湿っぽい壁際に座り込んで天を仰ぐ。
空は青い。
一番年下の仲間がぽけっとした表情で、でも真剣にうなずいている。
「そう簡単にイイことなんかないさ。」
前髪をかきあげながら、もう一人の仲間が笑う。
こいつの髪、一昨日までは確かに赤かった。
今は真っ黒だ。いつ色を変えたんだろう。
赤髪あらため黒髪になった仲間は、さっきから何度も前髪を引っ張りちろちろと眺めて
いる。
やっぱり自分でも見慣れないうちは気になるものなんだろうか。
「だよなっ♪」
そんな仲間を見上げながら、にやりん♪と笑って見せた。
俺もそう思うから。確かに、そう簡単にイイことなんて転がっているわけはない。
特に、この辺りには。
右を見れば、汚れたドブのような裏通り。
左を見れば、まっすぐ伸びた路地の向こうに偽物くさい明るさの表通りが広がる。
どっちに転んでもろくなことなんかありゃしない。
俺たち三人がいつもうろついているのは、当然ながら裏通りだ。
表通りは別の世界で、とても俺たちが遊びに行ける場所ではない。
でも本当に俺が気に入っているのは、ここみたいな路地だった。
裏でも表でもない、独特の雰囲気がある。
だから今日もまた、俺たちはくそ狭い路地に顔をつき合せて座り込んでいるのだ。
さして背の高い方じゃない俺でさえ、めいっぱい足を伸ばせば向かいの壁に届く。
三人で座り込むのがやっとの幅しかない。それでも、居心地は最高にいい。
俺は大あくびをこいてから、言葉を続けた。
「……ところで、今日頭赤くないじゃん。何で黒いの?」
黒髪が、戸惑うような表情になる。
「これ? 色変えたかっただけなんだけど。変かな?」
またもや前髪を引っ張って、上目づかいに見上げている。
「けっこーいいかんじっすよ。」
一番年下が言う。
とにかく赤髪、というイメージだったやつが黒い髪でいるのはなかなか新鮮な眺めで、悪くない。
俺も「いいぞっ」なんて、勢いよく言ってやった。
「ありがと♪」
黒髪がにっこり微笑む。平和な風景だ。
こんな場所にも、平和とか日常とかいうのがあるんだなあ、と思う。
俺たちがなごんでいる場所は何もない裏路地なのだ。
こんな路地、表通りから見れば建物どうしの隙間でしかない。
片側は金持ち達が好んで利用する高級ホテル。
反対側は煉瓦造り風のビルで、中にはかなり御高いレストランや会員制のカジノバーが入っているらしい。
ま、俺たちには一生縁のないものだろう。
俺はホテルに寄りかかっている。仲間二人はビルに。
どちらも背もたれにするくらいしか関わりようがない、表通りの建物なのだ。
「腹減んないスか。」
一番年下が言った。
「俺、減った。」
「オレもー。」
俺と黒髪も口々に言った。
タイミングを計ったように、ビルの側からうまそうな匂いが漂ってくる。
……いいメシ食ってんだろうな、この中のやつらは。
「いーなあ。」
思わず口に出してしまう。
「何が?」
不思議そうな声が返ってきた。
見ると、黒髪がきょとんとした表情で俺を見ている。
「中のやつらはいーもん食ってんだろーな、ってさ。」
黒髪と年下が寄りかかったビル側の壁を、つま先でとんとん叩きながら言ってやった。
俺の落胆したようなそぶりがおかしかったのか、仲間は二人同時に噴き出した。
「あはは♪」
「たまにはいーもん食いたいっスねっ。」
おかしげに笑う。
「あーあ。」
俺も笑い顔になりながら、おおげさに声を上げた。
天を仰ぐ。
「金とか降って来ねーかな。」
また、みんなで笑う。こいつらといると本当に笑顔が絶えない。
「いいっ、それいいっ!」
「来ないよぉ〜。」
「あははっ、降って来〜い!!」
けらけら笑いひやかし合う。
こうやって今日も、いつもと変わらない一日が過ぎていくのだろう。
「あれ、なんだ?」
俺の顔めがけて何かが降ってきた。
とっさに頬と手で挟みとめる。ぱしりと乾いた音がした。
「……あっ!」
「おおっ!?」
仲間が反応する。
「?」
何だろう。
顔に張り付いたものをひょいと摘み上げる。
何かの紙切れのようだ。長く四角い形で、少し厚みのある紙質……。
「あ゛!?」
思わず、奇声をあげた。
「降ってきた……。」
仲間のどちらかが言う。俺は愕然とうなずいた。
俺の指に挟まれているのは、まぎれもない、札ビラだ。
それもピン札。手が切れそうなほどパリッとしている。
一番金額のでかい札だった。俺のような貧乏人には、大金だ。
「なんで?」
俺は、呆然とつぶやいた。
目新しいことが起きてしまった。もう、『いつもの一日』じゃあない。
いったい何だってんだ?
何が起こってる?
上を見上げる。どこまでも青い空があるだけだ。
大小さまざまな雲の他は、特に珍しいものも見えない。
「なにあれ。」
誰ともなくつぶやく。
俺も気がついた。
「誰だぁ……?」
狭い路地から空を見上げると、澄み切った青をはさむように、黒ずんだ壁が見える。
その壁の一方から、誰かが顔を出していた。
いや、『壁から』なわけはない。
正確には、壁の高い位置 ――おそらく五階か六階―― の窓が開いていて、そこから誰かがこっちを見下ろしているのだ。
俺たちが気がついたのを知ってか、ひらひらと手なんか振ってやがる。
「変な頭。」
「と、メガネ。」
黒髪と年下が言った。俺も無言でうなずいた。
そのとき。
その『誰か』の頭が、ひっぱられたみたいに急に引っ込んだ。
おやっ?と思う間もなく、窓から四角い影が飛び出す。
影が急速に近づく。
俺たちに。
あっという間に俺たちの頭に迫ってくる!!
「あぶないっ!!」
思わず叫んでいた。
仲間二人がはじかれたように横へすっ飛ぶ。俺も思い切り飛びのいた。
俺の身体をかすめるように、重たげな『物』が激しく地面に叩きつけられる。
危なかった。
もし飛びのくのが一瞬遅ければ俺の真上に落ちていただろう。
恐る恐る振り返ると、どうやら、落ちてきたのは金属製のトランクらしかった。
白く見えたが、もっとよく見るとつや消しの銀色だ。
ん??
まさか。
こ、これってまさか、ひょっとして、話にしか聞いたことのない、あれか?
そうだ、これはもしかして、あのジュラルミンケースってやつじゃ!?
「うっ…わあっ!」
「なっ……!?」
先に振り向いていた仲間二人が同時に叫んだ。
トランクに釘付けだった俺も、遅まきながら息を飲む。
「さっ……、つ、た、ば……。」
トランクから、あふれるように、見たこともない大量の札束が散らばっていた。
上空からは、束が崩れてバラバラになったらしい札片が、ひらひら、ひらひらと落ちてくる。
しばらく動けなかった。脳みそが痺れたみたいに何も考えられない。
石化した俺たちの頭上を、周囲を、無数の札片がとめどなく舞い落ち続ける。
―――どうする?
―――どうしよう、か?
―――これ……
声にならない言葉が、俺たちの間を駆けめぐる。
ふと、自分の手に目をやった。
そこには一枚の札片が握られていた。一番最初に降ってきたやつだ。
俺たちの足元には無数の札束が散らばっていた。
地面を見ようにも、紙幣で埋まって、下にある大地がろくに見えないほどだ。
これが全部、金。
全部、金なのか。
手を伸ばせば、届く。すぐそこだ。とがめる者は誰もいない。
俺たちが一生かかって稼いでも、とうてい手に入らない金額だろう。凄まじい大金だ。
それが足元に転がっている。
夢のような金額の……
……
……紙切れが。
突然、はっきりと思考回路が回りだした。
ぐしゃり。
手の中の札片を、思いきり握りつぶす。
「……行こうぜ。」
低く、しぼり出すように言う。返事はない。
「行こうぜ。」
もう一度言った。今度は、自分でも驚くほどきっぱりした口調だ。
黒髪も年下も不意を突かれた感じでぽかんとしている。俺は、もう一度繰り返した。
数秒の間があった。
「ああ。」
「はいっ。」
仲間たちが答えた。
背中に、未だ舞い落ち続ける紙切れの気配を感じながら。
せっかくのチャンスを見逃して、手ぶらで立ち去る。
こんな話を賢い誰かが聞いたら何と言うだろう?
あんたはどう思う?