■ Impossible


「……無茶をしてくれましたね。」
スーツ姿の男がゆっくりと言葉をつむぐ。
男の手には明るい花束。
ガザニアの花だった。
黄とオレンジの花弁が丸く放射状に広がる様はどこかひまわりにも似ている。
小ぶりながらも鮮やかなそれは、まるで太陽の子供のようにまばゆかった。
差し出された花束の先にはうなだれる若者。
真っ白いベッドの上で上半身を起こし、沈痛な面もちで男の言葉を聞いている。
病室だった。
個室の中は明るく、清潔な白一色だ。
男と若者、二人きりである。
スーツ姿の男はかっちりとしたオールバックに銀の細縁眼鏡。
年の頃は30〜40代といったところか。
若者の方はたぶん20代前半だ。
切りっぱなしの髪に入院患者用のパジャマ姿、少し血の気が失せた顔。
そして ── 右腕がない。
パジャマの右袖は肩のすぐ下から厚みがなく、頼りなげに揺れていた。
布に隠れた肩にはぐるぐる巻きの包帯。
顔色と肩の様子を合わせて考えるに、彼が腕を失ってからそれほどは経つまい。
「……すいませんでした……。」
しばらく続いた沈黙を若者が破る。
ベッドサイドのイスに腰を下ろしつつ、スーツ姿の男は軽く息を吐いた。
「謝られても困ります。今回の件で不利益を被ったのは私ではありません。」
男の静かな口調からは感情が読みとれない。
若者は目を伏せたまま、内心で冷や汗をぬぐっていた。
目の前の男は今、何を思うのだろう。
怒っているのか。
呆れているのか。
それとも嘲笑っているのだろうか。
いずれにせよ褒められていないのは確かだ、若者はそう思った。
スーツ姿の男は若者にとって仕事仲間にあたる。
当然ながら先輩であり、事実上のパートナーでもあった。
ただ組まされているというよりも公私を越えて信頼できる相棒だ。
そんな相手だからこそ余計に気まずい。
再び続く沈黙の中、若者は必死で言葉を探していた。
謝罪以外に口にすべき言葉は?
見つからない。
何を言っても弁解じみた戯れ言になる気がして、若者は押し黙った。
弁解の余地などないのだ。
なにせ腕一本を失う大ケガの原因は、完全に、若者自身の不始末なのだから。
チキチキとかすかな音を立てて時計の秒針が回っていく。
次に沈黙を破ったのはスーツ姿の男の方だった。
「あなたが捕縛された人物の元に戻っていったと聞いたとき、」
若者は視線を上げた。
目が合う。
気難しげに細められた男の目。
不安げな若者の瞳。
「女史は『犠牲者が一人増えた』と思ったそうですよ。」
男は静かに言葉を続けた。
女史というのは彼らの所属するチームのリーダーを示す言葉だ。
チーム唯一の女性なのでこれで事足りている。
「……すいませんでした……。」
若者はさっきと同じフレーズを口にした。
今度のは謝るというより反省の言葉。
うつむいた視界にシーツの白が痛い。
「何度謝罪を重ねたところで、あなたの腕は戻りません。」
男がぴしゃりと言い放つ。
またも訪れた静寂の中、若者はそっと己の右肩に手をやった。



それは暑い日の出来事だった。
本日快晴、まぶしい日差し。
カラリと晴れた夏空には雲一つない。
「それじゃあ、行ってきます!」
若者は元気よくアジトを飛び出した。
にぎやかな町の中心街、その一角にある古いビル。
ごく普通のオフィスを装った彼らのアジトはその3Fにあった。
エレベータに飛び乗る若者の背中を女性の声が追う。
「本当に大丈夫なの? 少し休んだら?」
チームリーダーの声だ。
彼女はオフィスの出入り口からエレベータホールに身を乗り出している。
心配そうな上司の言葉に若者は笑顔で答えた。
「だーいじょうぶですよ、まだまだイケますって!」
しかし、その目の下には薄いくま。
顔全体にも疲労の色が漂う。
「本当に平気なの? 無理だと思うなら早めに言って!」
エレベータの扉が閉まる寸前、女史はまた声をかけてきた。
「平気です! 行ってきます!」
閉まりかけた扉の隙間からガッツポーズを見せる。
だが、扉が閉まりきったとたん、若者は大きく息を吐いた。
それから何かを数えるように1、2、3……、と指を折っていく。
12を数えたところで指は止まった。
「12日目か……。」
悲壮な表情で天井を仰ぎ、独り言をこぼす。
数えていたのは連続で働いてきた日数だ。
最後に取った休暇は先々週の金曜日。
それから11日もの間、休みらしい休みを取っていない。
今日を含めれば12日間ぶっとおし。休憩も睡眠も十分ではなかった。
体力には自信がある。
しかし、さすがに疲れてきた。
だったら休めばよさそうなものだがそれができない。
『どうだ、まだイケるか?』
そう言われると、どうしても「イケます!」と答えてしまう。
『できるか?』
そう問われると、どうしても「できる」と意地を張りたくなる。
まったくもって損な性分だった。
エレベータが1Fに着く。
若者はビルの出口をくぐりながら、腕時計に目をやった。
時刻は午前10時過ぎ。
急がねばならない。
別のチームから応援の要請があったのは20分ほど前のことだった。
ミッションは『救出』。
同じ組織に属する者たちの数名が対抗組織に捕われてしまったのだという。
やっとのことで監禁場所を特定したのが約30分前。
監禁場所は、今は使われていない製薬工場の建物だそうだ。
なにせ広い建物なので捜索には手間がかかる。
なるべく人手が欲しいということで、若者たちのチームにも応援を頼んできたものらしい。
メインで動くわけではない。ただの手伝いだ。
ならば、疲れて本領を発揮できそうもない今の状況でも何とかなるだろう。
そう考えながら若者は現場に向かう車へと飛び乗った。
運転するのは同じチームの仲間。
若者は助手席に座り、シートを倒す。
「着いたら起こして〜。」
それだけ言って、若者はスイッチが切れたかのように目をつぶった。

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