「捕らわれていた人物についてですが。」
ベッドサイドのイスからスーツ姿の男が語りかける。
「はい。」
ベッドの上では片腕になった若者が神妙な面持ちで男の言葉を待っていた。
ちらり。
うつむいていた視線をあげ、若者は男の顔を盗み見る。
「無事だったそうですね、彼は。特に目立つ傷もなく健康状態も良好だったとか。」
はぁ、と小さく応えを返して、若者は思わず笑みを浮かべた。
よかったな、と思う。
ほんのりと心が温まる、そんな感覚。
「しかし、無駄でしたね、あなたの犠牲は。」
その温もりをかき消すようなコメントが飛んできた。
「!? 何で……っ。」
思わず声を上げる。
そんな若者に向かって、男はぴしゃりと言い放った。
「彼はそこまでして助け出す価値のある存在ではなかったということです。」
若者に向けられたのは鋭い視線。
男はそのまま言葉を続けた。
「捕らわれていた人物は小物でした。
特に秀でた能力もなく、組織への忠誠心も決して強くはない。
だからこそ、現場のリーダーは彼を見捨てることを選んだのです。
しかし、あなたはその価値なき者のために片腕を失った。
つまり。あなたがしたことは無駄な骨折りだったということです。」
吐き捨てるように語尾を切る。
男の口調はいつになくキツい。どこか憎々しげですらある。
最初は叱られる子どものような表情で聞いていた若者も途中でムッときた。
「そんな言い方ないじゃないですか!」
ついカッとなって言い返す。
すると男は、若者の意気を弾くように声を荒げた。
「あなたは!」
ドン、とベッドの端を打ち鳴らして言う。
強くて激しい口調。
これは大変に珍しい出来事だった。この男はいつも静かに語りかけるように話す。
若者は思わず目を見開いた。
「あなたは、有用な人間です。私が保証しましょう。」
ここまで言って息を吐く。
男の口調はいつもどおりの静かなものに戻っていた。
「自惚れてほしくはありませんが……。
私が見るところ、あなたにはこの世界で生きる才能がある。
秀でた身体能力があり、頭の回転も速く、バイタリティーに溢れ、適度な猜疑心もあり。
そしておそらくですが、損得などを理由にたやすく仲間を裏切るような人物でもありません。」
男はゆっくりと言葉を続ける。
「すなわちあなたは大変有用な存在なのです。私が思うだけではなく、組織本体にとっても。
さて、ここで質問です。
有用な人物が無用な者のために犠牲となることに、いったい何の意味が?」
語りの最後は疑問系の響き。
突然の問いかけだ。
戸惑いながら、若者は答えを探す。
「でも、そんな、人の命を……、」
「『人命に軽重はない』などという甘い考えは捨てなさい。」
若者の声をさえぎる男の言葉。
若者が言いかけた人間らしい考えをバッサリ切り捨てて、男はすっと足を組んだ。
「この世界では、無能なものに価値などありません。
弱肉強食と愚者の淘汰……それが我々が生きる、闇の世界の掟です。
あなたもまた闇に生きる者。この世界で生きる以上は非情になりなさい。
この世界の掟に、そろそろ慣れることです。」
そう言って、男は口をつぐんだ。
男の眼差しはどこまでも冷たく。
まるで鋭利な刃物のように若者に突き刺さる。
若者も無言になった。
言い返す言葉もない。男の言うことは全てもっともなこと ばかりなのだから。
彼らが生きているのは犯罪すらも正義に変わる裏社会。
正しいのは若者ではなく、男だ。そんなことはわかっている。
無言の時間は数分間続いた。
「なぜ助けに行ったのか、説明できますか?」
突然、男が問う。
「え゛、いや、それはできますよ!」
とっさにこう答えてから、若者はしまったと思った。
下手な答えを返せばまた論破され、叱られる。
叱責を避けようなんて子どものような考えだが、とにかくこれ以上のお説教はごめんだ。
さて、どう説明したものか。
若者が口ごもっていると、男の方が先に口を開いた。
「安っぽいヒロイズムや仲間意識だなどと言ったら、ぶっ飛ばしますよ?」
若者の注意を奪ったのは男のセリフに含まれた意外な言い回し。
つい、きょとんとした表情になる。
「どうしました?」
不思議そうに男が尋ねた。
「……『ぶっ飛ばす』なんて言葉、使うんすね。」
何だかしみじみとした口調で若者が言う。
するとこんな返事が飛んできた。
「あなたの言葉遣いが伝染りました。」
そう告げた男はしれっとした顔。
「あ゛。」
思わず声をもらして、若者はやっと笑みを取り戻した。
その表情を見た男もふっと頬を緩める。
「さぁ、理由は?」
男がうながす。
「え゛、えーと……。」
若者はやはり口ごもった。
正直に言うと怒られる気がする。だが、うまい言い逃れが見つからない。
「説明できませんか?」
男が重ねて問う。
「いや、できますできます。」
反射的に答えると、若者は腹をくくった。
「最初ッから『できっこない』みたいに言われたもんで、つい……。」
正直な話だ。
もちろん人の命を見捨てたくない気持ちもあった。
だがあの時、それ以上に若者の心を占めていたのは反発の心。
できないと言うな、この世にできないことなんてない、そんな反発。
それで「つい」体が動いた。それだけの理由。
「『つい』、であんな無謀な真似を?」
ため息交じりに男が言った。
声音は平静そのもの。
ただ、言葉に混じった息の音がどうも呆れているらしい印象を残す。
「……すいません……。」
謝罪の言葉を口にした若者に、男が言った。
「謝られても困ると言ったはずです。」
今度はぴしゃりとした口調。
どうにも居心地が悪くて、若者は頭をかく。
「無理だとか、不可能だとか言われると我慢できないんすよ……。」
口をついて出たのは弁解にもならないような言い訳。
視線をそらした若者の目を見つめながら、男がささやく。
「実行し難いミッションにほど首を突っ込みたがる、あなたの唯一にして最大の欠点です。」
「すいません。」
つい、また謝ってしまった。
「何度同じことを言わせるつもりですか? 謝罪は不要だと。」
男が言った。
まったく、いったい何度目になるだろう。
この病室を訪れてから、彼が同じような内容の言葉を吐いたのは。
けれど今度の言い方は今までと違っていた。
どこか微笑むような柔らかい響き。
男の顔に笑みはなかったが、鋭い視線は少しだけ和らいでいた。
つられるように、若者の表情も和らぐ。
そらした視線を男の方に戻して、若者はこんなことを言った。
「何か、『できない』って言うと全部そこで終わりって気がして。」
照れたように笑顔を作る。
そんな若者に向かって男が言った。
「あなたが『できない』と言っても、誰かが代わりにやるだけです。
自分にしかできない仕事だなどと自惚れるのはおよしなさい。」
諭すというより、切り捨てるような口調。
表情も再び厳しさを取り戻している。
「そういうんじゃなくてっ、」
若者はあわてて言った。
だが言葉を続ける前に、男がすっと手を上げて言葉を止める。
若者は素直に黙った。
「自惚れてはいないと言いたいのでしょう。
が、私に言わせれば、あなたは確かに自惚れている。」
男が言う。
「どんなに優れた人材の場合でも、その人自身にしかできない仕事は多くはないのです。
あなたが断ったくらいで頓挫するような仕事は元々たいしたものではない。
そこでおしまいになっても構わないことだけがその時点で消えるのです。
本当に大切な仕事ならば他の誰かに受け継がれます。必ず。」
今度は教え諭すような落ち着いた話し方だ。
まるで親子か、教師と生徒。
脳裏にひらめいたイメージに若者はムッと口をとがらせた。
「他人に押し付けて逃げろ、ってことですか?」
いらだちのままに不満の声を上げる。
「それは逃げではありませんよ……。」
男は困った様子で深く息を吐いた。
「どうやら根本から変えてもらわねばならないようですね、その認識を。」
そういうと、男はゆっくりと語りだした。
両手をあごの下で組み、目を閉じて。