それは作り物なのだ。けれど、本物によく似た光を持つ。
限りなく本物に近い、美しい偽物。そう、それは精巧なる代替品。 その宝石はイミテーション、偽りの輝き。
満足げに言う若者……いや、男が一人。 私は穏やかに笑みを浮かべる。 手を伸ばし、握り合い、契約は半ばまで成立した。 握手は味方になった証の行為。たとえ、かりそめだとしても。
目の前にいる男は、私の視点から見れば若者である。 世間的に言うならば、若者と呼ぶにはやや年を取り過ぎている。 男の顔には嬉しげなさまが見て取れる。
よほど満足なのだろうね。
心の中でそっとつぶやく。 私の顔には仮面よりも穏やかないつもの微笑。 だが、この微笑みはイミテーション。精巧なる作り物。
「仕事は確実だ、まぁ俺の腕を見てもらおうか」少々自信過剰な表情を見せて、男は依頼の文書を受け取った。 書面には彼がなすべき仕事の内容が示されている。 チラリと目を通して、彼は口を開いた。
「報酬をもう少しはずんでもらおうか。こっちも危ない橋を渡るんだ。それなりの見返りが欲しい」抜け目ないつもりの言葉を聞きながら、私はゆっくりとうなずいた。 顔には微笑。 もう素顔よりも板についてしまった、偽りの微笑。
「どうなんだ?」返事を急かす男に向け、私は穏やかに言う。
「では他をあたらせていただきましょう。仕事が欲しいのはあなただけではない」男はせせら笑う。
「あんたは人を選ぶとき、二の矢なんて用意しないはずだぜ?」私も笑う。
そう、その通り。 何人もの候補者を考えるのは依頼に踏み切る前の段階だ。 誰かに事の詳細を伝えたならば間違いなくその人物に賭ける。 それが私の示すいつものやり方。
予備の人材などいらない、全てを賭けて、ただ一人に事を託す。 私が選ぶ者はいつでも唯一無二。私に選ばれるのは誇らしいこと、一流の証。 それが私の信念だと他人は言う。 例外はなく、必ずそうなのだと。
そんなことはない。 本当は誰でもよいと思うときくらいある。例えば、今回のように。 信念すらイミテーション。 これもまた、作り上げた空事にすぎない。
「ではこれもご存知なのでは。私は、そう易々と報酬の上乗せなどはしないと」穏やかな笑みをたたえたまま言う。
「ああ、ご存知さ」男は当たり前だといわんばかりににやりと笑った。
「ただし成功報酬ならば話は別だってこともな」私は彼に優しいまなざしを向ける。 彼は先程渡した文書の紙面をばしりと叩き、きっぱりと言った。
「前金はあんたの言い値でいい。成功したあかつきには、さらに同額の報酬をもらおうか」自信あふれる尊大な態度。 私はやんわりと言葉を返す。
「倍額をお望みとは……。いささかやりすぎでは」男は言う。
「俺にはその価値がある。すぐにわかるさ」ことさら優しく発した声に、男はぴくりと眉を動かした。
「……前金の75%ではどうだ」幾分、用心深そうに問う。 私は答える。
「前金の他に、その30%にあたる金額を用意しましょう。 あなたが満足の行く仕事ぶりを示してくださったならば、それを」口先ばかりは不満げに言って、男はそっぽを向いた。
少しの間、沈黙が流れる。
きっと隠しているつもりなのだろう。不満どころか大満足だということを。 一瞬だけ強く握られた指。 瞳の揺らぎ。 にじみ出す嬉しげな気配を悟られまいとこわばる身体。 必死の演技なのだろうが、何もかも底が浅く簡単に見破れる程度のものだ。
私は表情を変えず、穏やかな微笑のまま思う。
残念だが君の期待には応えられない。
彼はしくじった。 逃れられる最後のチャンスをみすみす逃し、私の手に落ちたのだ。
この男は自分に与えられた本当の役割を知らない。 ただ約束された報酬だけを無邪気に信じた。 しかも十分に私と渡り合い、己に有利な取引を結んだつもりでいる。 実のところ、彼にとってこの仕事は、むしろ拒否すべきものだったのだ。 なにせ、彼が担う本当の役割とは“捨てごま”なのだから。
「商談は成立だな」彼が再び手を差し出す。
「ええ。あとはあなた次第……、成功を期待しています」私は彼の手を握り締める。 会話はそれで終わり。 あとは、別れるだけだ。
哀れとは思わない。 残念だが彼は何も知らなかった。私のことも、彼自身のことも。 相手を知らず己を知らぬのは百戦して必ず負けるであろう弱き者。 そして私の微笑はイミテーション。模造品にだまされるのは愚かさの証。
この町は愚者を許さず、私は弱者に容赦をしない。
男が去り、私は広い部屋の中で一人になった。 偽りの微笑、かりそめの誠意、作り物の穏やかさ。 イミテーションで固められた私という存在。
真実はどこに?
電話が鳴った。
受話器を取ると聞こえてきたのは耳慣れた声。旧知の相棒から、到着を知らせる電話だった。 すぐに部屋へ来るよう促し、電話を切った。
ほんの一瞬、私の口元に本物の微笑が浮かんだ。