■ The reportage

ノートには、すでにいくつかの走り書きが記されていた。

 ・そもそもEvoとは何なのか
 ・黒幕いる?力を散らす真意は?
 ・不思議な動きをしている人物との接触を
 --------------------------------
 ・(情)よりネタあり、例の件に引っかかる人物と接触できる方法あり
 ・タクシー、昼〜夜メインストリート、屋根に★
 このメモを見られなかったのは運がよかったかもしれない。ここにはありありと熊髭の嘘をバラす内容が書き込まれていたのだから。正確に言えば、嘘ではない。隠し事と嘘は違うと言うのならば、だ。
 熊髭は運転手にこう伝えた。情報屋に伝えた人探しの条件とは、古くからの裏の事情に詳しく接触が簡単、かつ名の通っている人物、であると。
 運転手へ伝えたことももちろん本当ではある。だが、それだけではなかった。もう一つ。熊髭の依頼には続きがあった。『ある条件に当てはまる動きをしたことのある人物を教えてくれ。』という続きが。
 ある条件とは、『結果的に権力や財力などを散らす仕事をした』ことだ。【Evolutoin】の中で誰に力を集めるでもなく、むしろ力を分散させる動き。そこには今までの常識では図りきれない意図が隠れている気がしてならない。力を散らす者たちは【Evolutoin】独特の存在と言えるだろう。彼らの出現自体が『進化』なのかもしれない。
 熊髭の男は知っていた。星印のタクシーを運転する男が、その独特の存在の一人だということを。
 なぜ彼が、そのような動きをしているのか?
 おそらく存在するであろう、彼の後ろにいる巨大な仕掛け人は誰なのか?
 答えは、まだわからない。きっと今日の接触だけではわからないだろう。ならば、多少質問をひかえめにしてでも何とか今後につなげたいものだ。何度もくり返し会い、うちとけてからなら、もっと深い話も聞けるはず……。

「そろそろ始めようか」

 つかの間の沈黙を破ったのは運転手の声だ。
「あ…」
 思わず、言葉につまる。とっさに対応できずに目を白黒させる熊髭の男。完全なる油断だ。
「ん?」
 あ、と言ったきり黙ってしまった熊髭をうながすように、運転手が鼻先で問う。熊髭はあわててノートのページをめくった。
 取材開始。時刻は午後11時を回っている。
「えーと、では、いくつか確認の意味で質問させてください。その後で本題に」
「本題、ねぇ」
 しどろもどろな熊髭に、運転手は不信そうな雰囲気だ。その雰囲気を感じ取った熊髭は、ときおり舌をかみつつ、わたわたと説明を始めた。
「本題と言ってもですね、えー、やっぱりいくつか、あの、質問させていただいて…、あっ!そうだそうだ、つまり、インタビュー形式でお願いしたいんです」
 しどろもどろ、どころか、しどろもどろもどろもどろ、くらいの表し方はできそうだ。本当にプロのジャーナリストなのか疑わしいほどのうろたえっぷり。熊髭氏、大丈夫なのだろうか。
「ぶっ、くくくくく、いんたびゅー?俺に?あんた変わりモンだな」
 熊髭の使った言葉がおかしかったのか、くわえ煙草の運転手がふき出す。照れ隠しするように頭をかいて、熊髭はあらためて問い直した。
「えへへへ……。あ、あの、よろしいでしょうか?」
「ああ、いいぜ」
 ぽん、と小気味のよい返事が返ってきた。どうやら感触は良好だ。おほん、と。咳払いをひとつして。
「では!」
 我らが熊髭氏は、明るい口調で切り出した。
「まず、お名前を教えていただけますか?」
「知ってんだろ」
 間髪入れずに返された。粋な感じで煙草をふかす、運転手のツッコミは的確だ。確かに熊髭は、すでに運転手の氏名を言い当てている。
「え!?あ、そうか…。すいませんっ」
 自分の放った質問の間抜けさに気づいたのか、熊髭はまた頭をかいた。
「おいおい、大丈夫なのか?」
 運転席では、くわえ煙草の男がバックミラーで熊髭の様子をうかがう。暗い車内を映す鏡の中で、熊髭の男は段取り悪くペンのキャップをはずしていた。これには運転手もハンドル片手に肩をすくめる。
 ようやく準備を終えた熊髭は、しっかりとノートを持ち直した。
「はいっ大丈夫です。えー、次は、ご職業は?」
「……。見ての通り」
 あきれ果てた沈黙の後、思いっ切り当然の答えが返る。
「あ…」
 熊髭の男は質問の無意味さに気づくやいなや、再び固まった。思考停止。パソコンでいうところのフリーズ状態、とでも言おうか。
「いや、質問するにも一応の型ってもんがあんだろ?気にすんなよ」
 ちょっと気の毒そうな響きだ。さすがに、運転手なりに気を使ってくれたらしい。
「はぁ、どうも段取り悪くて。あ、せっかくなんで、裏の方のご職業とかは」
 がっくりとうなだれながらも、熊髭は問う。裏の顔。これこそ、本当に興味深いことだ。
「うーん、『職』じゃねぇな…。年食ったチンピラ」
「は、なるほど」
 特に職ではない、とは。だが、これも立派な情報かもしれない。一応メモしておくことにした。
「そんなもんまでメモんのか。紙たりなくなんねーか?」
 ペンを走らせる熊髭に気づき、運転手が言う。熊髭は書きながら答える。
「大丈夫っすよ。じゃあ、次ですが。これはもしよろしければでいいので、差し支えなければ教えてください」
 顔を上げて、次の質問に取りかかった。後ろからでも運転手がうなずくのがわかる。
「おぅ」
「ご家族はいらっしゃいますか?」
「……」
 無言。全てが停止したような空気が流れる。どうやら、触れられたくないことだったらしい。ということは、この運転手には家族がいるのだろう。しかも大切にしている。もしかしたら、家族には裏の顔を知らせていないのかもしれない。
「あ、はい。ありがとうございます」
 あえてメモはせず、礼だけを告げた。運転手は無言でうなずく。
「じゃ、あの〜、確認なんですが。このインタビューをいつか記事にすることは許可していただけるでしょうか」
 軽い調子で聞いてみる。まるでついでに聞いただけのような口調だが、ひどく重要な質問だ。
「ああ、勝手にしな」
 前を見たまま、運転手が答える。すばやくペンを走らせながら、熊髭は相手の後頭部に視線を送った。
「そのとき出てもいい情報はありますか?たとえば職業とか、イニシャルとか」
 心もち、ひかえめに問う。この質問はどんな相手にもする基本中の基本事項だ。勝手に名前などを出すとプライバシーの侵害で訴えられてしまうことがある。場合にもよるが、もっと危険な報復を受けることすらあるのだ。個人情報が出ることを嫌う人間は多い。特に今回のような裏社会にかかわる取材なら、なおさらだろう。
「……『性別・男』。ここまでだな」
 返ってきたのはこんな言葉だ。この返事が発せられるまで、ほんの少しだけ時間がかかった。
「わかりました。絶対に守ります」
 無駄に力を入れた口調で約束する。
 これで最初の質問は終りだ。熊髭は、あえて緊張の色を隠さなかった。さあ。ここからが本番である。
「では、早速インタビューにうつらせてください。楽な感じで、気楽にお願いします」
「おぅ」
 気のせいか、応じる運転手の声は楽しげに聞こえた。

BACK  NEXT / 前書  EXIT  TOP

inserted by FC2 system