Sahara 〜兆候〜


 『なんだ、子どもか。』
 そう思った途端、その小さな子はパッと走っていった。

 きらり、きれいな眼。

 じっと見ていた? ちらりと見たか? それとも偶然、
視線の通り道に重なっただけ? 妙に印象に残る幼い瞳、
閉じたまぶたの裏で揺らめく。

 アスファルト製の this is the Sahara.ここは砂漠。
乾ききった喉を潤す、水が欲しい。

 オアシスはどこだ。

 高速で走り抜ける自動車の群。砂漠を我が物顔で行く。
この砂漠に適応しきった生態。こいつらの進化は激しい。
苦しげに黒い息を吐く種族、昔は多かったが今は少ない。
代りに繁栄するのはまるっこい体型のキュートなやつら。
昔は黒・白・シルバーグレーの体色がほとんどだったが、
今はパステルカラーとビビットカラーの新種がのさばる。

 喉を潤す飲物なら自動販売機にある。蛇口をひねれば
塩素の溶けたスイドウスイが出る。テレビという生物は
繁殖期でもないのに、歌を流し色で飾り派手なやり方で
スポーツドリンクの宣伝を叫ぶ。

 IT機器と新素材の this is the Sahara.ここは砂漠。
乾ききった胸を潤す、水が欲しい。

 オアシスはどこだ。

 便利な暮らし、環境破壊、誰も無知の意味を知らない。
無知の知をとなえたのはどのメーカーのコンピュータだ?
フィロソフィア、愛知主義。愛するのは知恵だけなのか。
詰め込みすぎたなら次の世代にはゆるすぎるプログラム。
しくじった時のためのバックアップ、用意できない。

 模造品の愛なら風俗街にある。本物の愛は絶滅危惧種、
保護の対象。軽々しく手を出してはいけない禁断の真実。
ヒトとふれあいたいのならサロンにでも行け。コンパは
お手軽な出会いのコンビニ。バーと居酒屋とレストラン、
この場所さえあれば夜も昼も事は足りる。若すぎる機種
たちはファーストフード。ごく稀な機種は図書館が好き。

 格納庫は集合住宅 this is the Sahara.ここは砂漠。
乾ききった瞳を潤す、水が欲しい。

 オアシスは存在するのか?

 様々な服とヘアスタイルで飾られたヒト。着せ替えの
上手さは、ケータイのパネル並み。最新機種の真似事を
せっせとしながら、誰とも似ていない形態を求め続ける。

 金属とプラスティックの生物が肉と血液と骨の機械と
共存する砂漠。機械は生物やベルトコンベアに運ばれて、
格納庫とそれぞれの持場を行ったり来たり。壊れたなら
別の個体と取り替えればいい。捨て切れない機械ならば
修理するだけ。ついでに中身もアップグレードすれば?


 きらり、きれいな眼。まるで生命を持った生物のよう。
しかし、しょせんは記号の一種。幼さという基準を示す。
なぜならまだ幼い子は砂漠を知らないから。惜しいかな、
いずれは消え果てる美しさ。

 それでも生まれ出る希望。もしもあの眼を持ったまま、
大人になってくれたなら。己は叶えられなかった夢物語。

 今日きれいな眼に出会ったのは、もしかすると兆候。
砂漠に芽吹く小さな葉、支えるのは細いけれど力強い根。
無機物に成り果てたヒトの見る夢。やわらかな緑の草原、
森林に漂う自然の息吹は現実なのか。

 小さな兆候を頼りに、今日も果てなく彷徨うは砂漠。
乾ききった砂漠に水の気配。蜃気楼かもしれない。だが、
ぱっと走っていった子の眼にオアシスを見た。

 だけど this is the Sahara.ここは砂漠。

 乾ききった未来を潤す、あのきれいな眼をもう一度。

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