■ A happy man

『幸福な男』
昔、あるところに幸せな農夫がいた。
悪い魔女が農夫を不幸にしようとやってきた。
まず魔女は魔法を使って彼を貧乏にした。
だが農夫は笑って言った。
「ありがたい、今日もこうして元気に生きていられるんだから」
次に魔女は彼の家を大風で吹き飛ばした。
だが農夫は晴れ晴れと言った。
「ありがたい、これでもう、火事や泥棒を心配しなくてよくなった」
次に魔女は魔法によって、本当にひどい食べ物しか手に入らないようにした。
だが農夫は、固い固いカビたパンの欠片とぬるい水を飲み下して言った。
「ありがたい、こうして今日も食べるものを手にすることができて」
最後に魔女は策をめぐらし、世界で一番醜く、一番気立ての悪い女を農夫に嫁がせた。
だが農夫は、大いに喜んで言った。
「ありがたい、おいらに嫁っこが来るなんて! 神さま、感謝します!」
結局、魔女は農夫を不幸にすることができなかった。
−ある古い童話集より−

応接間ではない。 そこは名門企業の社長室を思わせる優雅な一室だった。 部屋の入り口を正面に見る形で大きな机が置かれている。 座っているのは白髪の男。 傍らには、隻腕の男が少々行儀悪く崩した格好で立っていた。

「あいつ、幸せもんですねぇ」

中年太りの客が部屋を出ていくなり、隻腕の男が白髪の男に声をかける。 白髪の男はやんわりした微笑でその声を受け止めた。

二人が見送った客は快活な人物だ。 白髪の男が呼び出した相手だった。 ちょっとした仕事をさせるに足る人物かどうか、直接話して見定めるためだ。 要するに面接試験。 ふとっちょの中年男は二つ返事でやってきた。 腕を買ってもらえたことが素直にうれしいらしい。

彼は古株の盗人だった。 太鼓腹に似合わぬ繊細な仕事ぶりで評判の男だ。 誰の印象にも残らぬほど自然なふうで目標の場所に潜入。 痕跡も残さずに目的のものを盗ってくる。 盗んだ金と、盗品を売りさばいた金だけで生活している。 いわゆるプロの専業泥棒というやつだった。

会話の中で、彼は何度も『自分はツイているから』とくり返した。 この激動の最中にありながら、以前と変わらぬ暮らし。 それが何より嬉しく幸せだと。 凡夫なのだ。 盗人としての腕はいい。だが、決して大物にはならぬ者。 誰かに攻撃される恐れはない。 その代わり、取り立てて活躍をするわけでもない。

太りすぎで膝が痛いんだ、医者に痩せろと言われちまったよ。 彼はそう言いながら大いに笑った。 たぶん、それが唯一の心配事なのだろう。 平和な話だ。

面接本体のたっぷり二倍ほどは無駄話をして、太った盗人は去って行った。 そして、冒頭のセリフだ。 隻腕の男は相手のおしゃべりに半ば呆れた様子。 白髪の男は、とうに興味を失った様子で新たな相手に電話をかけている。

ほどなくして次の客がやってきた。 今度の客は痩せ型の陰気な中年男だった。しかめっ面が板についている。 彼の職業もまた泥棒だ。 同じく、腕はいい。 先の太った客と同じ目的で白髪の男が呼んだ。

質問に答えるとき以外、痩せた中年男は終始無言だった。 決して自分から何かを話そうとはしない。 気難しげな顔で膝をさすりながらただ質問に答えていた。

別れ際、白髪の男が近況を尋ねたときのことだ。 痩せっぽちの男は『ひどいもんだ』と答えた。 若い頃のようには体が動かなくなってきたこと。 働いても働いても稼ぎはよくならないこと。 何もかもが年々悪くなっているとぼやき、男は部屋を出て行った。

「かぁー……、この世の不幸は全部オレのものってな顔でしたね、アイツ」

隻腕の男が言う。

「そうですね」

白髪の男の返事はただそれだけ。取り立てて気に留めた様子でもない。 隻腕は、やや間をおいてから、机の引き出しを開けてゴソゴソやっている白髪に語りかけた。

「ずいぶん差があるんですね、ツイてるって奴と最悪だって奴の間に。 これも例の『進化』ってやつの影響ですかね?」

白髪はチラリと隻腕に視線をやる。

「差、ですか」

おそらく隻腕の物言いがひっかかったのだろう。白髪はニコリともせずにつぶやいた。

「……違うんですか?」

隻腕は少し戸惑うように問いかける。

「今の二人に関して言えば、少々見当違いかもしれません。 彼らの暮らし向きはほぼ同じようなものです。 収入、家族構成、就業時間など、彼らを取り巻く環境に大差はありません」

白髪は引き出しから書類を取り出しながら答えた。 そして、こうつけ加える。

「それに第一……彼らの暮らしぶりは『進化』の影響をほとんど受けていませんよ。 誰もが『進化』の暴風にさらされているわけではないのです」

隻腕は、へぇと小さく声を上げて黙ってしまった。 白髪は隻腕を見ることも無く、眼鏡を軽く持ち上げて書類に目を走らせている。

「じゃあ、同じような環境でもラッキーだと思う奴と不幸な奴がいるってことですか?」

沈黙に耐えかねたのか、隻腕が口を開いた。 白髪の返事はない。

「……あー、今は同じでも昔の暮らしぶりが違ったから、とか」

隻腕は少々口ごもりながらも自分なりの考えを口にする。 白髪は、この相棒にチラとだけ目をやって答えた。

「残念ながら、二人は今まで経歴についても似たようなものです。
貧しい家庭に生まれ、幼い頃に父を亡くし、ほぼ十歳で盗人となりました。 現在の家族構成は本人と妻と母親、それに小型犬が一匹。 二人とも五年ほど前から膝痛もちで、一昨年からは糖尿病も患っています。  ……体格以外は、非常によく似た二人です」

隻腕は面食らったような顔。 だが、すぐ我に返った様子で笑い混じりに言った。

「じゃあおかしいじゃないですか、あんなに態度が違うなんて」

顔は笑っているが不満げな口調。 白髪は穏やかに微笑む。

「他人から見れば奇異ですが、彼らにとっては至極当たり前のことなのでしょう」

隻腕は全く納得がいかないといった様子で首を振った。

「変な話ですね。 端から見たらたいして変わらないのに、本人たちの気分は雲泥の差だなんて」

白髪は不思議にぼやけた笑みを浮かべて隻腕を見る。

「……こんな昔話を知っていますか?」

そう言って、白髪はおもむろに語り始めた。 冒頭に示した『幸福な男』の物語を。


昔、あるところに幸せな農夫がいました。

悪い魔女が、彼を不幸にするため、様々な災いを振りかけます。 ところが農夫はそのたびに運が向いてきたとかえって喜んでしまうのです。

彼はどんな出来事も楽観的な見方で捉え、決して自分を不幸だとは思いませんでした。 結局、魔女の方が根負けして逃げ出してしまったということです。


……そんなお話。

「バカだけど幸せもんだなァ、その農夫……」

そうもらしてから、隻腕は少しだけ考えこんだ。

「さっきのデブも同じってことですか? アイツも何もかも楽しそうで、病気も自慢みたいにしてましたし」

確かめるように出された隻腕の言葉に、白髪がやんわりとうなずく。

「そうですね。彼はまさに童話に登場する幸せな農夫そのものです」

それから、白髪は次のように言葉を続けた。

「しかし、この童話は簡単に裏返すことができます。 反対に『男はとうとう幸せになることができなかった』という物語も作ることができるのです。 金を得ても、豪邸を得ても、美味珍味の限りを得ても、恵まれた出会いを得ても……。 本人が幸せだと思わなければその男は不幸。つまり……」

白髪の男はここで言葉を切った。 穏やかな表情。 だが、目だけは鋭いまま隻腕の瞳を覗き込んでいる。

「つまり?」

待ちきれぬとでも言うように隻腕の男が問いかけた。 白髪の男はふっと眉を上げて言う。

「何事も気の持ちようということです」

隻腕の男は片方しかない腕を頭の後ろに回し、ポリポリとかきながら答えた。

「んー……。なーんかこう、ビッとしねぇなーぁ」

苦笑とともに流れ出た言葉は若い頃よりややくだけた口調。 白髪はフッと目を細める。

「釈然としませんか?」

問いかける口調もどこか楽しげだ。 白髪の問いに隻腕は軽くうなずいて見せた。

「なかなかすんなりと納得はできないかもしれません、特にあなたの性格では。 しかし真理でもあるでしょう?  他人から見てどんな境遇にあるかが幸・不幸の基準ではありません。 つまるところ、本人がその状況をどう認識するか、その一点だけが基準たり得る」

隻腕は白いものが混じる己の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「まぁ、そうですけど」

しぶしぶと言った様子でそう答えるが、眉間には深い皺。 どうやらあまり納得はできていないようだ。 理解はできているようだが。

「さて、ここで質問です」

突然、白髪が言った。

「はい」

隻腕はちょっとかしこまって姿勢を正す。 白髪は両手を組み合わせて言葉を続けた。

「我々が今、敵対しようとしている者たち……多くは男性と予想されますが、 その彼らは幸福な男たちでしょうか? それとも不幸な男たちでしょうか?  あなたは、どう思いますか?」

眼鏡の奥で瞳が光る。 唐突な質問に戸惑った様子で、隻腕はぐっと眉根を寄せた。

「うーん……」

少しの間、唸る。 どこか遠くを見るような目つきで何かを考えているようだ。 やがて隻腕は次のように答えた。

「中には不幸な奴も幸せな奴もいるんでしょうけど……。 少なくとも、リーダーは幸福な男だと思います。俺が知ってるままのあいつなら、ね」
「ほう、それはなぜ?」

白髪は椅子の背に体を預けて隻腕に問う。

「そういう奴なんすよ、あいつらは。 や、何度か会ったことがあるんですけどね? 知ってると思いますけど」

隻腕の口調はやけに楽しげだった。 白髪は対照的にいかにも嫌そうな顔でうなずいている。 どうやら進化派のリーダーである“あいつ”とは、彼らのよく知る人物らしい。

「奴ら、壁があってもそれ自体が面白れぇってタイプなんですよ。 結局なかなか勝てねぇこと自体、楽しんでる、っていうか……。 喧嘩好き、なんですかね?  今、こっちと一悶着ありそうだってのもきっとわくわくしながら見てると思いますよ」

隻腕の男が言う。 白髪はため息をつかんばかりの表情で天井を仰いだ。

「なるほど。それは手ごわい人物ですね。 我々がどれほど強固に反発しようと、危険、困難、全てを喜びとしてしまう」

白髪の言葉に隻腕はポンと膝を叩いた。

「そう、そう。脅しをかけても脅しにならないタイプ。 あの二人……特に背ぇでっかい方ですよ!  あいつ、どんなに痛い目見せてもケローッとした顔でまた向かってくるガキで。 血塗れのツラでも楽しそうでね、もう笑っちゃいますよ?」

ひどく楽しそうな隻腕の表情。 身振り手振りすら混ぜて、はつらつと語る。

「楽しそうですね」

白髪は揶揄するような口ぶりで言った。 隻腕がピタリと止まる。

「え? えぇ、まぁ」

一瞬、焦った色を浮かべる隻腕。 だが、彼はすぐに立ち直って言った。

「敵として楽しみなだけですよ! ……ちゃんと勝ちますよ? ……勝ちましょう?」

最後は探るように。 隻腕がおずおずと言葉を切る。

「ええ、必ず」

白髪は隻腕の言葉に短く同意を示した。


「ところで、さっきの童話なんですけど……」

急に、隻腕が言った。

「何ですか?」

白髪が応じると、隻腕は先を続ける。

「あれ、ラストはどうなってんすか?」
「は?」

白髪は本当に意表をつかれたように声を上げた。 次の瞬間、我に返った様子で居住まいを正す。

「ラスト、ですか?」

すました顔で言う白髪に、隻腕は焦れたふうに問いかける。

「だから、色んな悪いことばっか背負い込んだあの農夫は……」
「最後まで幸せなままでした、でしょう?」

不審げに答えた白髪は、隻腕の仕草に首をかしげた。 違う、違う。 隻腕はそう言わんばかりに片手を振って見せたのだ。

「いや、そうじゃなくて。 本人が幸せなのはいいんですけど、具体的な状況って言うか……」

そう言った隻腕に、白髪は、あぁ、と声を漏らした。

「魔女がもたらした数々の災いについて、ですね?」

確かめるように言う白髪に隻腕がうなずく。

「はい」

いたって真面目な顔の隻腕。 白髪は遠い目をして虚空を見つめた。たぶん記憶を探っているのだろう。

「……。さて……、どうでしたか……。ああ、そう、確か……、 魔女が去ると同時に魔法が解け、男は名実ともに幸せになりました……、でしたか」

途切れ途切れの返答。

「あ、そう、ですか。よかった」

満足したように、隻腕が微笑んだ。

「あなたは妙なことを気にするようになりましたね?」

白髪は少し不思議そうな表情で隻腕に言った。

「いやァ、何か、納まるところに納まったってのがないと落ち着かないんですよね〜」

隻腕は照れたふうでニカッと笑って見せる。 人好きのする笑顔だ。

「ああ……、お気の毒に。 それは年を取った証拠です。だから老人は古典劇を好みます」

白髪は大げさに嘆息してみせる。 隻腕は、あ゛、と言ったきり固まってしまった。

「っ、まぁ、いいじゃないですか!」

たっぷり数秒の間を置いてから隻腕が笑い出す。

「俺も年を食ったんですよォ。でも、これで少しは……」

一呼吸。 隻腕はグッと白髪の方に身を乗り出して言った。

「あなたに追いついたかもしれませんよ?」

口元には悪戯っ子のような笑み。 白髪も釣られるように笑みを浮かべる。

「おやおや。……どうせ私は年寄りです」

わざとらしく悲しげな表情を作る白髪の男。 隻腕は慌てたふうに手を振った。

「いや、そういう意味じゃなくてっ!  あー、もう、ちょっとは幸せな農夫見習って、良いように受け取って下さいよー!」

舌打ちすら混ぜた抗議の言葉はあまりにも親しげで。

二人は顔を見合わせて笑ってしまった。 白髪の男と隻腕の男。 彼らもまた、ある意味幸福な男たちなのかもしれない。


Fin.

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