度とこのような機会はない。心配は無用です」

これから起こる未来のことを必然のように語り、白髪は口をつぐんだ。 白髪の男の隣では“彼の銃”が納得した顔で笑みを浮かべている。

ふと、思い浮かんだように隻腕が口を開いた。

「そういや、銃とか持たないんですか? 危ないでしょう、護身用の小さい奴なら扱うのも簡単でしょうに」

白髪の男は静かに笑う。

「偶然ですね、彼にも似たようなことを言われました。 確か、銃も持たずにやってくるとは不用心なことだと」

車は夜の街をひた走る。 目的地はもうすぐそこだ。

「……で、持たないんですか?」

やや控えめな調子で、隻腕がまた言った。 白髪の男はただ微笑んでいる。 いつものような完璧に整った笑みではなく、やや左右非対称な微笑だった。 ある意味自然な笑み。そのまなざしは柔らかい。

「……銃なら、ここに」

白髪はそっと己の胸に手を当てる。 その手は軽く握られ、人差し指だけが緩く伸ばされていた。まるで何かを指さすかのように。 それをどんな意味に受け取ったのか、隻腕は「ああ」とうなずいて窓の外へと視線を移した。

ほどなく、車は彼らの隠れ家にたどり着いた。

夜空の端がかすかに白み始める。 どこかで鳥が鳴いた。 じきに、夜が明ける。


Fin.

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