姫君

昔々のお話です。

昔々のあるところ、深い深い森の中。
清らかな水を満々とたたえた池がありました。
実は不思議な力を持った、魔法の水の池でした。
池の向こうの山奥に、小さなお城がありました。
白壁でできたそのお城には、お姫様がお住まいでした。
華奢で可憐で色白で、それは美しいお姫様でした。
お姫様の青い瞳はガラス玉のように澄み切って、キラキラと輝くのです。
愛らしい口元からは鈴を振るような声がこぼれます。
けれど、お姫様のお口の中には、恐ろしくもご立派な牙が生えておりました。


昔々のお話です。遠いお国のお話です。


昔、ある国の貧しい村に一人の若者が住んでいた。
彼は農夫だった。
村人の大半と同じく、貧しい暮らしをしていた。
いつもせっせと畑を耕したが、どんなに頑張っても暮らしはちっとも楽にならない。
若者はだんだんと畑仕事が嫌になっていった。
――― そして、ある春の日。
ついに若者は農具を放り出し、旅支度を調えた。
狭い村を出て、広い世界の彼方へと運試しに出かけるために。
うららかな陽が照る日の午後、若者は旅立った。
風の吹くまま気の向くがまま、てくてくと歩く。
やがて、若者は大きな町にたどり着いた。
町はにぎやかだった。若者が住んでいた村とは大違い。何もかもが珍しかった。
酒場に入った若者は、奇妙な噂を耳にした。
町から西へと進んだところに山がある。その山の奥に不思議な城があるというのだ。
何でも城には宝物が眠っているらしい。
今までに何人もの勇気ある者たちが出かけていったが、帰ってきた者はいないそうだ。
噂を聞いた若者は、俄然奮い立った。

(さてさて、これは面白い話を聞いたぞ。
 一つおいらも出かけていって、自分の運を試してやろう。)

町でパンと干し肉と、いくらかの水を手に入れ、若者は山の奥を目指して歩き始めた。
どれくらい歩いたのだろう。
すっかり日が暮れ、夜になり、また朝がやってきた頃、若者は山へと続く森にたどり着いた。
森の中には細い獣道がどこまでも長く続いている。
その道をてくてく歩いていた若者は、突然立ち止まった。
どこからか苦しそうなうめき声が聞こえる。
きょろきょろと辺りを探してみると、やぶの中に一匹のオオカミがうずくまっていた。
どうやら猟師の仕掛けた罠に足を挟まれているらしい。
だらりと舌を吐いて、ずいぶんと辛そうだ。
若者は気まぐれを起こして、このオオカミを助けてやることにした。

「おい、オオカミ。助けてやるぞ。」

そう言って罠をはずし、水を飲ませてやる。
するとオオカミはひどく感謝した口調でこうつぶやいた。

「やれやれ、ありがたい。」

若者の驚いたことったらない。何せ獣が人間の言葉でしゃべったのだから。

「お前、どうして人間の言葉が話せるんだ?」

こう問いかける若者。
オオカミはすぐに口を開いた。

「お前の持っている干し肉をくれたら、秘密を教えてやろう。」

そこで若者は持っていた干し肉のかたまりをすっかりオオカミにくれてやった。
オオカミは干し肉にかぶりつくとたちまちのうちにガツガツと平らげる。
喰事が終わると、オオカミはげっぷをしてから話し始めた。

「俺が人間の言葉を操るわけはこうだ。
 ここから先に行くと小さな池がある。実はその池の水が魔法の水なんだ。
 獣がその水を一口飲めば、たちまち人間の言葉が話せるようになる。
 人間が一口飲めば、たちまちのうちに獣や鳥の言葉がわかるようになるんだよ。」

それを聞いた若者は、こいつは面白いことを聞いたと思った。

「そいつはいいことを聞いた。オオカミ、ありがとう。」

そうして先へと進もうとした若者の裾をオオカミがくわえた。
いったい何事だと振り返ると、オオカミはひどくまじめくさった顔をしている。
不審がる若者に向かって、オオカミはこう言った。

「待て待て、人間の小僧っ子よ。
 お前はずいぶんと親切にしてくれた。お礼にいいことを教えてやろう。
 実はな、池のもっと向こうに城がある。その城にはたくさんの財宝があるのだ。」

それを聞くと若者は笑って立ち去ろうとした。
町で聞いた噂と同じだったので、そんなことはとっくに知っていると思ったからだ。
するとオオカミは顔をしかめてこう言った。

「小僧っ子、話は最後まで聞くもんだ!」

そこで若者はしかたなしに立ち止まった。
オオカミは、えへん、と咳払いを一つ。

「その城はな、恐ろしい獣に守られているぞ。
 それというのも、城には獣の国の王様の娘、つまりはお姫様が住んでいるんだ。
 獣たちはお姫様の家来なのさ。」

これを聞いた若者は思わず声を上げた。

「なんだって! それじゃあ宝物を持ち帰る事なんてできやしない!
 ああ、でも僕は、どうしたって宝を手に入れてやりたいんだ。
 オオカミよ、その方法を知っているのならどうか、いい知恵を授けておくれ!」

若者が言うと、オオカミは首を横に振った。

「残念だが俺にはその知恵はない。
 だがどうすればその方法がわかるのかは教えてやろう。
 さっき魔法の水をたたえた池の話をしただろう?
 まず、お前はその水を飲まなけりゃいけない。それで獣や鳥の言葉がわかるようになる。
 それから池の周りにパンくずをまくんだ。そうすりゃ小鳥たちがやってくるだろう。
 小鳥たちがやってきたら何気ない風でこう言うんだ。
 『ああ、あの城に入れないものかなぁ。宝を手に入れられないものかなぁ。』
 そうすればあのおしゃべりな奴らは、たちまちピーピーとやり出すに違いないぜ。
 小鳥たちは噂好きだから、きっと城の秘密を知っていて、それをしゃべるだろう。
 小僧っ子、いいかい? 小鳥たちのおしゃべりをよく聞くんだ。最後までよく聞くんだぞ。」

それだけ言うと、オオカミは茂みの中に消えていった。
さて、若者はオオカミと別れてからも森の中を進んだ。
道は山へと入っていく。
ずんずんずんずん歩いていくと、やがて目の前が開けてきれいな池が現れた。
池の水はキラキラ澄んで、それはきれいに光輝いている。

(これがオオカミが言っていた魔法の池に違いない。)

そう考えた若者は、さっそく池の水を飲んでみた。
はてさて、本当に獣たちの言葉がわかるのか?
少し疑いながらも、若者はオオカミの言葉どおり、パンを千切ってばらまいた。
すると木々の枝からたくさんの小鳥たちが舞い降りてくる。
ピチピチとさえずる声に混じってこんな言葉が聞こえてきた。

「やぁ、パンだ。」
「パンだ。」
「パンがあるぞ。」
「パンだ、パンだ。」

口々に言うのは誰だろう。
きょろきょろと辺りを探したが人影はない。
どうやらこの言葉は小鳥たちの話す声であるらしい。
若者はさっそく腰を下ろすと、大きな声で独り言を言った。

「ああ、あの城に入れないものかなぁ? 宝を手に入れられないものかなぁ!」

すると小鳥たちはいっせいにピチクリパチクリとわめき始めた。

「あぁ、なんてバカな人間!」
「バカな人間!」
「バカな人間!」
「そんなことも知らずにやってきたんだよ! あぁ、バカな人間!」
「きっと、こいつもお姫様に喰われてしまうよ!」

若者は思わず息をのんだ。
なんとおかしな話だろう。城にいるというお姫様は人喰いだというのだ。
若者はますます耳を澄ませて小鳥たちの話に聞き入った。

「いや、お姫様の前に城を守っている獣たちがこいつを喰ってしまうだろう。」
「バカだね! 城のやつらはみんな火が怖いことを知らないんだよ!」
「小さなランプでも灯していけば、喰われずに済むのにね!」

若者は大喜び。
こいつはいいことを聞いたばかりに膝を叩いた。
急いで立ち上がって城に向かおうとした、そのときだ。
ふと、オオカミの声が若者の頭をよぎった。

「小鳥たちのおしゃべりをよく聞くんだ。最後までよく聞くんだぞ。」

そうだ。
最後までよく聞かなければ。
考え直した若者は、また腰を下ろした。

「獣を越えてもお姫様がいるよ。お姫様は火を怖がらないよ。」
「でも宝を手に入れるのは簡単なことさ。お姫様には秘密があるんだから。」

秘密。
秘密とは何だろうか。
若者は熱心に耳を澄まして小鳥たちのおしゃべりを聞き続ける。

「秘密? 秘密ってなんだい?」
「なんだお前、そんなことも知らないのかい?」
「耳だよ、耳さ。お姫様の耳をぎゅっとつかんでしまえばいいんだ。」
「そう、そう。そうすればいいんだ。」

小鳥たちはおしゃべりをやめようとしない。
若者が聞き耳を立てていることを知ってか知らずか、競うようにしてさえずっている。

「お姫様は自分の耳をつかんだ奴には逆らえないんだよ。」
「そういう決まりなんだ。耳を捕まえられたら従わなきゃいけない。」
「王家の決まりなんだよね。昔から決まってるんだ。」
「でも姫様は素早いよ、どうやって耳を捕まえるんだい?」
「簡単さ、後ろからこっそり近づけばいいだけさ。」
「ああ、でも、一つだけ気をつけなくちゃ。ほら、あのペットのことさ。」

小鳥たちのおしゃべりは続く。
若者は夢中になって聞いていた。
なんてすばらしいのだろう、聞けば聞くほどたくさんの秘密が手に入る。
宝はもう、目の前だ。

「ああ、そうだ。お姫様はペットを飼っている。こいつが厄介なんだ。」
「あいつときたら、人間を見るとたちまちにひどい声で鳴きやがる。」
「『人間だわ! 助けて! 助けて!』バカの一つ覚えみたいにね!」
「あいつがわめいたら姫様に気づかれる。そしたらすぐに喰われてしまうよ。」
「あいつに見つからないうちにお姫様の耳をつかめばいいんだ。」
「そう、そうすればお姫様は耳をつかんだ奴の言いなりだ。」
「宝物も、城も、この山も森も何もかも、お姫様の耳をつかんだ奴のものだ。」
「そうだ、そうだ、そのとおりだ。」

さぁ、これを聞いた若者は飛び上がって喜んだ。
もうじっとしてはいられない。
ワァと声を上げてそこいらを跳ねて回った。
驚いて、鳥たちが逃げる。
それから、若者は駆け足で山の奥の方に向かっていった。
目指すのは宝の城。
駆け行く彼の後ろでは、小鳥たちがまだピチュピチュとさえずっている。
――― そして。
まだ東の空にあった太陽さんがすっかり高く昇った頃。
若者はやっと山奥の城にたどり着いた。
それは白壁でできた小さな城だった。
門のところに何かが見える。
子牛ほどの大きさの黄色っぽい獣だ。
その獣は見たこともない姿をしていた。
四つ足で、頭の回りにはふさふさした立派なたてがみ。
獅子だった。
でも若者は獅子を知らなかったから、ずいぶんと変わった妙な生き物だと思った。
小鳥たちの話によれば、城の獣は火が怖いらしい。
荷物の中からランプを引っぱり出し、火をつける。
それから若者は、そろそろと獅子のところに近寄っていった。
獅子は若者を見るやいなや、グワリとあごを開く。
ところが、その口の中と来たら、ひどい歯抜けなのだ。

(やぁ、どうやらこいつは年寄りだ。そんなに怖くはないな。)

そう考えた若者はいくらか大胆になって、大きく前に踏み出した。
ランプを前に突き出す。
すると獅子はあわてたように口を閉じて、スタコラサッサと逃げていった。
なんと愉快なことだろう。
若者は鼻歌交じりに城の中に入っていく。
すると今度は中庭に、一匹の雌ヒョウがいた。
若者はヒョウも知らなかったので、これはずいぶんと大きな猫がいるなと思った。
雌ヒョウはすぐに若者を見つけ、今にも飛びかかろうかという様子。
しなやかな体をぐっと縮めて若者をにらむ。
しかし若者は落ち着いた風で、ランプの火を突き出した。
すると雌ヒョウは急に大人しくなって、庭の隅っこで丸くなった。
若者はますます元気になって城の奥へと進んでいった。
美しい部屋をいくつも通り過ぎる。
そのたびに獣と出会ったが、どの獣もランプの火を怖がって若者から逃げていった。
やがて、若者は一番奥の部屋にたどり着いた。
そうっと部屋の中をのぞいてみる。
そこには一人の娘が座っていた。
とても美しい娘だ。湖のような色の瞳を伏せ、白い頬は透けるよう。
まだ若いようで、憂いを帯びた表情は可憐ですらある。
娘の傍らには一匹の白い獣が寝そべっていた。
雌の獅子だ。
獅子にしては華奢な体つきで、こちらもまだ年若いようだ。
もちろん若者は獣の種類はわからない。
けれど、凛とした獣の横顔を眺めて、こいつはきれいな獣だと考えた。

絵:aruさん(pixiv
若者は思う。

(ははぁ、あの娘が人を喰うというお姫様だな。
 してみると、あの横にいる白い獣がひどい声で鳴くというペットか……。)

幸いなことに、白い雌獅子は若者がいるのとは反対の方を向いている。
お姫様と思われる娘も、若者に気づいてはいないようだ。
若者は足音を忍ばせて娘の背後に忍び寄った。
息を止めて。
一気に娘の両耳をガッとつかみ上げる。
ひどく驚いて金切り声を上げる娘。
はじかれたように、雌獅子がこちらを向いた。うなり声を上げ、牙をむき出して。
だが、若者はちっともあわてなかった。
何せ、もうお姫様の耳をつかんでしまったのだから。
心配することは一つもないのだ。

「やぁ、人喰いのお姫様。そいつぁ素敵なペットだね。」

傍らの白い雌獅子を見つめながら、若者は笑って言った。
すると、雌獅子が、鈴を振るような美しい声で答えた。

「ええ、ありがとう。それは人間の村からさらってきた自慢のペットですのよ。」

白い獅子の瞳は、透き通ったガラス玉のような青。
いまいち自体を飲み込めていない若者の耳に、けたたましい叫び声が飛び込む。

「ああ! 人間だわ!
 お願い、助けて、助けて! この獣の城から助けて出してください!」

若者に耳をつかまれたままの娘が、ひどい声を上げているのだ。
きょとんとしている若者の前で、白い雌獅子が立ち上がった。
ギラリ、輝く牙をむいて。
そして。
獅子は若者に飛び掛った。
悲鳴を上げる間もなく、若者はのど笛を喰い破られてしまった。

(なぜだ、ちゃんとうまくやったのに……)

薄れ行く意識の中で若者は娘を見た。
人喰いのお姫様だと思ったその娘。
それから若者は獅子に視線を移した。
華奢で可憐で色白で、それは美しい雌の獅子。
彼女の口元は若者の血で真っ赤に染まっていた。

「あらまぁ! 姫様、はしたない。そんなに口の周りをお汚しになって……。」

笑うような声が、部屋の入り口から聞こえる。
部屋の入り口から何匹かの獣が入ってきて、若者を喰らう輪に入った。
若者の吐息が絶えた後には、骨を噛む音と、娘のすすり泣く音だけが響く。


昔々のあるところ、深い深い森の中。
清らかな水を満々とたたえた池がありました。
実は不思議な力を持った、魔法の水の池でした。
池の向こうの山奥に、小さなお城がありました。
白壁でできたそのお城には、お姫様がお住まいでした。
華奢で可憐で色白で、それは美しいお姫様でした。
お姫様の青い瞳はガラス玉のように澄み切って、キラキラと輝くのです。
愛らしい口元からは鈴を振るような声がこぼれます。
けれど、お姫様のお口の中には、恐ろしくもご立派な牙が生えておりました。
真白い獅子のお姫様、獣の王の愛娘。
猛く気高いそのお姿はまるで古代の像のよう。
今日も今日とて家来とともに次の獲物をお待ちです。
昔々のお話です。遠いお国のお話です。

−終−

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