■ sky

空は雲に覆われていて太陽は見えない。たぶん時刻はお昼頃。明け方から半日は町をうろついていたことになる。

少しくらくらする。昨日少しだけパンを食べることができたけれど、まだまだ栄養は足りていないみたいだ。このままじゃまずい、ということ。それくらいはわかっている。けれども実感をもてない危機感。紙切れみたいに薄っぺらい俺の感覚。

喉が渇いた、と思った。いっそ雨でも降ればいいと曇り空を見上げたけれど、天は何も落としてはくれない。しばらく歩いていると、舗装がはがれかけた道路の脇に水飲み場があった。塩素くさい水道水をたらふく飲んで路地の入り口に座る。

これからどうしよう。何かしなくちゃいけないんだろう。今のまま何も帰られずに座っていたら、きっと生きてはいけない。

『自分を信じて突き進め、さらば道は開けん』

なぜか思い出したのはどこかで習った偉い人の言葉。信じていれば何とかなる、なんてただの寝言だ。ああ、ちょっと待って。そもそも信じるって何を?

……。

そう、今はそんなことを思い悩んでいる場合じゃないんだ。具体的に、実際に、何かをしなくちゃ。何をすればいいんだろう? わからない。でも何とかしなくちゃ。

「このままじゃまずいよな……」
「何がまずいんだ?」

ぽつりともらしたら、答えが返ってきた。その声は後ろから。

思いがけない出来事だ。弾かれたように振り返ると、路地の奥に知らない顔があった。三人。いかにも裏通り風な若者たちだ。俺と同年代か、少し年下というところだろうか。

「アンタ、しけたツラしてんなー」

金髪の若者が言った。顔が少し赤くて、息が酒臭い。

「気にしないでくださいね、コイツ、真っ昼間から酔ってんですよ」

苦笑しながら赤毛の若者が言う。何だろう、この人たちは? 裏通りで暮らしている人たちだろうか。たぶんそうなんだろう。

「酔ってねーよぉ〜」
「はいはい……、ホントすいません、ガラ悪くて」

金髪君と赤毛君のやり取りが何ともおかしい。気がつくと俺は裏通りに来て初めて声を出して笑っていた。笑ってから考えた。ああ、まだ笑えるんだ。俺にはまだまともな心の動きというものが残っているんだな、と。

もっと、笑わせて。泣かせてくれてもいい。何でもいいから、もっと魂を揺さぶってほしい。俺にまだココロというものが存在するならば、どうか俺の心を、俺に教えてください。

「アンタ見かけない顔だな」

俺の顔をじろじろと眺めて、金髪の若者が言った。

「あ、最近来たから」

なんとなくバツが悪くて、俺は小声になる。

「ふーん。じゃあこの辺のことはまだよく知らないのか」

どうやらこの金髪君は俺との会話を続けるつもりらしい。見ず知らずの人間なのに。変わった人だ。酔っているからなんだろうか。

「ちょっと、失礼だよ」

赤毛君が眉をひそめる。それから彼は『すいません』というように軽く頭を下げた。ずいぶんまともそうな人だ。

「腹減ったっすね〜」

突然、赤毛と金髪の二人の後ろから情けない声が聞こえてきた。そこにいたのは背が高い若者だった。どうやら他の二人よりも少し年下のように見える。彼の声に合わせたみたいに俺の腹が鳴った。顔が赤くなった気がして、俺は慌てて顔をそらした。

「もう昼だもんね」

赤毛君がちょっと肩をすくめて言う。

「メシ行くかー」

伸びをしながら金髪君が答える。年下らしい子はこくこくうなずいてにこにこしている。何だか平和そうな三人組だ。こんな風に親しみやすそうな人たちに会うのは、裏通りに来て初めてかもしれない。

「アンタも行く?」

金髪の若者が声をかけてきた。

「え、俺……」

戸惑う。初対面の相手からいきなり食事に誘われるなんて。びっくりしたのは俺だけではなかったようだ。金髪君の隣りで赤毛君も目を丸くしている。この真っ赤な毛の人、髪は派手だけれど普通の人なんだな。

「アンタ、この辺はよく知らないんだろ」

驚いている俺に向かって、金髪君はさらに言った。

「うん……」

俺がうなずくと、彼は自分の胸をトンと叩いていった。

「じゃ、うまい店も知らないな。教えてやるから来いよ!」

いい人だ。だが、俺にはもう所持金がないんだ。

「あの、俺、金持ってないから……」

もごもごと言った俺に、彼らはいっせいに答えた。

「ツケきくぜ」
「大丈夫、お金がなければバイトで払えるよ」
「なんとかなるっすよ〜」

ええと、早い方から順に金髪、赤毛、年下の子。何が、どうだって? ポンポンと話しかけられてちょっと混乱してしまった。ツケってなんだっけ。どこかで聞いたことがある気がするけれど、よくわからない。

とりあえずそこは置いておいて。お金がなければ、バイトで払える……? そうか! 所持金がなくても食事はできる、ということか!

「バイトで……、そんなシステムがあるんだ」

感心してつぶやいたら金髪の人が不思議そうに首をかしげた。

「この辺の店はたいがいそうだぜ」

俺が知っている限り、そんな話は聞いたこともないんだけれど……。この辺が表通りと裏通りの違いなのか?

「働かせてくれるのは若いうちだけだけどね。この辺特有のシステムなんじゃないかな」

考え込んでいたら、赤毛君が付け足してくれた。やっぱり裏通りだけのシステムなのか。なるほど……。

「で、どうする?」

感心していたら、金髪の人に腕をつつかれた。

「いや、俺は……」

思わず口ごもる。ついて行ってもいいのだろうか。悪い人たちではなさそうだが、あまり甘えるのはいけない気がする。

「あ、はじめまして〜」

迷っていると後ろの方で年下に見える子が突然言った。

「遅い!」
「今頃?!」

金髪の人と赤毛君がとても鋭い口調で年下らしい子に言う。俺はハッとしていた。そういえばまだ挨拶もしていなかったんだ。はじめまして、と言われて気がついた。それって、こんなに会話してくれている人たちに大して失礼だと思う。

よし、俺も挨拶をしよう。

「はじめまして……」
「!?」
「!!」

ぺこりと頭を下げたら、赤毛君と金髪の人がものすごい勢いでこちらを向いた。

「うわ、なんかアンタ、コイツと同じ匂いがする」

金髪の人が年下らしい子を指さしながら複雑な笑顔を浮かべていた。どういう意味なんだろう。

「はぁ……」

よくわからなくて曖昧な返事をすると、金髪と赤毛の二人は顔を見合わせた。それから二人して、小さな声でささやきあっている。

(……天然だ)
(……この人も天然なんだね)

俺に聞こえないように気を使っているつもりなんだろうけれど。

聞こえてるよ……。天然ってどういうことなんだ。確かにそういわれることはあるけれど、納得いかない。天然ってバカな人のことだろう? ひどい、俺は天然なんかじゃない。

「なんか縁ありそうだし、一緒に行こうぜ!」

何も言えずに座ったままでいた俺の肩を金髪の人がつかむ。俺は結局、彼らについていくことになった。立ってみて初めて気づいたが、金髪の人と赤毛君はわりと背が低い。座っていたときとは印象が違って驚いた。もっと大きく感じていたのに。

座り込んでいた路地から出て薄汚れた道を行く。赤毛と金髪の二人が先頭に立った。俺は年下らしい子と並んで、前を行く彼らの後ろを黙って歩く。高い天を風が通る。雲の切れ間から空がのぞく。

見知らぬ若者と並んで歩くのは不思議な気分だ。少し前の俺なら彼らについていくことはなかっただろう。どうして、俺はこんな行動を取っているんだろう?

何かが変わった予感。でも、何が変わったんだろう?

晴れ、曇り、雨、昼と夜。ちっぽけな俺の上で空模様は変わる。天の存在はいつまでも変わらないのだろうけれど、日々の表情はいつだって違う。この街の顔も日々違うことに、ようやく気づき始めている自分がいる。

いろいろな人がいて、色々なことがある。表通りとはずいぶん違う気がする。どうしてこんなに違うんだろう。表通りも裏通りも、同じ世界でしかないのに。わからない俺の周りで毎日はどこまでも無限に続く。

やがて店にたどり着き、俺は久しぶりのまともな食事にありついた。

「やせてるのにけっこう食べるんだね」

ガツガツ食べていたら赤毛君に笑われた。

「腹減ってるからだろ、なっ!」

金髪の人が俺の背中をドンと叩く。その拍子に食べ物が気管に入ったらしい。俺はむせかえって、慌てて水を飲んだ。……。腹が空いていたせいだけじゃなく、もとから大食いなんだけれど。

食事が終わって、俺たちは席を立った。赤毛君は支払いをすませ、金髪君は元気よく「ツケで!」と声をかけ、それぞれ店を出る。俺と年下の子はその場に残って店主から仕事をもらった。何だか見たこともないほど大量の皿を洗え、という。そんなことで食事がもらえるならお安い御用だ。

「うまかったっすね〜」
「うん、そうだね」

まるで昔からの親友のように言葉を交わす俺たち。表通りにいた頃、知らない人と話すのはどちらかと言えば怖いことだった。でも今は平気だ。怖くないどころか、何だか楽しい。

「なんか、やっていける気がしてきた」

俺がつぶやくと、例の年下の子がこちらを見てきた。彼はわかったようなわからないような顔で微笑んでいる。

「なんとかなるっすよ」

しばらく間があって、彼が言った。のんびりした空気の人だ。

「君は……」

なんていう名前なの? そう尋ねかけて言葉を飲み込む。理由はない。何となく、知らなくてもいい気がしたから。俺が途中で言葉を切ってしまったので、相手はきょとんとした表情で俺を見ている。

「?」

俺に問いかけてきたのは無言の空気。

「いや、何でもない。気にしないで」

慌ててごまかして、俺は笑った。



目を覚ますのは夕方だ。夕焼けの空をぼんやりと眺めることが一日の始まり。地平線がだんだんと暗闇に消えていく様を見てから、歩き始める。

そう。最近、生活のサイクルが変わったのだ。夜が明けてしばらくしてから眠り、暗くなる頃に目覚めるようになった。昼に寝て、夜起きる。そんな生き方を始めて知った。この町が本当に息づくのは夜になってからで、昼間歩くのは体力の無駄だという。特に冬は夜のうちに寝てはいけないらしい。

ある夜、路上で横になっていたら見知らぬ人が教えてくれたのだ。この季節は夜になるととても冷え込む。うっかり寝ていると凍死する恐れがあるのだそうだ。死にたくなければ、暖かい昼間に眠らなければならない。いつも寝起きに体がギシギシときしんでいたのも寒さのせいなんだそうだ。アスファルトの固さが原因ではなかった。要するに、凍死しかけて全身が強張っていたらしい。

裏通りで夜中に眠れるのは自分の家を持つ裕福な人々だけだという。今の俺には家どころかベッドも毛布もないのだから、昼夜逆転が必要なわけだ。自分の命は自分で守らなければ。

俺は、裏通りで生きている。ここでの暮らしは大変だ。表通りにいた頃の生き方ではやっていけない。今まで自分が持っていた常識は通用しない。

裏通りでの暮らしはとても大変だ。けれど、少しだけ慣れてきた。今日もまた、もぞもぞと起きだして夕日を見送る。少しずつ体をほぐし、目が覚めたなら立ち上がって歩き出すのだ。

裏通りの道は皆少しずつゆがんでいる。角も直角に交わることは少ない。曲がりくねって迷路のような、俺が住む世界。冷たい暗闇が夜に光る通り全体を包んでいる。

空を見上げた。星が一つ、光の線を描いて流れていった。


Fin.

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