■ ZOO

これから仕事があるという眼鏡に別れを告げ、若者はまた歩き出した。そして数歩も行かないうちに、立ち止まる。

…………。

気のせいかもしれない。だが、妙に嫌な感じがする。瞬間、頭の中にある場所がひらめいた。

行こうっと。

若者はふらりと歩き出す。ぱっと見た目は、何の当てもなく歩いているようだ。ただ、風に吹かれるままに。思うところも、目的地もなく。

その後をつける小柄な影が一つ、しゅっと路地に吸い込まれた。先程の浮浪者だ。老人にしては、やけに俊敏すぎる動きである。それもそのはず、その人間はもう老人の姿ではなかった。服装は変わらないが、深く深く刻まれていたしわがきれいに消えている。

目の輝きにふさわしい、まだ年若い少女だった。ある程度行ったところで、少女はハッと足を止めた。若者が、ある店に入ったからだ。ちっと舌打ちをして、少女は店の看板をにらんでいる。そうとは知らない若者は、なんとなーく行きたくなったその場所に入った。

「いらっしゃいまっせー」

中に入ると、珍しい人が店番をしていた。

「あれ、アイツだったら今いないよ?」

驚いた顔で迎えたのは、赤毛の兄だ。洗濯屋の店名が入ったエプロンをして、茶色い髪をヘアピンで止めている。アイツとは赤毛の青年のことだろう。弟を迎えに来たのかと思ったらしい。

「あ、そーなんスか。でも、ここにいたいんで」

そのまま、店の隅っこにぺたんと座る。そう、ここは友人の自宅でもある『洗濯屋』だ。若者は、理由もわからずにほっとしていた。

外で待ち構えている、怪しい少女に気づいていたわけではない。本人も詳しい事情はわかってはいないのだ。

ただなんとなく、嫌な気分だった。ただなんとなく、洗濯屋に行きたくなった。そして吸い寄せられるように、赤毛の兄の側に居座りたくなった。それだけのこと。自分の気分に忠実に従っただけだ。それ以上でも、以下でもない。

ふぅん、と不思議そうな声を出して、赤毛の兄が壁に背中を預けたときだった。

「ちょっ、何すんのよ、離せエロジジイ!!」

店の外で、女の子がわめく声がする。

「何だ?」

赤毛の兄は身軽にレジカウンターを飛び越すと、颯爽と店を出て行った。若者はぽかんとしていたが、とりあえず後を追う。外へ出てみると、そこでは一人の少女が腕をひねり上げられていた。相手は男だ。裏通りにはおよそ場違いなほど高価そうな服を着ている。

「エロは認める。けど、まぁだ爺ってトシじゃないんじゃない?」

にたっと笑っているのは、やや大柄の男だった。普段なら黒服に身を包んだ男の側にくっついていることが多い。人呼んで、相棒風の男である。

「ちょっと!見てないで助けてよ!」

少女は必死で助けを求める、が。

「いやぁ、相手が悪いよ〜」

赤毛の兄は、本当にバツが悪そうにぼやいている。その後ろに隠れるようにして、若者は少女をじっと見ていた。何だか、嫌な感じがするぞ、と思いながら。

そうこうしているうちに、相棒風の男は少女を引きずったまま洗濯屋に入る。赤毛の兄もそれに続き、数人いた野次馬たちは散っていった。若者は店の入り口をじっと見つめる。店内でどんな話がされるのかは知らないが、どうも中には入りたくない。というか、関わりたくない。

「入らないのか?」

ひょこんと顔を出し、赤毛の兄が誘ってくれた。断る理由などない。しかし、若者は首を横に振った。また歩き出す。ふらりと、当てもなく行くのは明るい裏通り。

店内からは、二人の猛者が見送っていた。

「知り合い?」

尋ねるのは相棒風の男。彼は何でもお上手な、曲芸好きの猿。

「弟の友だちです。……危ない目には合わせてませんよ、ご依頼どおり」

答えるのは赤毛の兄にして、茶髪の男。どこか小ずるく賢い狐。

「依頼?……あぁ〜あ、窓の下にいた子か」

相棒風の男が、思い出した、とばかりに声をあげる。

「ええ、守っときましたから」

何のことやら、くすりと笑う。その隙に逃げ出そうとした少女の服を、赤毛の兄は思い切り引っぱった。ばさっと音を立てて、何かが落ちる。何かの冊子のようだ。少女の顔色が見る見る変わっていく。相棒風の男は素早くそれを拾い上げ、中を確認するや少女の服をはぎ取った。

「きゃっ……」

ボロ布服の下から、細身の身体にぴったりのライダースーツが現れる。布からはさらに何冊かの冊子が出てきた。内容は各種の密売人たちの名。大量の密売人リストを押収し、二人は顔を見合わせた。

「まぁさかこのお嬢ちゃんが、敵さんの元締めとは、ね」

相棒風の男は自分のあごをなでながらぼやく。少女はうなだれ、かすかに震えていた。彼女にとって一番不運だったのは何だろう。若者の奇妙な様子に、正体がバレたかと疑いを持ってしまったことか。あるいは、不安の素は早く始末してしまおうと若者を追いかけてしまったことか。

それとも、彼女を捕えたのが、まさに彼女を探しにやってきた男だったことか。若者がこの場にいなかったのは幸いだった。凄惨な『消す』現場や裏社会のいざこざに巻き込まれずにすんだのだから。

「さっきのあの子、勘がいいねぇ♪」
「運がいいだけじゃないですか?」

二匹の獣は楽しげに若者を語る。彼らの足元で震えるのは、可愛い毒蜘蛛。

ちょうど同じ頃。若者は駆け出していた。通りの向こうに、金髪と赤毛の二人連れが見えたからだ。

やっぱり、あの二人と一緒は楽しい!!

のほほん、とした顔で。おーいと声を出しながら、若者は元気よく二人に飛びついた。だが、彼ならたった独りになっても生きていけるはずだ。もちろん共にいる仲間たちを大切と思う気持ちに偽りなんてないけれど、仲間との日々すら彼が選んで得たものにすぎない。もし望めば、いつだって仲間の前からいなくなるだろう。特に気にすることもなく。

彼は、きっと本物の天然記念物なのだ。天然ボケなだけではなくて、この世を生き抜く力を持っている。誰にも警戒させないとぼけた印象、内面にひそむ強さ、そして天性の勘と運。動物園のどこにも飼育されていない奇妙な獣だ。ふんわりと漂いながらあくまでも野生で生き続ける、もはや希少価値となった存在。

要するに、彼は。

この街でただ一匹。本物の自由を持つ獣、なのだろう。


Fin.

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