小兵

「皆の衆、申し申し」
 はてはて、お呼びは誰かいな。
「母御が付きめの従者でござる。産所の母御のお言葉じゃ。揃うてお役目務めませ」
 お申し付けは何じゃろな
「産所の母御の申されますに、氷が一かけ食いたいと。さぁ、さっそくに運んで来られい」
 またぞろ無茶をのたまいなさる。こんな真夏の真盛りに、どこに氷がありなさる。
「これより南へ億歩の道を行きたれば、甘い香りもかぐわしき氷の山があるそうな」
 それはあんまりご無体な。億歩の道は遠すぎる。
「何を抜かすか、たわけめら。母御のご恩を何とする」
 氷の山は固すぎる。一かけ欠くは至難にござる。
「甘えたことをぬかすでない。爪立て、歯を立て、欠いて来い」
 されども今の暑さにござる。億歩の道を来たるれば、残らず氷は解けまする。
「十分大きく欠いて来い。暑さに解けてもまだ残ろう」
 大きく欠いて持ちたれば、解け出す水のあまりに多く、我らの身体は流されまする。
「流されたれば流れて戻れ。抱えた氷は離すでないぞ」
 氷離すなとは、如何に。
「抱えた氷を離さねば、母御の御下に届くでないか。役目果たせば溺れて死ねど、小兵の身には本望よ」
 何とも無茶なお達しじゃ。氷一かけ食いたいために、命も捨てよと申される。
「何ぞ文句があるかいな」
 いえいえ、文句はありませぬ。

 三里のつぼに灸据えて、草鞋の鼻緒も付け直し、しばし別れの水の杯。
 われらが母御の御ためじゃ。
 さあさ、出立、皆の衆。
 母御は我らが姫様じゃ。無茶の我がまま、なお愛し。すぐさま叶えてしんぜよう。
 急げや急げ、億歩の彼方。揃うて目指せや氷山。


ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ

 地面に落としてやったカチ割り氷に群がる蟻たち。
 子供が一人、薄い笑みを浮かべながら、蟻の様子に見入っている。
 一匹の蟻は、自分の体よりも大きな欠片を咥えて帰ろうとしていた。
(バカだな、とけたらおぼれちゃうかもしれないのに)
 こちらの蟻はちっとも運ぼうとしていない。
 よく見ると、氷の表面に溶け出した甘い汁にかじりついているようだ。
(こいつなまけものだな、ようし、おしおきだ)
 子供は怠け者をつまみ上げ、ふぅっと遠くへ吹き飛ばす。
「おーい、何やってんの?」
 遠くから、子供の友らしき男の子が呼びかけてきた。
「アリとあそんでるー。」
 答えて子供はにたりと笑う。
「まぁくん、またアリんこで遊んでるのー? いじめたらだめなんだよー」
 駆け寄りながら友だちが言えば、最初の子供は大声を出す。
「いじめてない! アリさんといっしょにあそんでるんだ!」
 そうしてすぐに視線を戻す。地面にしゃがみこむ子供の見つめる先には、お気に入りの黒い点。
 黒い体躯の小兵どもは、一心不乱、ただひたすらに氷に向かう。
 氷は二つの小さな欠片だけ。どちらも半ば溶けてしまい、子供の目には少なく見えた。もっと与えてやろうと、子供はカチ割りの容器を傾ける。群がる蟻たちのためを思い、目を輝かせて。
 全身に巨大な氷塊を受け、何匹かの蟻が転げ落ちた。
 落ちた蟻たちを優しくつまみあげ、氷に擦りつけてやる子供。だが蟻にとって、子供の指は強すぎた。たちまち蟻の足はひしゃげ、触覚が氷の表面で歪曲した線を描く。比較的元気のあるものはその場を離れようと必死の様子。何匹かは瀕死の有り様で、ひくひくとうごめいていた。
(優しくしたのにアリさんケガしちゃった……)
 ほんのつかの間だけ、子供は悲しげな顔になる。
 蟻という昆虫は、危険な目に会うと特殊な臭いを出すそうだ。仲間に『この場所に近寄るな』と知らせるための警告臭だという。まだその知らせが行き渡っていないのか、無数の小兵達は氷に群がり続ける。
 子供はつんつんと蟻を「なで」た。蟻はそのたびに慌てふためき、逃げ惑う。走り回る姿を喜んでいるものと思い込み、子供は満足げに笑った。気をよくした子供は、くり返し、お気に入りたちを「なで」続ける。


ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ ……

 母なる女王蟻のため、幼い子蟻たちのため。
 蟻の小兵どもは甘い香りを放つ氷山へと果敢に挑む。
 無邪気にも恐ろしい危険をもたらす、巨大生物の足元で。

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