■ NO EVOLUTION − prologue

勢力を広げている、との噂だった。元々は単独行動ばかりだった二人組のしがない不良。 その二人が徐々に仲間を集め、グループを成しているという。

仲間 というより 子分 に近いものだろうということは容易に推測できた。 それなりに実力のある二人組を兄貴分として慕う若年層が出てきたのだ。 その若年層を身内として受け入れた結果、自然発生的に生まれたグループ。 それが新勢力の実情だった。

“心理的なつながりは強いが、必ずしも足並みがそろっているわけではない”

そんなグループ。だから次のように判断を下した。

恐るるに足りぬ、と。



明かりを灯した車内で、白髪の男がわずかに顔を上げる。彼は今、報告を聞いている最中だった。 向かい合う座席では報告書を読み上げていた秘書が静かに口をつぐむ。主の微妙な変化に何かを感じ取ったのだろう。実によくできた秘書だ。

ゆったりとした室内……、いや、後部座席内に静寂が満ちた。真夜中。黒塗りの車は闇と戯れるように間道を行く。 豪奢な8人乗りのリムジンは持ち主の趣味ではなかった。あくまでも権威を示すための記号。乗らなければならないから乗っているだけだ。

無言のまま、白髪は暗い窓に目をやる。 加工を施した薄黒い窓ガラスは光をよく弾き、鏡のように車内の様を写していた。 外は点在する小さな街灯以外は何も見えぬ暗黒の世界。

ふと、既視感デジャ・ヴを覚えた。

窓に映る己の鏡像と視線を交わす。記憶の奥から探りだす、既視感の正体。やがて白髪の男はとある日のことを思い出した。

その日もちょうど今のように移動中だったはずだ。 運転者はかつての白髪自身。助手席の相棒が読み上げてくれる報告書で、巷の情勢を確認していた。

そこで聞いたのだ、あの二人の噂を。

勢力を広げている、という話だった。元々は単独行動派だった二人組の不良が徐々に仲間を集め、グループを成しているという。 仲間 というより 子分 に近いものだろう、ということは容易に推測できた。それなりに実力のある二人組を兄貴分として慕う若年層が出てきたのだ。その若年層を身内として受け入れた結果、自然発生的に生まれたグループ。それが新勢力の実情だった。

“心理的なつながりは強いが、必ずしも足並みがそろっているわけではない”

そんなグループ。

当時、白髪の男は次のように判断を下した。恐るるに足りぬ。だから見過ごしたのだ。しょせんはありがちな若手徒党の一つでしかない。自らが敵とするには小さすぎる獲物。そう、考えていた。

あの日、あの時、初めて注意を傾けた相手。向こう気の強い長身の若者と、その相棒……。 今は懐かしくすらある若い二人組の話。まさか彼らが、十数年も後の世で絶対の敵として合間見える相手だったとは。

当時、相棒だった隻腕の男から何度も何度も聞かされたものだ。あの二人は見込みがある、将来きっと大物になる、と。だが恐るべき敵になるとは彼も言っていなかった。きっと、そんなことは夢にも思っていなかったのだろう。白髪の男自身と同じように。

相手にする必要はなしと踏んだ、あの日の判断。今となっては間違いだったと言う他はない。 白髪は一度まぶたを閉じ、一呼吸置いてからゆっくりと開いた。ガラスに映る自身に問いかける。

もしあの時、彼らの芽を摘んでいたら?

そして自嘲的に笑う。同じことだ。彼らをつぶしていたとしてもどうせ別の誰かが声を上げていただろう。きっと、同じように。


EVOLUTION!


その号令は突然に叫ばれ始めた。調査に調査を重ね、行き着いた発端は些細な理想論。あるパーティーの席で絵空事のような演説をぶったものがいたらしい。裏社会にはびこる大手の市場独占を打破せよ、と。

この理想主義者は敵ではなかった。最初の演説以来、動きらしい動きを全く見せていないからだ。口先ばかりの無能者でしかない。

問題なのは二番目に声を上げた者だった。中堅組織のトップとして成功を納めた、その男。彼は全身を黒ずくめで覆うのが趣味らしい。黒服の男は、今こそこの世界を変えてしまえと行動を起こした。

最初の一人。

『進化』することを選んだ、始まりの人物。彼こそ、かつて『新勢力』の核であったあの二人の片割れだった。 昔、相棒の気に入りだった不良少年たちが、成長して現体制に牙をむいてきたわけだ。 現体制の巨頭である白髪の男にとっては忌々しき事態。 気づけば、事態は無視することのできないところまで進んでしまっていた。


EVOLUTION or NO EVOLUTION? 世はどう動く?


白髪の男はおもむろに車内の明かりを消すよう命じた。ふつりと橙色を帯びた照明が消える。 車内が暗くなったおかげで窓ガラスの向こうがよく見えるようになった。 暗黒と思えた窓の向こうには木々が立ち並んでいる。等間隔に並ぶ真っ直ぐな影は電柱だろうか。

夜空は薄く明るみを帯びていた。町の明かりのせいだろう。星も見える。静かで小さい不動の光だ。 さっきまで窓に映っていたのは自分の姿だけだった。今見えているこの風景はどうだ。車内の空間と比べて、どんなに広く、多彩であることか。

同じだ、と思った。

明るさに差のある空間を隔てるガラスの壁。その様子は人間がいかにして外界を知覚するかというときの比喩に使える。

人はガラスの箱に入っているようなものだ。透明なように思えるけれどそこには確かな壁がある。 内側から見る景色はすべて自分なりのガラスを通した景色なのだ。内側よりも外側が明るければ、外の景色はよく見える。だが、明るい室内と暗い外だったなら? 何も見えやしない。ガラスは黒い鏡となって自分の姿が見えるばかりだ。

内が外より暗きに沈んで、初めて外の様子が見える。自分を照らす明るい光を消したとき、初めて闇に潜んだあまたの形が見えてくる。

これまで白髪の男は燦然と輝く明るみの中にいた。大組織の威光という明かりのついたガラスの内側から見た世界。それは数少ない要注意人物とその他大勢とに二分された単純な世界だった。闇の中の街灯のように、特に目立った人物だけが見える状態だ。それ以外の闇は等しく無に見え、奥に潜んだ物の形までは目に入ってこない。

無論、情報収集を怠っていたわけではなかった。どんな細かな動向も把握するよう最善を尽くしていたつもりだ。しかし、知覚できていなかった。光を放たぬ暗闇の底で、取るに足りなく思えた者たちがじわじわとうごめいてことを。

明かりを消し忘れたのだ。自分がガラス越しにものを見ていることを忘れてしまっていた。

不覚。気づかぬうちに身にまとっていたのはやはり驕りだろうか。 白髪の男は軽い後悔を感じて眉根をしかめた。それは久しく忘れていた、実に不快な感情。


『進化』 ―― この苛烈なうねり。


押し返さなくてはならない。二度とこのような後悔を感じないためにも。

白髪はこの激動を真の意味での『進化』であるとは考えていなかった。

どちらかと言えば破壊に近いと思う。何かを産み出す動きではなく、壊すための動き。先を見越しているわけではない。ただ、今が気に食わない。だから変えたい。それがこの動きの原動力。『進化』の結果がどんなものか、真剣に考えている者など稀だ。

だからこそ、渡すわけには行かない。この世界を。戦争を経験していない者には平和の価値はわからないという。真理だと思う。過去の痛みを知らないものたちに今の価値はわからないのだ。そう、いつだって。

ひらり。窓の外で何かが揺れた。

暗闇に慣れた白髪の男の目が闇に浮く四角い形を認める。どうやら電柱に貼り付けられた広告か何からしい。いくつも、いくつも、電柱があるごとに必ず貼りついている。破れていることも多いようだ。

いったい何の広告だろう?

ふと、気に留めてみる気になった。 運転手に言って車を止めさせる。忠実なる運転手は真っ暗い中を用心深く歩き、電柱から紙をはがしとって来た。 戻ってきた運転手から紙を受け取る。それは麻薬撲滅運動のビラだった。


NO DRUGS!(麻薬、反対!)


質の悪い紙切れの上でにじんだインクが叫ぶ。

NO!

思わず、鼻で笑っていた。この連中の行動に意味などない。そう叫ぶのが正しいからそうしているだけ。この場合の正しさには根拠などいらない。正しいから正しいのだとただ信じればよい。考えることすら放棄して、ただ、ただ己の正しさに酔いしれるだけ。どんなご立派な信条も叫びたいがためにつくろった大義名分だ。

ふと、自分も同じかもしれない、と思った。

まるで自然の摂理のように、反射的にEVOLUTIONへの反対を唱える白髪の男自身も。 平和の価値だの、破壊の阻止だの、そんなものは皆、飾り物のお題目。

一番の動機は?

……保身、かも知れない。EVOLUTIONで世界をひっくり返されて、一番困るのは白髪の男たち今の重鎮だ。

保身。保身か。なんと身勝手で情けない動機なのだろう。そう思うと無性におかしく、声を上げて笑いたくなった。


―― NO EVOLUTION.(進化、反対)


くだらない世の中に身勝手な平和を。

全ては、この私のために。


Fin.

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