絵:aruさん  Necromance Carnival(wiki)
「#絵描きさんからリプ貰ったイラストを文章にする」より



 驚きのあまりに目玉が飛び出るなんて言うけどさ。文字通り、解けて崩れて飛び出たコレはいくら自分の目玉だって微笑ましいと思えるもんじゃない。
 ドロリと落ちた左の眼球を片手で受け止めて、オレは疲れ切った時のように息を吐いた。実際は疲れたなんてもんじゃなかった。生者でいうところの半生半死だ。襲い掛かってきたキメラを倒すための大立ち回り。すべてが片付くころには肉体の半分以上が飛び散ってしまっていた。オレね、ドロドロ系の腐肉ゾンビだからさ。したたり落ちちゃうの、自分の肉。
 今夜の敵は小型の猿を基本としたらしきバケモノたちで、えらくすばしこい上に10匹ほどの群れを為していた。ウサギに似た後足で大地を跳ねまわり、猿の特徴を持つ前足で木々の枝を自由に飛び移る。奴らは奇妙な声で鳴きあいながら連携と呼べそうな動きを見せていた。まったく、キメラってもっと知性が低いもんじゃないのかね。バカみたいに鋭い牙と爪を避けながら一匹ずつ倒していくのはなかなか骨の折れる仕事だ。オレでなければ実現不可能なくらいに。

「エデアさん!」

 駆け寄ってきた小柄な人は震えながら息を切らせていた。この震えが恐怖からくるものじゃないと知っている。いや、もしかしたら恐怖に近い種類の不安かもしれないけれど、決して彼女自身の死や痛みを恐れたものじゃないということはもう身にしみてわかってしまった。存外に、この人は強い。

「リーオさん、ブルってんじゃねーって。あー、腹減った」

 そう言ってオレが笑うと彼女はほっとしたように震えを止めた。馬鹿だね、とうに死んでる他人のことなんか心配してどうすんの。
 オレがこの小柄な女性、リオの同行者として旅を始めてからしばらくが経つ。最初はめったに視線が合わない女だった。一瞬こちらに目をやっては『見るに堪えない』と言わんばかりに目をそらす。まぁお世辞にも保存状態良好とは言えないどろんどろんの顔だから、気味が悪かったのかもしれないが。それでも見習いとはいえネクロマンサーだ。死体を見たくらいでビビるだなんてナンセンスなほどの初心さじゃないか。
 それほど気の弱い女だと思っていたのに。どこか初心な感じのする少女は驚くほど短期間でオレとの旅に慣れた。最近じゃうっかり触れようとしてくるから困ったものだ。危ないにもほどがあるだろ。だって、オレの肌は普通じゃないから。
 何の因果か、オレの肌に触れたものはすべてドロドロに腐敗するのだ。草でも肉でも、生けるも死すも。腐らない素材のグローブ越しなら構わないけれど直接はダメ。何度言っても彼女は『ついうっかり』オレに触れようとする。例えば寝起き。オレのとろけた頬にくっついた小石を素手でつまもうとした。待て待て待て、冗談じゃない。旅の同行者を腐肉に変えてジ・エンドだなんて、そんなカナシイ旅行がしたくてここにいるわけじゃない。

「何か食わないとなァ」

 かすれたオレの声は肋骨の隙間からこぼれるかのようだ。いくらなんでも肉体を失いすぎた。これ以上減ったら歩くこともできなくなりそうだ。

「ご飯、買ってきます」

 リオがくるりと後ろを向いた。揺れる、長い髪。一瞬、目がくらんだ気がした。掌の眼球を残った片目で眺める。今、彼女の髪にきらめいたかに見えた、あの光は何だ。
 リオの髪は空の色に近いと思う。青みがかった明るい色だ。もしくは涼しくひたひたと満ちた浅い泉のような色。どこまでも蒼くざわつくあの海とは少し違う。海原は深い暗い蒼色をしていて光を飲み込むようだった。オレは生前船に乗っていた。海の記憶はろくでもない生涯や薄れゆく意識の記憶と重なる。
 空いた手でぐちゃりと髪をかき上げて、オレは木々の間をゆっくりと歩み出した。これ以上身体が減らぬよう、なるべくしたたり落ちないように。今襲われたばかりの場所なのだから本当は一刻も早くずらかりたい。だが、まずは失った肉体を補充するのが先だ。
 リオが完全にいなくなったことを確認してからキメラに手を伸ばす。戦いの中でオレの肌に触れ、すでに腐敗が進んでいるそれにかぶりついた。食い物は何でもいい。食えば食った分だけ肉体が補われる。ただ、腐っているものでなければ食えない。ぬめって糸を引くキメラの肉を飲み込むと、ずぶり、と大腿骨周りに腐肉が沸いた。
 キメラ2匹分を平らげると何とか普通に動けるくらいになった。好きでこんなもんを食っているわけじゃない。顔をしかめて無残な『食事』を切り上げる。なにせ小型だからこれだけじゃ十分とは言えないけれど、動けさえすりゃ大丈夫。林の中からリオが通ってくるであろう街道まで出て、道沿いの大きな石塊にどっかと腰をおろした。このままリオを待つことにしよう。


 それから数時間後、これじゃ夜が明けちまうと心配になったころにリオが帰ってきた。まるでピクニックにでも行くような大きさのバスケットを揺らしながら駆け寄ってくる。あれじゃあ息も上がるだろう、きっと汗もかいているだろう。

「ただいま! 待たせてごめんなさいっ」

 はたして、オレのもとへとたどり着いたリオははふはふと息を上げていた。大ぶりのバスケットは食べ物と一緒に買ったものだそうだ。大量の食べ物を腕に抱えて走るよりも早いと思ったという。リオがお行儀悪くもぐいと袖口で汗をぬぐう間にバスケットをのぞき込んでみた。中にはパンやサンドイッチの他にも肉やら果物やら、生きた人間にとっては気の利いた食事と言えそうなものがいっぱいに入っている。ま、俺には味なんか関係ないけどね。
 時間がかかったのは町で男に絡まれたからだとリオが言った。まともな街で夜更けに食い物が買えるところというと酒場くらいしかない。きっと酔っ払いのゲス野郎。一瞬荒事にでも巻き込まれたかと身構えたがどうやら違うらしい。なんでも『善意』の用心棒サンが旅人姿の彼女にしつこく『護衛』を持ち掛けてきたそうだ。

『可憐な女子が一人歩きじゃ危ないぜ! 俺がついて行ってやるから頼りにしてくれよ』

 ……要するにナンパされたわけか。『可憐なお嬢ちゃん』? コイツが? 物好きがいたもんだとからかってやろうか思ったが、それで晩飯没収になっても困るのでやめておく。

「物好きな男がいたもんだとでも思ってるんでしょ」
「ブフッ! いや、そんなこと考えてマセンヨー?」

 ぷぅと膨れるリオ。言わなくても顔に出てたって? それだけオレの表情が読めるンなら、もう同行者としては一人前だ。だってそうだろ。最初は正視に堪えないとでも言わんばかりだったお嬢ちゃんがさ。今ではオレの顔をじぃっとのぞき込んで、こんな軽口を叩き合うまでになってんだから。
 俺が差し出した手にバスケットを渡し、リオもそこからサンドイッチを1つ取り出した。それからさも当然のようにオレの隣に腰掛ける。自分でいうのもなんだが、よくコレと並んでメシなんか食う気になれるね、この子?

「アンタが可憐な女子、ねぇ〜?」

 ニヤリと見やれば、サンドイッチをかじろうと口をあけたばかりの横顔が一瞬だけこっちを向いた。

「嫌なエデアさん! もう…。黙ってればそこそこ……」

 サンドイッチと一緒にもぐもぐと言葉を飲み込んで。聞こえなかった振りをしてオレも『食事』に取り掛かる。背中を向けて隠すのはせめてもの配慮だ。以前はしっかりと見えない位置まで立ち去って食っていたものだが、彼女がオレに慣れるにつれて距離をとることは少なくなった。果物、干し肉、パン、オレに食われるエトセトラ。見えずとも急速に腐り行く悪臭は鼻につくだろうに、と思いかけて自嘲した。そんなもの、オレ自身の方がよっぽど。
 ずぶずぶになった洋ナシを飲み込んだところで気が付いた。誰か来る。
 まだ気づくことなくサンドイッチをぱくついているリオに声をかけ、繁みに隠れた場所へ移動した。リオを背後にやりながら様子を見ると、街道をやってきたのは旅装の数人連れだ。どうにもガラの悪そーな連中だと思う。男ばかりが3…4人か? 特にいただけないのは土色の帽子をかぶった大柄な男だ。マントの奥から見え隠れする腕の傷跡、どう見てもあれは獣相手につくもんじゃない。人間か、人型の何かを相手にしたんじゃなきゃあり得ない形だ。
 面倒事は避けるに限る。息を殺したままやり過ごそうとしていると、つんつん、と後ろから袖を引かれた。軽く振り向くとすぐそばにリオの顔がある。危ない、肌が触れたらどーすんだ。

「あの人……!」

 ひそひそ声とともに指さされた先にはオレが『いただけない』と思ったばかりの男が歩いていた。何が、と首をひねってから気が付く。ナンパか。あの男が。
 まじまじとその男を見ていると視界の端で何かが不審な動きをした。ヤツらのうち一人が立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回している。こちらを向いた。まずい、気づかれたか。たぶんオレの腐臭が原因だろう。リオの声は小さくて相手に聞こえたとは考えにくい。舌打ちをこらえながら通り過ぎろと念を込めていると、ヤツらはそれ以上足を止めることなく過ぎ去っていった。やれやれ、一安心だ。


 朝。
 目を開くとちょうど日が昇るところだった。リオが身を起こし、バスケットに手を伸ばしている。彼女の眠りはいつも浅いようだ。今のように遅く寝た翌朝は別として、ほとんど毎日暗いうちから起きだしてくる。
 彼女がバスケットから取り出したのは薄い手袋だった。革製に見えたが正体は合成繊維だという。腐らない繊維だ、オレに触れても。
 オレは昨日の残りのパンを食らい、リオはリンゴをかじってから再び旅路につくことにした。リンゴの芯がオレの足元に転がる。無造作に投げ捨てられた朝食の残骸は、まるで『平和な日常』の遺骨にも思えた。
 次の町までは半日ほどの距離。最後の目的地まではどれだけの距離だ? 終わりはまだ見えない。オレたちの旅がまだしばらく続くってことと、目的地に近づくほどに増えるキメラの襲撃だけが今、確かな事柄。
 日が高くなった頃、小さな町が見えてきた。町というより村なんじゃないかと思うほど、本当にちっぽけで農村みたいな雰囲気の町だ。住居区を囲む柵の外側に半壊した小屋が建っている。中は無人。窓枠はがらんどう。床板じゃなくって土がむき出しになった内部には家財の類は見受けられない。崩れかけた壁には……術式めいた記号の落書き。たぶんリオのようなネクロマンサーが仮の宿にしたか、以前住んでいたかのどちらかだ。

「空き家、みたいね」

 まじまじと小屋の中をのぞいていたリオさんが言った。オレも同意見だね。試しに中に入ってみたら、破れた屋根から空が見えた。崩れた壁の向こうには町が見える。黙って使っていいならば今日のお宿にしたいくらいのステキな廃屋だ。
 と、小屋の外からヒューッと口笛の音がした。

「よう、お嬢さん! また会ったな!」

 笑いを含んだ下卑た男の声が近づいてくる。同時に「あっ」と小さくリオが声を上げた。堪えることなく舌打ちを鳴らし、腰の得物を確かめる。相手の気配は一人分。扉すら朽ち果てた入口から大きく身を乗り出すと、思った通り、町の方から昨夜見たナンパ男がご登場の真っ最中だった。

「よーう、オニイサン。オレのツレに何か用?」
「……ネクロマンサーか」

 ぬっと顔を出したオレの姿に闖入者はギョッと立ち止まった。オレはそのまま壁にへばりつくように立つリオの隣へ。一歩、二歩、リオより前に出て、男と彼女の間に立つ。近づくごとに相手は後ずさる。もう一歩。さらに一歩。

「ケッ、気っ色わりぃツラしやがって」
「おーおー、そりゃどうも。てめーのガラのわりぃツラにゃ負けるよ」
「ハン、王子様気取りか? ブッサイクなバケモノの癖しやがってよ!」

 わざとらしくオエッとえづいて見せる悪漢。黙って聞いてりゃいい感じに煽ってくれるもんだ。一触即発? これでオレが死者じゃなきゃ、まるで乙女を奪い合うオスどもの争いって構図じゃないの。女はラブロマンスと呼び、男は欲望と呼ぶアレみたいだ。
 外見のことしか言わないのはなぜだい、旦那? 自分がよっぽど気にしてるからじゃないのかね。目の前にいる男は立派な体格をしちゃいるが、お世辞にも美男子とは言えない面構えだ。たぶん後ろ姿の方が100倍は魅力的。だからこそかもしれないが、旅装を解いた今は立派な筋肉を見せびらかすような布ッキレ同然の服と、高い身長をことさら高く見せる厚底の靴を履いている。見た目にばっか気を取られて脳みそイってんじゃないのかね。だから自分が煙たがられていることにも気づかずにフラれた相手にまた声をかけたりするんだろ。

  「……です…」

 オレが口の中に一番効き目がありそうな煽り文句をため込んでいると、背後から蚊の鳴くような声がした。ん? と振り向けば、可憐な女子ことリオさんがうつむいたままプルプル肩を震わせている。

「エデアさんはカッコイイです! 貴方なんかより!ずっと! 何なの? 嫌だって言ったじゃない! 気持ち悪い、話しかけてこないで!」

 上ずった罵声は一息で。
 ポカンと立ち尽くす。いやいや、この子、何言ってンの? 突然褒められんのも悪い気はしないけど、オレに惚れたら火傷をするぜってそれどころじゃなかったわ。
 空色の長い髪から垣間見える耳まで赤くして息を吐くのは怒りのせいか。半ば呆然としたまま正面に向き直るとナンパ野郎もポカーンと口をおっぴろげて固まっていた。いや、うん。心中お察しいたしマス。

「ハァァ〜〜〜〜〜!?」

 数瞬の間があってから、叫ぶように男が言う。

「姉ちゃん、本気か!? 目ぇ腐ってんじゃねぇのか?」

 ばぁか。目ぇ腐ってんのはオレの方だよ。もちろん目だけじゃないけどさ。

「腐ってるのは貴方の性格でしょ! やたら変なポーズで迫ってくるし、護衛はいらないって言ってもしつこいし、とにかくしつこいし! だいたい人の話も聞いてないじゃない! 『ネクロマンサーか』ですって? 昨日言ったでしょう、死者と一緒に旅してますからって!!」

 リオが珍しく怒鳴り気味にまくしたてる。そこまで言ってたんだ? だったら昨夜、街道でご挨拶でもしてやるんだったかな。人間相手に多勢に無勢は嫌だからさ、あえて避けてみたんだけど。
 アバズレめ、ゾンビとヤってろ!と捨て台詞を残し、男は町の中へと去っていった。リオはまだ憤慨やるかたなしといった様子。顔の横にムキーッという文字が浮いて見える。どうどうと制止しながら彼女の方へと歩み寄り、おもむろに。

 ドン、と壁に足をついた。

 オレ様の長いおみ足はリオのすぐ脇を抜け、白い壁に彼女の影を縫いとめている。一瞬びくりと身を縮めたリオだが、すぐにきょとんとした顔でオレを見上げてきた。ゾンビとはいえ、使役型じゃなく自律型のオレ。自分勝手に動ける『男の形をしたモン』と壁に挟まれた格好なのに、そんなに無防備にしていていいのかい? そんな子供みたいな表情しちゃってさ。どうして逃げようともしないんだ。危機感どっかに落としちまったのか。

「……ダンスでも踊る?」

 リオの手を取って、指先に口づけた。まだ新しい手袋をオレの腐汁が汚す。手袋越しにも伝わるはずのぬるりと滑る腐肉の感触。リオはますますきょとんとした顔でまっすぐに見つめ返してくる。何かもわかっていないみたいだ。カリ、と細い指先に歯を立てて、オレも負けじと彼女の瞳をのぞき込んだ。
 ちょっといじめてやろうかな。そしたら驚いて、オレを嫌いになるのだろうか。裏切られたって思うのかな。それでもいいや。そうしてもっと疑うってことを知ればいいんだ。
 世間も知らない少女一人で帝国規模の怪異を解決して来いなんて。屈強な男や歴戦の死霊術師ならああいうガラの悪ぃのに絡まれたって屁でもないはずだ。どうしてコイツなんだろう。ただひたすらにキナ臭い。

 なぁなぁリオさん、アンタ何のためにこんな仕事させられてんの。なぜ怯えないの。行く先にも、オレにもさぁ。

 同行し始めた当時の彼女を想う。表情は硬く、目が合う前に顔ごと背けたあの頃の姿。なぁ、またあの時みたいに目をそらしちゃくれないか。このままアンタが『本当に大切なひと』になっちまう前に。
 鳥の声も、虫の声も消えた昼下がり。辺りはしんと静まり返った。腐れた汁が滴る感触、落ち着いたままの彼女の呼吸。じっとこっちを見つめた君がまばたく音さえ聞こえる錯覚。町には生者がいるはずなのに、外には動く影もない。クソッタレな旅の途中で、世界に今は2人きり。

 目をそらしたのは、オレの方だった。

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