■ hiding place

某月某日、17時50分。

57階、地上ほぼ230mのスイートルームに二人の男がいた。

この部屋は大きな窓から見渡せる都会のパノラマが売りである。 そろそろ夜景の頃合。 窓の外では街の明かりと車のヘッドライトがチカチカと輝いていた。

一人の男は窓ガラスに手をついて景色に見入っているようだ。 その身を包むのは白っぽい縞模様のスーツと中折れ帽。 何気ない身のこなしがなんとなく、良い。 ちょっと斜めにかぶった帽子がどこか遊び慣れた印象を与える男だった。

「お、いーい眺め……じゃない、か」

ご機嫌な口調が一転、帽子の男は突然口ごもる。 どうやら彼は、傍らに立つ黒服の男の表情を見て語尾を変えたようだ。

全身に黒い服をまとった目を引くほどに長身の男。 彼は窓に背を向けたまま、渋い顔でコーヒーをすすっていた。 苦虫を噛み潰したような表情で時計をにらむ。 興味を持って選んだはずの夜景も今一つ目に入らない。

「気に入ってないみたいね、あんまし」

帽子の男はやや呆れた風に笑った。 それもそのはずだ。 半年先まで予約でいっぱいというこの部屋を是非にと望んだのは黒服の男の方なのだから。

このホテルの一室を利用するのは初めてのことだった。 数ある隠れ家の1つ、というより、彼らはおよそ隠れ家と呼べるものを持たない。 この雑然とした都市の中では決まった居場所を持たないことこそが一番の隠れ蓑となる。

一ヶ所に留まるのは長くても数日。 特別なことがなくても常に居場所を変え続ける。 彼らの動きを常時把握しているのは彼ら自身とごくわずかな部下だけだ。



同日、18時15分。

地下深く隠れた秘密の町にあるという堅牢な建物の奥に男がいた。

真っ白い髪をオールバックに撫で付けた老紳士だ。 男は机に向かって書き物をしている。 それほど大切なものではない。だが、表向きは大切なものだ。

紫檀製の立派な机だった。 白髪の男は書き物の手を止めて、そっと机にペンを置く。 それから黒い革張りの椅子に深々と身体を沈めた。 もうそろそろ約束の時間だ。 アンティークな風合いの照明に照らされて、細い銀縁の眼鏡がきらりと光る。

チーン、とベルが鳴った。 男は机に備え付けられたインターホンのボタンを押す。

『お着きです』

短く告げられた報告に了解した旨を伝え、彼は通信を切った。 ドアが開く。 白髪の男は静かに微笑を浮かべ、来客を迎えた。

「時間通りです。どうやらあなたの遅刻癖は改善されたようですね」

白髪が言うと、出迎えられた客は1本しかない腕を誇らしげに腰に当てた。

「そりゃそうでしょう? もうガキじゃないんですからね!」

その後ろではドアマンらしき青年がくっと顔を背ける。 どうやら笑いをこらえているようだ。 何か裏話でもあるようだが、この場で語られることはないだろう。

「さて、と。行きますか!」
「ええ、行きましょう」

言葉を交わすと白髪の男は隻腕の男と連れ立って部屋を出た。 地下街の上、地上への出入り口であるアパートの前では黒塗りの高級車が二人を待ち構えている。



翌日、03時56分。

ごく普通のオフィスを装ったエージェント事務所にて。

男が一人、椅子の背もたれに体重を預けて反り返る。 背骨がぽき、と小さな音を立てた。

「んん……」

無意識のうちに鼻から息がもれる。 思い切り伸びきって吐いた息は、間髪入れずにあくびをつれてきた。

「ふわあ……」

涙ぐんだ目を強く閉じ、軽く指で押さえる。 痩せこけた顔に大きな目が印象深い男だ。 男は眼球とまぶたの間にごろごろとした異物感を覚え、顔をしかめた。 きっと長いこと集中して画面を見続けていたせいだろう。

長時間物を見つめ続けるとまばたきが少なくなってドライアイが起こる。 そのため、コンタクトレンズが眼球にこすれて異物感を生ずるのだ……。 いつか聞いた眼科医の説明を思い出す。

一週間後にまた来いと言われたが、あれからかれこれ何ヶ月経つのだろうか。 ほったらかしにされて困るのは自分の目だけなのだろうから、まあいいかと思う。 ああ、困るのは医者もか。患者が来なければ稼ぎが減ってしまうのだから。 まあ、いい。 わざわざ医者の稼ぎを増やすために通ってやる筋合いはない。

ちらりと卓上の時計に目をやる。 緑色のデジタル数字が時刻を示していた。 午前四時ちょうど。あと一時間もすれば駅では始発が動き始める。



同日、11時30分。

うらうら暖かい日差しの今日この頃。

タクシーの運転手がくわえ煙草のままあくびをした。 まったくと言っていいほど人通りがないこの高架下はちょっとした穴場だ。 サボっても誰が困るわけでもない。 自分の収入が減ることなら覚悟の上だ。

くわえ煙草の運転手はどっと鈍い音を立ててハンドルの額を打ちつけた。 くよくよと悩むのは柄じゃあない。 そんな男にだってたまには滅入るときもある。 特にこんな立場に立たされた日には。

結論を先延ばしにしてきた。 逃げて逃げてどこまでも逃げて。 きっと逃げ切ってやると思っていたのに。 気がつけば逃げ場を失って立ち往生。とんだお笑い種だ。

そのままの姿勢で数分間。 くわえ煙草がすっかり短くなるまで運転手は動かなかった。 ときどき煙草の灰を窓の外に落とす。 ただそれだけが、彼が彫像ではなく生きた人間である唯一の証のようだ。

やがて彼はふぃと軽く息をついて顔を上げた。 やめだ、やめだ。 俺にはシリアスなんざ似合わない。 サイドブレーキをはずし、アクセルを踏む。 彼はつかの間の隠れ家を出て、再び都会の中心部へと走り出した。



同日、15時48分。

白いシャツの青年が昔は小間物屋だった廃墟の側で目を覚ます。

ここは彼の隠れ家。 廃墟の横の路地の奥、崩れた壁の残骸と伸びきった雑草の林を乗り越えた場所。 つきあたりを別の建物にふさがれたその隠れ家は、比較的安心できるねぐらだった。

張り出した屋根のおかげで雨は防げるし、冷たい風も入ってこない。 近場にゴミ捨て場も水のみ場もないせいか、他の浮浪者もめったにやってこない。 少々変な虫が出る他は申し分ない場所。 危険と安穏が散乱するスラム街の一角に見つけた素敵な寝室だった。

青年の白い服はもう大部汚れが目立つようになっていた。 土ぼこり。 汗染み。 首の周りも黒くなってきた。 食べこぼしのような跡も小さく点々と。 黒い機械油の汚れは働いた証拠。 オレンジ色のスパゲッティソースの汚れも働いた証拠。

青年はときどき小さな工場やレストランの厨房で仕事を得ていた。 皿洗いや古い機械の掃除は汚れとともに貴重な収入をもたらしてくれる。

ところどころに浮かぶかすれたような赤い染みは血だ。

血と言っても暴力沙汰に巻き込まれたからではない。 ノミやシラミに食われた後、その小虫たちをつぶしたときについた跡だ。 これらの虫はたまらないかゆみをつれてくる。 表通りに住んでいたときにも痛みが苦しいと思ったことは何度もあった。 だが、かゆみがこんなにも苦痛だとは知らずに生きていた。

今日も薄汚れた白い服に身を包んだ青年は、襟足をぼりぼりとかきながら寝床を這い出す。 もしかするとノミやシラミに食われるだけましな方なのかもしれない。 この裏通りにはシラミどころか悪魔も住まないと言われる場所もあるくらいなのだから。



同日、17時10分。

「腹減ったー!」

喧騒から隠れるように路地裏でたむろしていた三人組のうち一人が声を上げた。

「そう? 俺はまだ大丈夫だけど」
「減ったっスねー」

仲間二人が口々に言う。 最初に声をあげたウェーブがかった金髪の青年は、はぁ、と息を吐いて天を仰いだ。

「なーんか面白いことねーかなぁ」

隣に座った赤毛の青年がプッと吹き出す。

「そんなこと言うとまた何かあるかもよ? ほら、覚えてる?」

小首をかしげたしぐさに金髪ともう一人の年若い仲間もああとうなずく。 あれはもう2年以上は前のことだ。3年も経ったろうか。いや、まだか。

ホテルとレストランの間の路地に座っていたら、頭上から札束の詰まったかばんが降ってきた。 関わってはいけない。 そう判断して、金を拾うこともせずにその場を立ち去った。 あれは正しい判断だったとは思うけれど。

赤毛の青年は胸の内にちくりとした痛みを感じた。 二人の仲間には特に説明はしていない。 だが、赤毛には気がかりがあったのだ。

それは頭上から金が降ってきた一件のすぐ後に兄と再会できたこと。 兄はプロの『イレイザー(消しゴム)』、消す者。 すなわち人を殺すことを生業とする者。 彼は別のイレイザーから赤毛や金髪たちを守ってくれた。

誰かからの依頼で。

そのときの様子から察するにおそらく自分の兄は当事者だ。 正確に言えば、当事者の一人。 何人もいるであろう、あの大量に降ってきた金に関わる当事者のうちの一人。 あの金に関わっている人物の仲間だろうか、それともその下で働く身の上なのだろうか。 どちらにせよ、裏社会に関わりのあることだろう。

赤毛はまだ悩んでいる。 あの時、確かに守ってくれようとする側と始末しようとした側がいた。 顔も身元も知られている。 青年たちの力ではきっと逃げようもない。

赤毛の青年は思う。 ……この気の置けない仲間たちにどうやって伝えたものだろうか。 たぶん、もう、僕らは関わってしまったのだということを。



同日、18時20分。

優しげな風貌の男が裏通りから表通りへと足を進めている。 茶色い髪は自然な風合いになでつけられていて、いかにもいまどきのお兄さんといった風だ。

向かうは仕事場。 今日の目的地は町のど真ん中にある雑居ビルの七階だ。

途中、少し遠回りをしてごくごく小さな建物の前を通る。 建物の端っこには揉め事処理屋の看板が申し訳なさそうに掲げられていた。 その下に別の男がいる 口元にわずかな髭を生やし、眼鏡をかけた中背の男だ。

茶髪の男が通り過ぎた瞬間、眼鏡の男が視線を上げた。 茶髪もまた眼鏡を見やる。

ちら、と。

重なる視線。 眼鏡は立ち上がり、二人は並んで歩き出す。

以前、偶然にも敵として当たった。 その後からだ。 二人がよく組んで仕事をするようになったのは。 相棒というほど寄り添った関係ではない。 たまたま組んでいるだけの他人と他人。それだけだ。 そのくらいの距離が二人にはちょうど良かった。

茶髪からは血のにおいが。 眼鏡からは硝煙のにおいが。 常人には感じられないほどかすかに漂って、辺りの空気を汚している。

今夜も仕事だ。 二人はイレイザー。 ほどなく二人は本日の仕事場へとたどり着き、仕事に取り掛かった。 今日も、夜が来る。





日が暮れる。 夜が訪れる。

やがて、ビルの群れがあまたの人工的な照明で身を飾り始めた。 大都市の夜は今日もきらびやかな賑わいだ。 窓から見える夜景は美しい光の海。 あの煌めく点の一つ一つが全て人間の息づく証かと思うとめまいすら覚えそうだ。

人。 人。 人。 どこに行っても大勢の人が流れ続けるごみごみした都市。 人々の群れが彼らを隠す。 いわば、この都会そのものが巨大な隠れ処。





同日、23時56分。

喫茶店の横の階段を登った先にあるくたびれたカメラ屋……の奥。

一見するとカメラ屋だけがあるように見える。 だがよくよく目を凝らすと、その先にもう一つ、実に目立たないドアがあるのだ。 今、このドアを開く者がいたなら驚くだろう。 その先の空間はたった一人の先客でみっちりと占められているのだから。

便所の個室と見まごうほどに狭い『店』だ。 入り口に背中を向けて座るのはスキンヘッドに熊髭を生やした男。 カウンターを挟んで差し向かいに座っている赤ら顔の男はこの『店』の店主である。 どうやら店主は酔っているようだ。 狭い狭い室内に濃厚な安酒の匂いが漂っている。

「この辺だね」

甲高い声で店主が言った。 トントン。 軽い音を立てて指差す先はカウンターに広げられた地図。 地図上の数ヵ所には色鉛筆で赤い印がつけられている。

「それぞれ、どういう人たちなのか教えてもらいたい」

熊髭が問うと、酔っ払いの店主はにやにやと笑みながら答えた。

「……ここが地下街の入り口だって噂の場所。 進化反対の総本山『カンパニー』の一番大きなアジトがあるらしいけど〜、まぁ行かねぇ方がいいな。 まず見つかっちまうだろぉしよぅ、生きて帰れねぇよぉ。

……ここは高級ホテル。進化組の親玉さんが昨日泊まってた場所だ……たぶんまだいると思うぜ? 会うのは止めねぇけど、どうかなぁ? 意外と面白がってくれっかもしんないけどな。

……で、ここの派遣関係の事務所が実は代理人のアジト。

……ここの高架下はよ、例のタクシーが最近休憩場所にしてるととこだからよっ。 まぁ、一応教えとくから気が向いたら行くといいや。

……ここら辺は裏通りの中でも安全なとこで、若者が多い。 もしかしたら何か面白い話でも聞けるかもな、若いのってのはアレよ、口軽いからな!

……ああ、ここのバツ印は気をつけな。揉め事処理屋の店なんだけどよ、本当はイレイザーなんだ。 殺しの依頼に行くならいいけどよぅ、こそこそ嗅ぎまわると消されちまうぜ?」

地図上に指先を滑らせながら、一つ一つを辿る店主。 熊髭の男は礼を言って『店』を出た。 さっきの店主には前もって多額の金を払ってある。 しばらくはこのまま町の様子を詳しく教えてくれることだろう。

隠れ家のようなこの『店』で、都会が隠すいつくかの場所について情報を得ることができた。 熊髭は印のついた地図の写しを手に階段を下り始める。 熊髭の男はジャーナリストなのだ。 カメラとボイスレコーダを引っさげ、目に見えぬ戦場を探す。 今日も【Evolution】の正体を求めてさまようのだ、メモ帳とペンだけを武器にして。

『進化』の樹海を切り開く。 大都会という巨大な隠れ処の腹中を探る日々はまだ終わらない。 そんな熊髭ジャーナリストをも身の内に隠して、都会は今日もきらびやかな夜景に身を沈めていた。


Fin.

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