■ About the way

「失礼ですが、その質問はあまりにも範囲が広すぎる。もっと限定した質問にしていただけませんか」

ついたての向こうから柔らかな声が流れてくる。熊髭は、む、と口ごもった。

限定と言われても困る。とにかく【Evolutoin】についての考えが聞ければいいのだ。【Evolutoin】をどう思うか、その質問をそれ以上細かくすることなどできるだろうか?

数秒間の沈黙。熊髭の困惑を悟ったのだろうか、柔らかな声がこうつけ加えた。

「たとえば、そう、【Evolutoin】……『進化』とは何かということについて。『進化』が持つ意味を私がどう捉えているか、そんな質問がありえます。もしくは、『進化』に対して否定的か、それとも肯定的な立場なのか?
 『進化』について把握していることを聞くというのもあるでしょう。今、『進化』はどの程度進行しているのか、もしくは収束しようとしているのか? 『進化』はいつ始まったのか? なぜ始まったのか? 『進化』はいつ終わるのか?
 または、『進化』を最初に唱えた人物は誰なのか? 『進化』を叫んでいる人々とはどんな人物たちなのか? 他にもさまざまな質問が想定できます。さぁ、あなたがもっとも知りたいと望むのは何でしょう?」

ああ、と納得した。そういうことならばいくらでも思いつく。

まず、ついたての向こうにいる男は『進化』においてどのような役割を果たす人物なのか? 『進化』、すなわち【Evolutoin】に対する姿勢は聞くまでもない。この人物がカンパニーの一員である以上は反対派のはずだ。

本音ではもしかすると賛成派かもしれないが、少なくとも対外的にはそう言わざるを得ないだろう。ならば、だ。反対派としてどのように関わっているのだろう、この裏社会全体を覆うような大きな動きに。

熊髭はペンを握りなおし、ついたてに目をやった。真っ直ぐな木目の板が柔らかな声の主と熊髭を隔てている。

「あなたは反対派、ですか?」

まずは、と向こう側の人物に問う。柔らかな声を発する男は、ふ、と息を吐いてこう言った。

「前置きをしておきますが、今からお答えするのは私の個人的な考えです。偏見に満ち、普遍性も乏しい。先に申し上げたとおり私はある組織の一員ですが、この話は組織全体の方針ですらありません」

熊髭はうなずきながらその声を聞いた。

「よろしいですね?」

柔らかな声が念を押す。

「はい」

熊髭が答える。そして、柔らかな声はゆっくりと言った。

「反対派であるか否か、……答えは"その通り"とだけお答えしましょう」

肯定とも否定とも取れる返答。だが、熊髭は無言でうなずいた。内心では何ともやりにくい相手だと感じながら。

「では、あなたは、この運動についてどんな働きかけをしているのですか?」

重ねた問いかけに答えはなかった。静寂の中、チキチキと規則正しい音がかすかに聞こえてくる。おそらくは時計の秒針。部屋のどこかにアナログの時計があるのだろう。

駄目なのだろうか? この質問に答えはない、そうあきらめかけたときだ。

「動きそのものに対しては、」

そう柔らかな声が言った。いや、柔らかとは言いがたい。先ほどまでと同じ声ではあるが、幾分張りを帯びて強まった印象だ。

「取り立てて働きかけというものはありません。静観していると思ってくだされば。しかし『進化』を起こした人々に対して、と言うならばいくらかの働きかけは行っています」

熊髭は息を飲んだ。反対派の重鎮と思われる人物から、“『進化』を起こした人々”の話が出るとは。もしかすると、一番知りたいと願うことについて何か聞き出せるのではないか? そんなことを思う。

一番知りたいこと。それは【Evolutoin】の黒幕と真意についてだ。この運動には黒幕がいる気がしてならなかった。雑多に見えるはずの動きがある方向性を持っている、そんな気がしてならない。

【Evolution】の中でほとんどの者たちはわかりやすい行動を取る。何かを得るための動きだ。金。権力。自分自身や組織などにそれらの力を集めるという、ある意味では常識的とも言える動き。

しかし、その条件に当てはまらない目的不明の動きを見せる者たちがいる。皆、一流のプロばかり。彼らが行うのは『力を散らすこと』だ。それによって大きく得をするものが一人もいない、謎の暗躍。その行為は全ての者たちの力を拮抗させ、チャンスを持つ者を増やす。見方を変えれば争いを増やしているとも言える。

この謎の動きの中には相当の腕を持つ者や大きな組織でなければ実行できないことも多い。漂うのは黒幕の香り。いったい何のために? 誰一人、おそらくはその黒幕自身さえも得をしない行為を繰り返す、その理由は? 熊髭ははやる心を抑えつつ、何とか口を開いた。

「あのっ、その、起こした人々、いうのは、つまりその、【Evolution】の仕掛け人、でしょうか?」

舌ももつれがちな質問にあの声が答える。

「ええ。そうです。『進化』に踊らされている人々ではありません。起こした人々です」

その声はまた元の柔らかさを取り戻していた。だが、興奮したままの熊髭はそれに気づかない。

「仕掛け人がいる、と!?」

重ねた問いかけには無言だけが返ってきた。少しして、「ああ」とついたての向こうから声が上がる。

「これは失礼。今あなたのお答えに相槌を打ったつもりでいたのですが。ついたて越しではうなずいたところで伝わりません。私としたことが初歩的なミスを。お恥ずかしい限りです」

熊髭は思わず笑顔を漏らした。隙のない印象だった相手だが、どうやら人間くさいところもあるようだ。

「……世間で言うところの一般的な主張についてはあなたもご存知でしょう?」

柔らかな声が言う。熊髭は目を見開いた。いったい何のことだろう。思い当たらない。思わず困り顔で首をひねると、再び「ああ」と声がした。

「『進化せよ』と叫ぶ人々……【Evolutoin】の意義として主張されていることです」
「あ、はい、一般的には」

あわてて答えると相手はさらに言う。

「よろしい。では一応確認させていただきましょう。一般に思われている意味でのそれを簡潔に表現してみてください、その主張とは?」

面食らう。質問者は自分のはず、それなのに相手から問われている。立場が入れ替わってしまったかのようだ。戸惑い。それでも懸命に模範的な答えを導き出す。

「『カンパニー』を代表とする巨大な組織が独占している裏市場を開放し、個人や規模の小さな組織も平等に参入できるようにする……ための改革運動、です」

答えた後でふと思った。自分が少しの間、黙った。ただそれだけでこちらの困惑に気づくだろうか? 何か考えをめぐらせているために黙っているとは考えないだろうか。どうしてすぐに質問の意図が汲みきれずに困っていると察知し、説明してくれたのか?

そう、まるでさっきの熊髭の様子を見ていたかのように。

違和感。ぞくりと背筋に小さな震えが走る。

直接に対峙しているならば不思議はないのだ。表情や仕草を見れば一目瞭然なのだから。だか、しかし。今まさに身を置いている状況とはお互いに顔が見えないはずのついたてごしの邂逅。何かがおかしい。そんな気がした。


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