■ About the way

男が一人、夕暮れの町を急ぎ歩く。スキンヘッドにあごから頬までを覆う熊のような髭が目立つ男だ。しかし、どこかおっとりした人のよさそうな印象を与える顔だちをしている。

熊髭の男が手にしたカバンの中にはカメラとボイスレコーダー、そして使い込んだペンとメモ帳。彼はフリーのジャーナリストだ。毎日毎日、真実を求めて都会を行く。【Evolutoin】……『進化』と呼ばれる裏社会の変革運動を追うために。

熊髭の男は緊張していた。今日、思わぬ相手との面会が叶うのだ。出会えるはずのない相手。その接触は向こうから図られた。

市井の人々への地道な取材を重ねた数ヶ月。

―― 『進化』についてかぎまわっている奴がいる ――

そんな噂がようやく進化推進派・反対派の両方に行き渡った頃。

熊髭の泊まる安宿に一本の電話があった。ある人物から。名乗ることはできない、と電話の主は言った。電話の主が言うには、彼の知る人物が熊髭との面会を求めているらしい。

カンパニーの重鎮だ。」

電話の主はそう言った。

会社(カンパニー)。

聞き覚えのある単語だった。それは全国的にも名の売れた巨大な組織だ。会社のように整った体系を持つために『カンパニー』と通称されている。

その重鎮とはすなわち、この都会の闇を統べる有力者の一人。さらに『カンパニー』は【Evolutoin】の動きに反対を唱える代表的な団体でもある。つまり、これから出会うはずの人物は『進化』の実態を探る上でも重要な存在のはずだった。



指定された場所はアパートの一室だ。ホテルでもなく、店でもない。おそらくは外部の人間と面会するための部屋だろうと想像できる。今回のような他者との接触を図るときのために借りてある専用の部屋だろう、と。

指定されたアパートは裏通りと表通りの境目にあった。一本の道路を挟んで、こちらは辛うじて表通り。そしてアパートは表通りに窓の並ぶ壁だけを見せて立っている。玄関は裏通り側にあるのだ。すなわち、このアパートは裏通り側に属する建物ということになる。

少し汚れた外壁はレンガ風の造り。熊髭は道路を挟んだ反対側の歩道に立って、目的地であるはずの部屋の窓を探した。五階の角部屋。見つけた窓には白っぽいレースのカーテンがかかっていた。何の花だろう、小さな桃色の花をつけた鉢植えまで飾ってある。

熊髭は道路を渡ろうと、左右に目をやった。目の前に横たわる一車線の道路には行きかう車もない。そのまま渡ろうとして一瞬ためらった。

腹を押さえて感触を確かめる。そこにはいつも隠しているはずのボイスレコーダーはなかった。今回のようなお偉い様との対談前には身体検査をされることもあるのだ。そのときに余計な物が見つかれば当然あちらの心証は悪くなる。それを考えての対策だった。

その代わり、今日の熊髭は首から小さな鍵をぶら下げていた。コインロッカーの鍵だ。そのロッカーの中には今までの取材結果の全てが隠してある……ことになっている。実際は奪われても差し支えのないデータだけ。

稚拙なカムフラージュだ。わざと破棄されてもいい情報だけを発見されやすくしようと考えてこんな真似をしてみた。自分に"もしも"のことがあったときに自分が集めた情報たちが闇に葬られてしまわぬように。

何せ今回の面会場所はアパートの一室だ。部屋に入ってしまえば完全なる密閉空間。完全なる相手の領域だ。当然ながら、何かがあっても助けを呼べる可能性はきわめて低い。

何かがあると決まったわけではない。それでも警戒せざるを得なかった。自分の周囲をかぎまわられることを嫌う人間は多い。それが裏社会の人間ならなおさらだ。中には熊髭のような真実を探る者を抹殺しようとする者もいる。

怖くないわけではない。熊髭とて人の子だ。命は惜しい。

それでも。

熊髭は止めた足を再び動かし、車道へと一歩踏み出した。視線の先ではレースのカーテンを下げた窓が人待ち顔で曇り空を映している。

危険にも思えるその部屋は熊髭が追い求める真実に近い場所なのかもしれない。ならば行く。行くしかない。たとえどんな危険があろうとも【Evolutoin】の核心に迫りたい誘惑には抗えなかった。

曰く、命よりも興味。

道路を渡りきった。もう道路の向こう側にいたときに覚えた一瞬のためらいは消えている。入り口を探すため、熊髭は建物の裏へと足を向けた。


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