■ About the way

訪れたバーは街の一角にあった。一番にぎやかな繁華街。その只中において、おそらくは最もわかりにくい店だ。路地の奥、隠れるように。

目立つ看板どころか店であることを示すものすらもない。塗料のはげた表面にノブがついているだけの簡素なドア。一見すれば他の店の勝手口としか思えないようなその扉が教えられたバーの入り口だった。

あまりに目的の店が見つからないことに業を煮やした熊髭が手当たり次第に開けたドアの一つ。その向こうにはやけに急な階段が待ち構えていた。味気ないコンクリートを十数段ほど降りると、そこにはもう一枚のドアがあった。

そのドアだ。真ん中に小さな文字が刻まれていたのは。「WILL」と。何の飾りもないかのように見えたが、近づいて見ると確かに小さく掘り込んであった。カードにあったの店の名だ。そのとき初めて、熊髭はやっと目的の場所にたどり着いたことを知ったのだった。

夕方には付近をうろつき、バーを探し始めていたのだが。目的の扉を開けることができたのは深夜2時を回った頃だった。疲れと喉の渇きで倒れこみそうだ。

扉を押し開けながら、熊髭はまず何か美味い飲み物を頼むことばかりを考えていた。とりあえず、喉の渇きを癒したい。いろいろとかぎ回るのはその後だ。

店内はスポーツ観戦に興じる人々の熱気にあふれていた。各テーブルには小さなテレビが置かれている。店の四隅の高い位置にも大型のテレビ。酒に酔って赤い顔をした男たちがそれぞれの画面に向かって熱烈な応援を投げかける。

いや。ただの観戦ではない。人々が口々に叫ぶ「はった」だの「すった」だのという単語からそれが分かる。さらに証拠となるのはテーブルの上に散らばったマークシート式の紙たち。

納得がいった。ここは違法なギャンブル酒場なのだ。各種スポーツの試合をネタにした勝敗予想の賭博場。だからこそここまで分かりにくい場所にひっそりと隠れていたのだろう。わかりにくいだけの店なのではない。そもそもここにあってはならない店なのだ、この酒場は。

ここは表通り。法の秩序がまかり通る場所。裏通りでは珍しくもないこういった店も表通りでは摘発の対象になる。だからこの店も、表向きはおそらく存在しないことになっているのだろう。看板すらも出せない理由がよく分かるというものだ。

空いている座席を見つけて座り込んだ。卓上に備え付けのテレビは今まさに何かの試合を終えたところらしい。放送を流しているケーブル局のロゴと新規契約促進のコマーシャルが流れている。

スキンヘッドをつるりとなで、熊髭はメニューに目をやった。店員を呼びつけ、飲み物の中で一番安いビールを頼む。外国産のビールだ。ここよりずっと物価の安い発展途上国産の一杯。甘くて飲みやすい口当たりが乾いた喉に嬉しい。

熊のような髭についた泡を舐めながら、熊髭は思った。さて、どう攻めたものか。ここに来れば『進化』を起こした人間についての情報があるはずなのだ。

店に入るまでは客や店員に色々と聞き回るつもりでいたが、違法バーとなるとうかつなことは出来ない。警察や対抗組織の人間が嗅ぎ回りに来たとでも誤解されたら面倒なことになるからだ。

ひとまず、様子を見ることにした。熊髭はうつむいたまま、視線だけを店内の隅々へと走らせる。特に目につく人物はいない。誰も彼も似たような酔いどれたち。今は手がかりすら見当たらない。ここにあるはずなのだ、何かが。もしくはいるのか、誰かが。

いったいどこに?

きょろきょろと見回しているうちに、画面が切り替わった。三人の人間が小さなテーブルを挟んでにこやかに向かい合っている。向かって右側には華やかな髪型に品のいいワンピース姿の女性が一人。テーブルを挟んだ左側には二人の男たちが並んで座っていた。

一人は肩の先からつま先までの全てを真っ黒な衣服で包んだ長身の男。頭髪も黒いせいでいよいよもって黒ずくめに見える。もう一人はしゃれた縞のスーツと帽子を身につけた男。黒服の男と同じく長身だが、こちらの方が幾分か背が低いようだ。

『興味深いお話をありがとうございました。それでは最後に、お二人の今後の方針を伺いたいと思います』

画面の中で女が言った。どうやら女の方は司会進行役、そして男たちはインタビューを受ける側のようだ。会話の内容が唐突過ぎるのは前半部分を見逃したためらしい。

おそらくこのインタビューは試合の切れ目ごとに少しずつ流れているのだ。見逃したのは前半部分か、細切れにされた大半の部分か。今なされている会話からはそこまで図り知ることは出来ない。

司会進行役の質問に男たちはそれぞれの反応を示した。黒服の男は真面目な顔で身を乗り出し、帽子の男はニッと笑って背もたれに身を預ける。二人はちらりと視線を交わして意味ありげに笑うとまた司会進行役の方に向き直った。まるで旧知の仲のようだ、と熊髭は思った。長年一緒に歩んできたパートナー、相棒どうし。そんな風に見える。

画面の下に字幕が現れた。簡単に説明されているのは彼らの経歴だ。二人はスポーツチームのオーナーでもある実業家だという。

そして、二人の氏名が表示された。息を飲む。見覚えがあった。きらりと輝くようなデザインの飾り文字で示された二人の名に記憶が音を立てて回った。あれは何週間か前のことだ。酔いどれだが腕はいいと評判の情報屋から聞いた二人組の名。

進化組の親玉さん、と言っていた。『進化』を推進しているグループのリーダーだという。だが、彼らは熊髭が注目している力を散らす動きをしているわけではない。力を散らす動き ――それは誰も得をしない、もしくは弱い方だけがわずかに得をするような行動だ。

普通は力や富をかき集めるために人は命を懸ける。誰も得をしないことをなぜ行う? この謎を解き明かすことこそ【Evolution】の正体へとつながる道。そう信じる熊髭にとって彼らは特に注目すべき人物ではなかった。

力や富を集めるというごく普通の行動を取る人物たち。ただ【Evolution】に便乗しているだけの大物。そう思っていた。

『我が道を行くお二人ですが、今後はどういった戦略で攻めていかれるおつもりですか? 業界再編などという動きもありますが?』

司会の美女の質問に黒服の男が口を開く。

『そーりゃもちろん、実力重視でバリバリ行くっきゃないでしょう』

司会進行役は帽子をかぶった方の男に視線を向ける。

『えぇ、もう僕は相方の言うとおりに』

帽子の男は柔々と笑う。やはりこの二人は関係の強いパートナーどうしのようだ。

『ということは、いわゆる成果主義の第二期路線を進まれるわけですね。古い能力主義の考えに基づいた年功序列の第一期路線の考え方ではなくて?』

司会進行役のまろやかな声音に黒服の男の眉が上がる。

『いや、前例を踏むつもりはないですよ?』
『え?』

うら若き女性司会者は思わずといった風に聞き返した。ぎっ、と。黒服の男の目が熊髭を捕らえる。

思わず息を飲んでから思い直した。いや、それは錯覚だ。黒服の男は熊髭を見たわけではない。彼が見たのはテレビカメラ。おそらく彼は意識的に見据えたのだろう。カメラ越しに、テレビの前に座ったあまたの視聴者たちを。

『我々の進む道は一期でも二期でもないんです。いわば第三期!』

カメラから視線をそらさぬまま、黒服の男が言い放つ。

『え、じゃあ……』

戸惑う司会進行役をそっと片手で制し、帽子の男が助け舟を出した。

『先に誰かがやったことの繰り返し、とか。うちの相方、そういう他人の手垢がついたやり方、嫌いなんで』

その台詞に満足したのか、黒服は眉を寄せたまま微笑むと卓上のオレンジジュースに手を伸ばした。ごくり、喉が動く。今、彼の喉の中では一口分の液体が胃の腑へと落ちていくところだろう。

『だぁーらね、誰かがやったとおりのことなんてやる価値がないんです!』

黒服はやや興奮した口調でこう切り出した。

『そうだぁね』

相棒風の帽子の男も同意を示す。

『誰かが拓いた道の上を!』

黒服は身振りをつけて言葉を続ける。

『ほう!』
『とっとっとっ……って大人しく歩いてるだけじゃ、』
『そぃ、来た!』

前後に入る合いの手は帽子の男だ。

『つまらないでしょう!?』
『ハイ、来たァ!』

二人の言葉は互いにかぶさるようにして交互に続く。

『だから、』
『いいね、いいね、いいね!』
『新たな道を、』
『いよっ! 大統領! 今日も乗ってるね!』

掛け合いは次第に帽子の男が優位になり、黒服の声がかき消されてきた。聞きづらい、と熊髭が眉をひそめた直後。画面の中で黒服の男がオレンジジュースを口に含んだ。それからとびっきりの穏やかな微笑を浮かべ、愛すべき相棒の方へと向き直る。

そして。

『うわっ、ちょっ!』

帽子の男が悲鳴を上げた。ぶっ、と音を立てて、橙色の液体が勢いよく噴出する。黒服の口から噴出された液体。向かう先は、帽子の男。

『合いの手うるせぇよ!』

ついに黒服の男が相棒に言い放った。きっと大多数の視聴者も同じ気持ちだったろう。

黒服の行動に思わず声を上げて笑い、熊髭は辺りを見回した。他の客たちも皆、笑っている。一人くらいは早く試合を始めろといらだつ人間がいてもよさそうなものなのに、皆、笑っている。

二人のコンビネーションのよさと話術には感心せずにはいられなかった。いや、話術というよりは表情や口調、間の取り方が上手いからだろう。話している言葉を文字に起こせばきっと何でもない内容なのだ。

それなのにこんなにもユーモラスで人をひきつけるやり取りに見える。話し慣れている印象。まるでコンビのコメディアンのようだと熊髭は思った。


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