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昔々のあるところ、魔王様がおったとさ。
生まれたときから玉座を守り、闇を睥睨へいげいするのが務め。
魔王が住まう魔物の城は高い高いお山の上さ。
もっとも硬い岩山を穿うがって造った穴の城。
ある日、お客がやって来た。魔王の住まうお城にさ。

「やぁやぁ皆さん、こんにちは。
 あたくし、旅の歌うたい。お初にお目にかかります。」

銀の竪琴 お腰につけて、一風変わった吟遊詩人。
詩人というより道化のようなちょっと変わったおどけもの。
それはたいそう珍事であった。
だってなぜならこの詩人、なんと『 人間 』だったのだ。
遠い神話の時代から魔物と人は敵どうし。
攻め来ることなら数々あれど、『 友好的な訪問ごめんください、こんにちは 』なんて、本当に初めてだったんだ。

「遠路はるばる訪ねて来たか、何とも奇特な人間だ。」

揃いざわめく魔物たち。
あきれ返るや、感心するや、不審がるやら、笑うやら。
ざわめき満ちる城の中、魔王は華厳に格調高く、この珍客にひとこと告げた。

「ここはお前の来るような場所ではないのだ、立ち去れぃ。」

けれどもチンケなこの歌うたい、へれっと笑って首振るばかり。
しまいにゃふらふら揺れながら玉座の方へと歩み出す。
偉大な王を恐れもせずに何とも不遜な話じゃないか。
やがて詩人は魔王の前で片ひざついてお辞儀した。

「魔王陛下におかれては、ごきげんよろしく恐悦至極。」

さぁ、魔物らは驚いた。
よりにもよって『 人間 』が「魔王陛下」ときたもんだ。
スラリと鋭い剣を抜き、斬りかかるならまだわかる。
陛下とお呼び奉り、深くお辞儀をするなんて!
まるで魔物の仲間じゃないか。ちっとも『 人間 』らしくない。
正直なことを言ってみりゃ、魔王もちょっぴり驚いた。
そんな空気を読むや、読まぬや、詩人は銀の竪琴取って、曲を弾きつつこう言った。

「いやいや、しかし、大変でした!
 城へと続く道のりのなんと険しく遠いこと!
 地面はゴツゴツ尖った岩で、靴の底さえ突き通す。
 お空を飛べる方々や、ひづめの旦那にゃわからぬ苦労。」

ポロリポロポロポンポロロ。
銀の御琴が歌うたう。
詩人の白い指先からはそりゃあきれいな音が出た。
魔王は思わず目を閉じる。
始めて聞いた竪琴の音は、耳から胸へと染み入った。

「何かお話いたしましょうか、魔王陛下のお望みのまま、今一時の慰みに。」

魔王はうっとり夢心地。
吟遊詩人がうながすままに、下界の様子を問うてみる。

「人の都の様子はどうか?」

ポロリと弦を爪弾きながら、それに答える歌うたい。

「街にあふれる老若男女、やちまた巡るは旅がらす。
 小鳥のさえずりかすかに響く、朝は店屋が開店準備。
 昼にゃ旅の老芸人が手回し式のオルガンをくるくる回して歌うたう。
 道行く娘は己を飾り、赤・青・黄色の流行り服。
 隠遁居士にゃあにぎやかすぎる。
 アタシのようなひょうきん者にゃあ、いたく楽しいところです。」

口から流れる言葉の川は静かに明るい風のよう。
魔王も魔獣も魔人らも、この風変わりな『 人間 』が何だかちょっぴり気に入った。

「その『 オルガン 』とは何ものか?」

魔王が問うと詩人はパチリ、ウインク投げてこう言った。

「陛下、そいつは楽器です。
 四角い箱の形のもので、横にレバーがついてます。
 そいつをくるくる回してやると、きれいな曲が鳴るんでさぁ。」

魔王はふぅむと唸ってみたが、わかったようなわからぬような、どうにも微妙な心持ち。
そうするうちに詩人は一度、琴を休ませ、こう言った。

「歌をお聴かせいたしましょうか。人が作った人世ひとよの歌を。」

魔の者たちはざわざわ言って、どうやら歌が聞きたいようだ。
だから魔王は考えて、それから詩人に言ったのさ。

「それでは歌ってみるがよい。お前が一番得意な歌を。」

詩人は背筋を立て直し、銀の竪琴、手に取った。
それから詩人は歌ったさ。
野に咲く花の恋歌を。

  風も浮き立つこの春に 花はとりどり咲き乱れ
  黄色い小花の少女らが 白百合王子に恋をした

そこで魔王が遮った。

「これこれ、人よ。少し待て。」

詩人は琴弾く手を止めて、両目ぱちくりさせながら玉座の魔王を仰ぎ見た。

「『 花 』なるものは何物か? 『 恋 』をするとは何事か?」

玉座の上の魔王サマ、小首かしげて不思議顔。
それもそのはず、魔王にはいづれも知らぬことばかり。
生まれてこのかた山城を出たことのない魔王様。
闇の狭間の岩山じゃあ、花なんてもの、咲かないよ。
詩人は少し大げさにまなこを見開き驚いた。

「おやまぁ、これは、魔王様。花をご存知ないと言う。
 そいじゃあお見せいたしましょう。
 ちょいとお待ちなさいまし。すぐさま取って参ります。
 他でもないんだ、あなたのために、一番きれいで可愛い奴を。」

言うと詩人はてくてくと魔王の城を出て行った。
それからどれほど経ったかね?
またぞろ詩人が現れたのさ。
明け空白む朝だった。

「さぁさ、ご覧下さいな、さても偉大な魔王様。こいつがいわゆる花ですよ。」

詩人は両手に握れる限り、可憐な野花を摘んできた。
白、青、黄色、あふれんばかり。咲き誇ろうか、旬の花。
キラリきらめく白珠の朝の真露の清らかさ。
魔王は思わず身を乗り出してまぶしい花に顔寄せた。
さやかに匂う季節の花は初めて知った色の渦。
魔王は両目を真ん丸にして、ため息をしてこう言った。

「『 花 』とは何といものか。」

詩人はからりと笑っていたよ。
何だか照れくさそうだった。

「どうぞ、お納めなさいまし。この花束を、魔王様。
 あっしはそろそろ行かにゃあならぬ、しばしおいとまいたします。」

嬉しい笑みを口端に浮かべ、詩人は手渡す、花の束。

「ああ、もう行ってしまうのか!」

魔王は思わず憂いの声を漏らして、自分で驚いた。
だってそうだろ、最初のうちにいざ早々に立ち去れとうながしたのは魔王の方だ。
いつの間にやら己の胸の心変わりの不思議さよ。
おやと魔王が戸惑ううちに詩人はたちまち旅姿。

「もしもお許しいただけりゃ、野を越え山越え洞窟抜けて、またぞろお目にかかりましょう。
 この人の身のあたくしが陛下の眼鏡にかなうなら。」

丁寧至極にお辞儀して詩人は城を後にした。
銀の竪琴 御腰につけて、ふもとの方へと消えてった。

「そうそう、恋ってやつですが、そいつはちっと長くなる。
 次に来たとき話しましょうや。それまでさよなら、魔王様。」

後ろに残った魔王の耳にそんなセリフを言い置いて。



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