■ Meeting

わずかに白む空に灰色の月が転がる。石ころのような輝きのうせた月だ。 同じくらい、輝きの失せた瞳の少年が立ち尽くしている。

少年とよく似た顔だちの優しい兄は、二ヶ月ほど前に姿を消した。 どんなに待っても帰らない兄貴のうわさを聞いたのは、ちょうどそのころ。 やがて、少年は、兄にもらった銀色のライターをお守りがわりに握りしめ、うわさを追いかけ、生まれて初めての表通りに踏み込んだ。

兄を見つけたのは表通りの繁華街。意外とすぐ会えたのはいいが、引きずるようにして家まで戻された。 逆に『なぜここにいるのか』と叱られてしまったものだ。 13歳の誕生日を迎えた夜のことだった。



「何だったんだろうな」

肩越しに自分を見上げて、ウェーブがかった金髪の仲間が言った。 さびた鉄の階段を、さわやかな朝の風が吹き抜けていく。 赤い髪の青年は、金髪より数段登った位置に座り、「さあ」と口の形だけで答えながら首をかしげた。

何、とは、先々週の出来事のことだ。 いつもの路地裏でくつろいでいた三人組の頭上から、とんでもない量の札束が降ってきた。

さすがに、あれにはちょっとやそっとのことでは驚かない赤毛も驚いた。 手をつけずに立ち去ろう、という金髪の判断は賢明だったと思う。 あんなものに関わったら、何事に巻き込まれていたかわからない。

「ちわーっす。あー、髪の色戻したんすねー」

階段の隙間から、声が上がってきた。 聞き慣れた声の主は、二人が座っている非常階段の下にいるらしい。姿の見えない声の主は一番年下の仲間だ。

「見りゃわかるじゃん」

つぶやきながら金髪が笑う。先日なんとなしに黒髪にしたのだが、結局また元通りの赤い髪に戻した。 黒髪したとき、鏡に映る自分の姿が未だ戻らない兄とあまりにも似ていることに気づいたのが主な原因だ。

さびた鉄の非常階段は、直接屋上に続いている。カンコンと階段を登ってきた年下を加え、三人は屋上へ向かった。

「この前会ったあの人、なんか一騒ぎやらかしたらしいぜ」

煙草を吸う人物の仕草を真似ながら、金髪がどこか誇らしげに言う。

「へぇ」

くすくす笑う赤毛。自分のことのように得意になる金髪がおかしくてならない。 もう、ガキなんだからな、と心の中でつけ加えてみた。

「そういえばさ、あのとき、表通りのこと言ってたよな」

金髪が首だけ振り向き、上目使いに赤毛の顔を覗き込んでくる。

「お前、何で表通りになんて行く用事あったんだ?」

一瞬、どきりと心臓が跳ねた。

「ああ、遊びにね…」

久しぶりに兄の情報を探しに、なんて言えるわけがない。 ほんの少し頬を引きつらせながら何とか取りつくろうと、いつもの顔で笑む。 すっかり信じたらしい金髪が、へぇ、だか何だかとつぶやく声が聞こえた。

そうこうするうちに屋上に着く。 屋上からはビルの中にも降りられるのだが、今日は中には入らず、三人仲良く屋上の隅に座り込んだ。 三階建てのごく小さなビルの屋上である。 ここは、半分壊れかけたような荒れ果てた建物が並ぶ、裏通りの一角だ。

廃墟のようなこのビルの内部には、実はたくさんの便利な店がある。 たとえば、どこから仕入れてきたのか定かではない、しかし、趣味のいい古着を売る店。 貧しい裏通りの住民でも満腹になるまで食べられるほど安い食堂。 最上階である三階には、赤毛がお気に入りのロック歌手グッズ店兼バーもある。 中には盗品を買い入れる専門店もあるらしいが、あくまでも善良な(?)不良青年である彼らには、無縁な店だ。

今日は風もなく、コンクリートの屋上には太陽のまばゆい光がさんさんとふりそそいでいる。少し、暑い。

「やー……、あちぃー……」

金髪が吐き出すように言った。

「もう秋じゃなかったっしたっけ」

年下が言う。夏でも秋でも食欲には変わりがないらしく、安いパンなんかを手にしている。

「いや、まだ夏だろ、これは」

ぎらつく太陽を見上げ、金髪が思い切り目を細める。 三人の上には、まるで意志を持った生き物のような太陽が、これでもかというほど輝いていた。 まるで、もっともっと照らしてやろうと狙われているかのようだ。暦の上では、もう秋だが。

「こういうのを、『残暑』って言うんだ」

赤毛は、笑みを浮かべて言った。

「へぇぇ? ザン、ショ?」

年下が、まるでわかっていないらしい声をあげる。 金髪と二人、顔を見合わせて少し笑う。赤毛は、え? え? とくり返す年下の肩をなだめるように叩いた。

二人とも、馬鹿にして笑ったわけではない。ボケたおしな年下の存在は、いつも二人をなごませるのだ。 ふっと空気が柔らかくなる、そんな気分で笑う。いつもの日常だった。

「物知りだな」

突然、声がかかった。聞き慣れない声だ。突然、金髪がはじかれたように立ち上がった。

「あんた、何でこんなとこに!?」

驚いた口調で怒鳴る。悔しげな表情に見えるのは気のせいだろうか。 怒鳴りつけられた相手はというと、ただでも細い目をますます細めてかすかに笑んでいる。

赤毛は思わず息を呑んだ。赤毛だけではなく、年下も目を丸くしている。普段の金髪は、こんなことはしないからだ。 彼はケンカっ早くはあるものの、突然、見ず知らずの相手に怒鳴りだすような人間ではない。

ということは?

赤毛は金髪の横顔を見やり、ついと眉を寄せた。

「誰?……知り合い?」

なぜか、声をひそめて尋ねる。赤毛の隣りでは、金髪が唇をかんで相手をにらみつけている。 見知らぬ相手は、かすかに笑ったようだった。

「俺に用か?」

金髪が、いらついた声を出す。相手は、薄い色のついた眼鏡ごしに、ちらりと赤毛を見てきた。

「いや、違うさ」

ワンテンポ遅れた答えは、相手の視線の先――、すなわち、赤毛から返った。 金髪が、驚いたような表情でこちらを見ている。その気配を受け流して、赤毛は相手を見やった。

「俺『たち』に用事か?」

なるべく、軽口に聞こえるように、小バカにした口調をつくる。不穏な空気を、誰よりも敏感に感じながら。

三人で同じ場面に出くわしても、危険な職業の家族に囲まれて育った赤毛だけにわかることもある。 たとえば今回は、相手の視点が一人ではなく、全員に向けられていることがわかった。 そんな赤毛の心を知ってか知らずか、眼鏡の男が、ふっと笑いながら口を開く。

「ああ、お前『ら』に用事だ」

視線の先には、赤毛。一瞬、時が止まった。


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