■ ZOO


この街には獣が住んでいる。
狼のような残忍さで人を殺す者、カラスのように死者に集まる者。
ハイエナは骨も残さない。美しい毒蛇は色香をも武器にする。
おとなしい動物たちも暮らしている。
仔猫ちゃんはウサギちゃんと表通りを歩き、野良犬のような若者は裏通り。
ときには仔ネズミのような子どもたちが、道をちょろちょろと走って危なっかしい。
エリートコースを歩いた有能なる猿たちは、ボス猿の下で今日も働く。
美しい声の小鳥たちは羽を広げ、TVの中で人気を競う。
平和しか知らない表通りの連中は、飼いならされた動物ばかり?
いやいや、まぎれこんだ奴らは今日も舌なめずりだ。
間抜けな顔のくせにしたたかな狸は、いつだってうまくやっている。
悪い狐は紳士の顔で、誰をだまそうかと今日も隙をうかがう。
昼と夜、表と裏。
それぞれを生きる様々な獣。
しかし、その誰もが皆、都市の色に染まった者ばかりだ。
生粋の野生の獣は、もはや希少価値。
野獣と呼ばれる者たちすら、群れ、誰かに飼われて生きている。
檻の中で。
居心地の良い犬小屋の中で。
時には保護区のような、他とは隔絶した場所で日々を生きる。
ここは動物園だ。
勇猛な獣も、愛らしい小動物も、貴重な珍種も、みーんな勢ぞろいした都市。
愉快で、汚くて、たまらなく魅力的な、人間たちの動物園だ。
ところが、この街で生まれ育ちながらいまだに染まらない者がいる。
彼は、青年と少年の間にあたる微妙な年頃の若者だ。
仲間内では一番の年下で通っている。
彼は、かつて表通りで生まれた。
ある日、両親が死んだ。
都会によくある、交通事故というやつだった。
突っ込んできたのは居眠り運転の大型車だそうだ。現場は見ていない。
元気な母さんと優しい父さんは、二人並んで仲良く逝った。
昔むかし、買い物から帰る途中の出来事だ。
それ以来、裏通りにすむ叔父一家に引き取られて生きている。
叔父とは仲がいいが、叔母やいとこたちとはどうもうまく馴染めなかった。
だから、家にはすっかり寄りつかなくなっている。ごくたまに叔父と会うだけだ。
普段は道端で寝起きする。特に、不自由はない。
テンポが合わない、とでも言おうか。
どうも彼は、周りから一歩、いや、十歩か二十歩ほどずれているらしい。

「天然記念物並みの天然ボケ」

仲のいい、赤毛の青年から送られた言葉だ。
もう一人の仲良しである金髪の青年が言うには、めちゃくちゃぴったり、らしい。
どうも自分はテンポというか…考えるタイミングがおかしいようだ、と彼は思う。
ずれを実感することなどなさそうに見えて、実は、意外と気づいているわけだ。
彼はときどき思うのだった。
自分の考えは遅すぎることが多いし、ときには遥か先に飛びすぎるなぁ、と。
確かに天然ボケかもしれないなぁと納得している。別に、不自由はない。
しかし、彼自身、よそ者めいた気持ちになることもあった。
表通り生まれだが、少しもそう見えないのは裏通りに馴染んだからだろう。
だが彼の眼は、裏通りの住民たちとはどこか異なる。
裏通りに住んで長い。なのに、なぜ裏通りの住民と同じ眼にならないのか?
それだけではない。
彼にからは、今や誰の身体にも染み付いているはずの臭いが少しもしない。
裏通りだろうと表通りだろうと、この街の者なら誰もが持つ都市の臭い。
生粋の都会っ子。なのに、なぜ都市の臭いが染みつかないのか?
ぽわぽわ、と。
彼はいつもぼんやりして見える。
だけれど、実は誰よりもクールに現実を見ているところがある。
根拠のない予感のようなものを敏感に感じることもある。
不思議な、不思議な動物。
この都会という動物園のどこを探しても、彼に当てはまる名前の札は立っていない。


今日も朝からいい天気だった。
裏通りの薄汚れた道を気持ちのよい風が通っていく。
砂埃っぽい地面の臭いと、どこかでじめじめ腐っていくゴミの臭い。
そして、たくさんの人間の臭いが混ざり合って、風と一緒に抜けていく。
不思議な動物は、今日もふわふわと歩いていた。
特に、当てもなく。

まぶしいなあ。
太陽だなあ。

空を見上げれば、ひび割れて黒ずんだ壁の向こうに青空がある。
突き抜けるように高い空が。

あ、変な人がいるなあ。

ふと目を止めたのは、ごく当たり前の人間だった。
裏通りにはいくらでもいそうなタイプの、年取った浮浪者だ。
汚いぼろきれを体中に巻きつけていて、道端で小さく座っている。
しわくちゃの顔の中で、唯一、瞳だけがキラキラと光を保っていた。
しょぼしょぼのまぶたの奥から、道行く人を眺める老人。
もう爺さんか婆さんかすらもわからない。
若者は足を止めて、その老人をじっと見た。
「こら。」
突然、老人がしわがれた声を出した。
「あっち行け!」
あれぇ、と思った。
この辺りのおじいちゃんおばあちゃんは、こんなことは言わない。
彼らが口にするのは、何か恵んでくれ、いい天気だなどの言葉くらいだ。
でなければ、無言でいる。ただそれだけ。

やっぱり変な人だなぁ。

ますます妙な気持ちになったから、若者はその場を動かなかった。
やっぱり変な人だぞと思いながら老人を見つめる。
数分も経っただろうか。
老人の目つきがいよいよとげとげしくなった頃だった。

うん?

なんとなく後ろが気になって振り向いてみる。
すると、見覚えのある男がてくてく歩いているところだった。
「こーんにーちわぁー!!」
少し離れたところにいる男に、大きな声をあげて挨拶をする。
男も気がついて、にこにこと若者の方にやってきた。
若者の背後では、老人が近づく男の顔に疑わしそうな視線を投げる。
「こんにちは。よく俺の顔を覚えててくれたね。」
どこかうれしそうに、眼鏡をかけた男が話しかけてきた。
若者もにこやかにおじぎを返す。
この前、仲間と三人でいるときに襲ってきた男だった。
赤毛の兄や金髪の青年の話では、この男は表通りの住民らしい。
買い物でもしていたのか、腕に紙袋を抱えている。
表通りの人間がこんな所に来てまで、買うものなどあるのだろうか。
若者は、ちょいと首をかしげて言った。
「武っ、じゃなくて、道具の仕入れスか?」
眼鏡の男は細い目をさらに細くして微笑んだ。
顔はにこにこしたまま、ちらりと紙袋の中を見せてよこす。
これは穏やかではない。
バラしてあるが銃らしいパーツ、弾薬、何かわからないが嫌な感じがする箱…。
「鋭いね、当たり。」
どうやら、裏のお仕事に使う物の仕入れだったようだ。
「よく声かける気になったなあ。警戒しないの?」
眼鏡の男は感心した様子だ。
今日は前に会ったときと違って、こちらを傷つける意志は感じられなかった。

うん、大丈夫。この人は平気。

根拠のない直感で自分の敵ではないと決めつける。
眼鏡の男は、ふにゃんと笑う若者の様子を面白そうに眺めていた。
ふと、男の視線が若者の後ろに流れる。
人畜無害なふりをして実は鋭い牙を隠し持つ、この男は犬に化けた狼。
容赦のない殺し屋の眼が浮浪者風の老人に突き刺さる。
老人は落ち着かない様子で立ち上がり、どこかへ消えて行った。
男の視線が若者に戻る。
若者はその間ずっと、男の眼鏡の奥をなんとなーく眺めていた。
そして突然、きゅっと男の袖口をつかむ。
つかまれた方にしてみれば、まったく予想外の出来事だ。
当然、眼鏡の男は思いっきり驚いて飛び上がった。
「ど、どうした?」
あわてて問う眼鏡の男に、何かを伝えなければと思う。

でも、何を言えばいいんだっけ?

自分自身の行動に少しだけとまどいながら、若者はモゴモゴと口を開いた。
「今そこに、」
変な人が、と後ろを向いて、ようやくさっきの老人がいないことに気づいた。
あれぇと頭をかく若者の肩を叩いて、眼鏡の男はくすくす笑っている。
「そこに座ってた人なら、たった今どっか行ったよ。」
まだ納得できずにいる若者に、眼鏡の男は優しい声で告げた。

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