■ Parrot

指定された場所は高級なホテルの一室だった。部屋まで続く長い廊下を歩く。深い紅の絨毯はフカフカしすぎて少し歩きにくかった。豪奢な建物の中はとても静かだ。静か過ぎて呼吸の音すら耳につく。

辿り着いた部屋のドアをノックすると、馴染みの顔が迎えてくれた。

「いつもご苦労さんねぇ♪」

得意客はウインクを一つ。私は黙って頭を下げる。労われるのは嫌いじゃない。

通された部屋の中には小さく音楽がかけられていた。

「で、用件は〜っと」

言いながら、彼はさっとカーテンを閉める。これで私たちの様子は誰にも見えない。部屋の中には誰もいなかった。私と、得意客であるこの男を除けば。

「伝言をお伝えします。『S、H、J。準備万端。最終判断を仰ぎます』です」

私が静かに言う声を、得意客はきゅっと帽子を整えながら聞いた。この男はいつも帽子をかぶっている。室内でも、車内でも。

「OK。じゃあ、こっちの返事も向こうに伝えて。YES、それだけ」

彼の瞳がきょろりと光る。ユーモラスな表情、でも、どこか抜け目のない印象。

「『YES』ですね」

私は預けられた伝言をくり返す。

「そ」

得意客は答える。それで密会は終わり。部屋に入ってからこの瞬間までほんの2分間。

「それでは、失礼いたします」

お辞儀をして出て行こうとする私を得意客が引き止めた。

「ちょっと会ってかない? 今日はウチの相方も一緒なんだけど」

ここ数回、同じセリフで引き止められていた。

ウチの相方さんとやらがどんな人なのか、少し興味が湧く。でも駄目だ。遊んでいる暇はない。私の日々は忙しいのだ。仕事一件ごとの単価が安いから数をこなさなければ生活していけない。本当はもうちょっと給料を上げて欲しいのが正直なところ。

「申し訳ありません」

それだけ告げて、私は部屋の出口へと足を向けた。

「忙しいんだね」

得意客の呟きが聞こえる。どことなく暖かい響き。部屋を出ようとしたとき、後ろから明るい声が飛んできた。

「またね、かわいいオウムちゃん!」

オウムとは、私のような『メッセンジャー(伝言屋)』と呼ばれる者たちの俗称だ。 私は立ち止まって黙礼を返す。オウムちゃん。私はこの呼び名が嫌いではない。言いえて妙だと思うのだ。蔑称だと嫌う人も中にはいるけれど。

部屋を出る。フカフカの廊下を来た道のとおりになぞって帰るのだ。 伝言を届けに、別の場所へ行かなくちゃ。 ほどなく着いたエレベーターの前はちょっと広いホールになっていた。ホールには座り心地のよさそうな二人掛けのソファが二つ。見知らぬ男が一人、ソファに座っていた。

「……その仕事は楽しいか?」

突然、その男が言った。驚いて振り返る。男の目は確実に私を見ていた。どうやら、呼びかけた相手は私であるらしい。黒い服を着たひどく背の高い男だった。座っていても足の長さが目を引く。

「あっちこっちパタパタ飛んで、忙しい『オウム』ちゃん」

妙に力強い目が私を射抜く。

「そんだけ動けりゃ、もっとでかい仕事もできるだろうに」

からかい半分にしか聞こえない言葉が私の胸をえぐる。

「余計なお世話です」

答えてから、ふと思った。この黒服の男は、なぜ私が『メッセンジャー』であることを知っているのだろう。特にそれを示すような格好をしているわけでもないのに。

「知恵、度胸、口の堅さ」

男は言葉を続ける。

「どれも一級品なのに、もったいないなぁ」

もったいない? 実力があるのにオウムなんて簡単な仕事をして、ということ?

私の仕事が軽んじられている。そう思うとムッときた。ひどく、ひどく優しい口調がいっそう腹立たしい。

「……余計なお世話です」

いらだった口調を投げつける。黒服の男は動じた様子もない。手を頭の後ろで組んで、なおも私を見ている。

「どう? 俺んとこで働いてみない? 一流のエージェントとして」

黒服が言った。引き抜きの話だったのか。なんだ、と私は思った。優秀な人間を同業や異種類似業の会社が引き抜きに来るのはよくある話。私がそれほど優秀かはわからないが、今までにも誘いをかけられたことなら何度かある。

それにしても『エージェント(代理人)』とは。『メッセンジャー(伝言屋)』にくらべたらかなり高いスキルを要求される職業だ。当然、給金も高い。だいたいの相場はたぶん5倍くらい。大出世だな。うっかりそう思ってしまってから、あわててその考えを打ち消した。他の仕事になんて就く気はないのだから。こんな申し出は断らなければならない。

「もったいないお話ですけれど、他を当たってください」

剣呑な言い方で返事をし、私はエレベーターのボタンを押した。

「それで幸せか?」

黒服の男が言った。

エレベーターのドアが開く。私は、無言のままエレベーターに乗り込んだ。



はじめまして、皆さん。 私はオウム。 職業は『メッセンジャー(伝言屋)』。

オウムとはいうけれど、当然ながら小鳥ではない。言うまでもなく、人間。性別は女。年は20歳。巨大な都会を飛び回り、口伝えでメッセージを届けるのが私たちの仕事だ。

教えられた言葉をその通りに繰り返す、それだけのこと。けれど素人のおつかいとは違う。私たちはプロなのだ。伝言を間違えてはいけない。正確に記憶し、正確に伝える。一語一句、さながらテープレコーダーのように。守秘義務は絶対の掟。預かった伝言は何があっても漏らしてはいけない。伝言の中身を知っているのは、預けた客と伝え先の客、それに私たちオウムだけ。

オウム。私はこの呼び名が好きだ。だって、ぴったりではないか。言葉を聞き取り、覚えこむ。誰かのところに飛んで行き、覚えたとおりにくり返す。ほら、まるでオウムのようだ。伝書鳩という言い方もあるけれど、オウムの方がいい。鳩は言葉を覚えない。あれはただ文書を運ぶだけ。そこには紙が残ってしまう。

紙は誰でも手に取れる物質。誰かの手に渡れば、そこから情報が漏れてしまう。だから『メッセンジャー』は決してメモを取らない。どんなに長い伝言でも必ず記憶だけを頼りに届ける。もっとも、オウムに長い伝言を預ける客なんて滅多にいないのだけれど。

この通信機器万能の時代にそんな仕事、と思うかもしれない。けれど、こんな時代だから私たちが必要となる。

電話は盗聴されている。メールは盗み見られている。どんな通信手段もきっと傍受できてしまう、それが発達しきった現代の常識。唯一、技術だけでは盗み出せないのが人間の記憶。だから客たちは『メッセンジャー』を使う。

『メッセンジャー』は簡単に見えても価値がある仕事。誰にでもできる仕事ではない。……そう思いたい。

さっき預けられた短すぎる伝言のことを考えた。YES。子どもにもできそうな簡単な任務に思える。揺らぐのは誇り。私が選んだ、この仕事への誇り。

『それで幸せか?』

今の仕事を続ける日々は、幸せか? さっき投げかけられた言葉を自問自答してみる。 迷わないで、私。やりたくて選んだオウムの生き方。幸せ。きっと幸せなはず。そう考える。



ホテルを離れ、国道沿いに出た。 行き交う車の騒音。ときどき叫ぶのはクラクション。ホテルから道を二本隔てただけでこんなにもやかましい。 いかにも都会らしい、排ガスくさい空気。表通りと呼ばれる明るい地域の中でもとりわけ交通量の多い道路だ。

車にとって快適な道はしばしば歩行者に厳しい。ここもそうだ。横断歩道が少なくて渡りづらい道。かといって、勝手な場所を横切るには交通量が多過ぎる。仕方なく2ブロックほど先の横断歩道を目指して足を進めた。

歩きながらまた考えるのは、やはりさっきの伝言のことだ。いつにも増して短い伝言だった。YES、たったそれだけの預かり物。あれなら誰だって間違う心配はないだろう。時々迷う。伝言があまりにも短かったり、下品な言葉だったりするとつい思ってしまうのだ。私の仕事の価値とは何だろう、と。

さっきの客のことを思い出す。彼は最近では一番の得意客。よく仕事を頼んでくれるし、別の客に頼まれた届け先としてもしばしば顔を合わせる。

『いっちばん頼りになるね、君。また頼んじゃおう』

いつのことだったか。帽子の下から人懐っこい笑みをのぞかせて、あの客は言った。あれはどのくらい前のことだろう。それほど昔のことではないのだけれど、確かには思い出せない。とりあえず、今とは違うホテルで会ったときなのは間違いないはずだ。

あの客はホテルを転々としているらしい。しょっちゅう顔を合わせるが居場所はいつも違うから。あの客がどういう素性の人間なのかは知らない。だが、あまりまっとうな世界に生きているわけではないようだ。伝言の内容や相手の様子からはそう思える。ときどき違法な指示を運ばされていることにもうすうす気づいてはいるが……、

そこまで考えたときだった。

私は突然、奇妙なことに気がついた。私の横に一台の車が迫っている。後部座席の窓を真っ黒に塗った小型のワゴン。車は私の狭い歩幅に会わせ、ゆっくりと進む。どうやら跡を尾けられているらしい。そう思ったとたん、車が止まった。

危険だ。とっさにそう感じて、私は走り出した。後部座席のドアが開き、車内から二人の男が飛び出してくる。 マスクとサングラスで顔を隠した怪しい二人組。私は声を上げた。

「誰か! 助けて!」

いくら叫んでも助けは来ない。あたりに人影はない。高速で走り去るのは先を急ぐ自動車だけ。しかもワゴン車の影になって、車からはこの事件がよく見えないのだろう。しかたがない。今すぐの救助をあきらめた私は全速力で駆け出した。

しかしヒールの高い靴が敗因だった。私は足首をひねるようにしてその場に転んでしまったのだ。痛い。顔をしかめる間もなく、私は男たちに捕まった。車内に引きずり込まれる。中には男がもう一人。車内にいた男は暴れようと試みる私を強い力で押さえつけた。

がっちりと拘束された腕に鋭くて小さな痛みが走る。針を刺されたような感触だった。ほどなく、私の意識はかすむように失われていった。遠くでエンジンの音がする。ぼんやりする頭で、どこかへ連れ去られているようだ、と考えた。


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