「五分遅刻だ。」
静かに、しかし威圧感をこめて、黒服の男が言う。
彼の隣りでは相棒風が帽子をもてあそんでいる。
彼らは今、ホテルの一室で訪問者を迎えていた。
部屋の中は、意外とすっきりした造りだ。
一つ一つの家具は豪華だが、取り合わせ方がいいのだろう。
部屋は三つのブースからなっている。
黒服たちがいるのは部屋に入ってすぐの応接間。
応接間から仕切りなく奥に続くのは、ビリヤードやショットバーがある遊戯室。
残りの一つは壁で仕切られてよく見えないが、おそらく寝室であろう。
黒服の男は、深々とソファに腰掛けている。
彼が迎えた訪問者は先程の中年だった。黒塗りの外国車でやってきた恰幅のいい男だ。
中年の男は黒服の男の正面に掛けている。
他にも数人の連れがいるが、主たる訪問者はやはりこの中年のようだ。
黒服が言った
「時間を指定してきたのはそっちだろう。」
いらだちを隠そうともしない。訪問者は額をぬぐった。
「はは……、手厳しいですな。」
訪問者が愛想笑いを浮かべながら言う。
「こっちは予定ずらして待ってやってんだよ。」
黒服は不機嫌そうに言い放つ。
相棒風が手に持った帽子をひょーいと帽子掛けに放った。ナイスシュート。
訪問者はしきりに額をぬぐう。汗など、全くかいていないというのに。
その傍らでは、訪問者に従ってきた男たちが緊張した面持ちで黒服を見つめている。
「用件は。」
黒服が憮然とした口調で問う。
とたんに、訪問者はいやらしく相好を崩した。
「簡単に申し上げさせていただきますと、実はあの、例の計画の件でして。」
訪問者の眼の奥に、ちらりと顔色をうかがうような光がよぎる。
黒服は、フンとでも言わんばかりにそっぽを向いた。
ふと気がつくと相棒風がいない。
相棒風はいつのまにか部屋の隅に移動していた。
化粧台によりかかり、回転椅子を軽く蹴ったりしている。
いかにも興味がないといった風に、つまらなそうな表情だ。
「こら。」
黒服が眉間にしわを寄せて相棒風に呼びかける。
それでも相棒風は、つまらなそうに椅子をいじくるばかりだ。
終いには、回転椅子に座ってくるるくるると高速で回転しはじめた。
楽しそうだが、何をやっているのか。
しばしその様子を見ていたが、あきらめたのか、黒服は前に向き直った。
「計画がどうかしたのか。」
力強い視線が訪問者を射抜く。
一連の動作にペースを乱された訪問者は、かすかにまなじりを引きつらせながら口を開いた。
「いえ、他でもありませんがね。他社よりも、我々をご信用いただけないかと。」
訪問者は連れに目配せをした。
無言のまま、連れたちが重たげな荷物を取り出す。
先ほど、二人がかりで大切そうに抱えていた荷物だ。
訪問者が連れに向かってうなずく。
連れたちは、荷物の包みを解き始めた。
黒服が片眉を上げた。
「何だ、それは。」
黒服が言う。
彼の前で、訪問者はいっそう愛想笑いを濃くした。
「『女神像』なんですがねぇ。
まあ、わたくしの真心といいますか、誠意といいますか。
お気に召していただければ幸いなんですが。ははは……。」
無意味に笑う訪問者。その笑いの意図は何だろうか。
黒服と訪問者がはさむテーブルの上で、今まさに包みが解かれる。
すると中からは、訪問者の言葉どおり、美しい女神の像が現れた。
背中の羽が天使のようだ。
だがしかし、ふんわりとした襟元からこぼれる豊かな胸は、やはりギリシアかどこか、
ヨーロッパ調の女神のものだろう。
白く硬い大理石の彫刻であるのに、微笑んだ口元は、
触れれば紅が手につきそうなほど柔かい質感を見せている。
瞳の潤んだ様子まで現れているようだ。見事な細工である。
黒服の表情が、一瞬ゆるんだ。
潮が引くように、訪問者の顔から笑みが消えた。
連れを退かせ、自ら不自然に大きな台座に手をかける。
ごとり、と重い音を立てて台座の底が外れた。
黒服の眉がぴくりと動く。
台座の中から出てきたのはジュラルミンケースだった。
控えめな動作でケースのロックが外される。慎重な面持ちで訪問者がケースを開けた。
その頃、相棒風はいつのまにか遊戯室にいた。
ビリヤード台の側に立ち、キューを手に取るとバトンのように回転させる。
風を切る音が颯爽として心地よい。
そんな相棒風とは何の関係もなく事は進んでいく。
黒服の前に整然と並んだ紙幣の束が現れた。
訪問者は、ゆっくりと顔を上げた。
黒服が紙幣の束を手に取る。
カッ、と音がした。相棒風がビリヤードの玉をついたのだ。
白球は赤い玉に当たった。
赤玉は吸い込まれるかのようにポケットに消える。ナイスショット。
黒服は、無言で束の帯を破り取った。一つの束が百枚の紙幣に変わる。もう一束。
相棒風が窓を開けた。
途端に、部屋の中央をひゅうと風が吹きぬけた。
風に巻かれて、紙幣が一枚、窓の外に消える。
一瞬、訪問者たちの顔に驚きとも焦りともつかない表情が浮かんだ。
「あー、いい風だ。」
そんな独り言をつぶやき、相棒風はひょいと窓に腰掛けた。
顔を突き出し、下の路地へひらひらと手など振っている。
次の瞬間、黒服は行動を起こした。
訪問者たちが驚きの表情で硬直する。
黒服が突然、何を思ったか、紙幣の詰まりきったジュラルミンケースを抱え上げたのだ。
「重い。」
ぼそり一言吐いて、黒服はつかつかと窓辺に寄る。
窓辺にはまだ相棒風がいた。
黒服は、こちらを向いた相棒風を引きむしるようにして窓から離す。
相棒風が「わっ。」と短く声を上げた。
そして。
窓から影が舞った。
訪問者たちは目を剥いた。
黒服がジュラルミンケースを、中身の紙幣もろとも窓の下へ放り投げたのだ。
解かれた束からこぼれたのだろう。何枚もの紙幣が、女神の羽のように宙を舞う。
窓の下から数人の悲鳴が上がった。
黒服は眉をひそめ、下をのぞいている。どうやら下には人がいたらしい。
怪我人はいないようで、黒服はすぐ訪問者の方へ向き直った。
黒服が言う。
「こんな美人に重いもん持たせる連中を、信用なんかできねぇな。」
訪問者たちは、わけがわからないといった表情で目を白黒させている。
勝ち誇るような笑みを見せる黒服の男。
その視線の先には、ケースをカムフラージュしていた女神が艶やかに微笑んでいた。
中年たちが去った後、黒服の男はゆったりとソファに身を静めた。
ゆっくりと身体を伸ばし、黒服の男はにやりと笑う。
ふと見ると、相棒風が引っ張られた勢いのまま壁に激突して倒れてしまっていた。
「何やってんだか。」
黒服は、気の抜けた口調でつぶやいた。
Fin.
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