平和になった世界の話 『平和な世界』

昔々。
人と魔物たちが暮らす世界があった。
海と空とそれから大地。
昼と夜がある当たり前の世界だ。
魔物たちといってもまるっきりの野獣のようなもんじゃない。
どちらかと言えば魔人。
姿形は恐ろしげだが、王を頂き、言葉を話す知恵を持った生き物だ。
魔物たちは人を襲った。
人は食われ、戯れに殺され、あらゆる物を奪われて苦しんでいた。
ある日、一人の若者が立ち上がった。

「魔王を倒そう。
 魔物の中で一番強いという魔王を倒せば
 きっと他の魔物たちも人を恐れておとなしくなるはずだ。」

若者は国王の元へと馳せ参じ、まずは若い兵士となった。
若き兵士は剣を覚え、戦い方を学んで強さを身につけた。
ある日、剣術の大会に優勝した若者に王が言った。
「お前の強さは国一番じゃ。」
若者はもうこれで十分と兵士を辞め、旅に出た。

次に若者は刀鍛冶の弟子になった。
厳しい親方の下で技術を学び、来る日も来る日も刀を打った。
ある日、若者が鍛えた剣を見て親方が言った。

「おお、こりゃよくできてやがる。これ以上の剣はちと見たことがねぇ。」

初めて褒めてくれた親方に礼を言うと、若者はその剣を携え、もう一度旅に出た。

次に若者は薬学を教える薬師に師事した。
熱心な薬師に教えられ、若者の知識はめきめきと増えていった。
傷を治す薬、自分を守る薬、敵を傷つける薬。
ある日、師匠はこう言った。

「あなたに教えられる薬の作り方はこれが最後です。」

別れの餞別にと一滴でも暗闇で明かりを灯せる特別な油の作り方を授けられ、若者はまた旅に出た。

最後に若者は学者の元に赴き、魔物の言葉を習った。
魔物たちの言葉は人間の言葉より単純で覚えやすい。
だが魔物たちは文字を持たなかったから、勉強はいつも記憶が頼りの口伝えなのだった。
ある日、学者がこう言った。

「君は全てを覚えつくした。もう君に教えることは何もないよ。」

親切な学者の先生に深々と頭を下げて、若者はついに魔王の元へと旅立って行った。

旅は困難を極めた。
険しい岩山、激しい荒海。
幾多の困難を乗り越えて、若者は魔王を探した。
だが、魔王はどこにも見つからなかった。
襲い来る魔物を自慢の剣で突き刺し、切り裂き、若者は進む。
あるときは敵を薬で焼き払い、あるときは魔物の言葉で魔王の居場所を問いただしながら。
行く先々で魔物と戦っては困っている人々を助けていくうちに、 若者はいつしか勇者と呼ばれるようになった。
やがて仲間が集まり始めた。
一人、また一人と勇者を慕うつわものたちが旅の供に加わっていく。
各地では勇者の弟子を名乗る者たちが次々と旗を掲げ、魔物たちと戦い出した。
魔物は倒され、数を減らしていく。
人々は大いに励まされた。
か弱い人の手でも恐ろしい魔を打ち払うことが出来るのだ。
人々は剣を取り、魔物と戦うことを選んだ。
人々は強くなり、魔物たちはおいそれと人を襲わなくなっていった。

そして世界に平和が訪れた。
それは、最初に若者が思い描いていたような一夜にして訪れる劇的なものではなく、 少しずつ、ゆっくりとした穏やかな変化だった。

若者は年をとり、立派な口ひげを蓄えた一人前の男になっていった。
目の脇や口元には細かいしわができ、髪には白い物が混ざった。
妻と二人の子供ができ、旅の道連れの顔ぶれも何度か変わった。
男は今でも魔王を探していたが、やっぱり魔王の棲家はどこにも見当たらなかった。

だが、魔王はいたのだ。
どこかの海の只中の誰も知らない離れた島に。
魔王は頭を悩ませていた。
今までいい獲物だと思っていた人間たちが自分たちに向かってくる。
魔の者たちは人間を避けるようになり、他に糧を求めた。
もっと非力な獣を食い、野の植物を食み、泉の水を飲んで暮らす。
それでも人間たちは魔の者を探しては次々と襲ってきた。
今や魔の者たちは人間を避け、隠れて生きねばならない。
考えあぐねた魔王はつにい奥の手を使うことにした。
昔々から伝わっている不思議な魔法。
それは望むがままに自分たちと他のものが住む世界を分けることが出来るというものだ。
魔王は全ての者たちを呼び集め、世界の分け方について相談した。

最初、魔王は住む場所を区切ってしまうつもりだったのだ。
どこか住みよい土地を探してそこに皆で移り住もう、と。
そしてその周りを魔法で囲ってしまおうと思っていた。
いわば魔の者たちの楽園を作ろうとしたのだ。

「不思議なまじないで海を割り、風の壁を築こう。
 人間たちが入って来れないように。」

しかし、その考えに異を唱える者がいた。

「それではまるで鳥かごのようだ。
 外から入って来れない代わりに中から外に出ることも出来ない。
 そんなことでは幸せな楽園がいつか窮屈な檻となり、
 我々を苦しめるのではないか。」

それは賢い意見だと魔王は思った。
だから別の分け方を考えることにしたのだ。
それは誰もが考え付かなかったまったく新しい分け方だった。

まじない、まじない、魔王が使うおまじない。
世界に風が吹いた。
星が瞬いた。
闇夜が一瞬濃くなった。
魔王が使った魔法はそれは不思議なものだった。
人間と魔の者たちがお互いに気づけなくなる魔法。
住む場所ではなく、見える、聞こえる、感じる世界を分けてしまう魔法。
これで人間と魔物はお互いの姿を見ることができなくなった。
お互いの声も聞こえなくなった。
同じ場所に立ったとしても、お互いが空気のようにすり抜けて、決して触れ合うこともない。
同じ世界に生きているのに、まるで違う世界にいるかのようにお互いを感じられなくなったのだ。
魔王の賢い決断に、魔の者たちは皆、口々に万歳を唱えた。

こうして魔物と人間が出会うことは二度となくなった。
まじないのおかげで魔物たちは安心して暮らせるようになったのだ。
皮肉にもそれは人間のためにもなった。
これで人間はもう何があっても魔物に襲われることはないのだから。
世界に平和が訪れたかに見えた。
けれど。
それからずっとずーっと時間が経ったころ。
世界は再び争いに満ちていた。
二つの生き物たちは仲間内で争うようになったのだ。
人間は人間どうしで、魔物も魔物どうしで。
その頃にはもう二つの種族はお互いの存在を忘れていたから、
それぞれが争いで起こす破壊は「天変地異」や「自然現象」と呼ばれるようになった。
目に見えない何かの力が起こす大きな災害。
人も魔物もそれを「自然の脅威」と呼び、正体も知らずに恐れ敬った。
噴火や地震や大津波。
魔物も人間たちも忘れてしまったのだ。
それらがかつて自分たちと同じ世界に生きていた命ある存在のなせる業であることを。
魔物と人間が争うことのなくなった平和な世界。
そこは本当に平和で幸せな世界なのだろうか。
遠い遠い時代に平和を願った勇者と魔王。
彼らが今でも世界のどこかにいるとしたら?
もし、いるとしたら。
魔王はきっと、今でも世界を分けるまじないを唱え続けているだろう。
この世に争うものがいる限り、何度でも世界を隔て、出会えない一族を増やし続けているのだろう。
勇者はきっと、今でも世界を旅していることだろう。
もう決して出会えるはずもない魔王の姿を求めて、平和なはずの広い世界をさまい続けているのだろう。

−終−

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