戦 花

今は昔のお話。
村のはずれに彼岸花が咲いていた。
赤い赤い、紅より赤い。
世にも見事な曼珠沙華。
真っ赤な花は一面に広がって、数え切れぬほど咲いていた。
まるで赤い絹をひいたかのように。
草野の緑の中にまばゆい赤が広がる様は、何とも言えず美しかった。
華やかで、きらびやかで、まるで極楽のように。


花の群れを踏み倒しながら、男が一人、走っている。
何度も足をもつれさせ、転んでは起きながら走っている。
男が赤い群れを渡り切ったとき、村の方から声が上がった。
(とき)の声。
ワーッ、ワーッと大勢の男たちが叫ぶ声。
打たれたように男は倒れ伏す。
涙と汗が入り混じって、男の顔はもうぐしょぐしょだった。
時は戦国、所は大和。
世は乱れ、あちらこちらで戦が起こる。
彼岸花が群れ咲くこの村もまた、戦の災いに巻き込まれているのだ。
男は兵であった。
兵ではあったが、まことのつわものではなかった。
かき集められた雑兵にすぎない。
男は戦場から逃げ出してきたのだ。
今度の戦で、男は初めて兵ではない者たちを斬った。
か弱き村人を斬ることは今までの何よりも恐ろしかった。
どんなに激しい戦よりも、狂ったように光る敵・味方の目よりも。
斬らねばならぬのだ。
俺が斬らずとも誰かが斬るのだ。
そう己に言い聞かせ、死に物狂いで刀を振るった。
逃げ遅れたのは弱い者たちばかりだ。
年寄り。
こども。
何より恐ろしかったのは、身重の女。

ふと、人の気配を感じた。
ガタガタと震えながら顔を上げれば、目に飛び込んだのは赤い花。
恐れと興奮に吊り上がった目で、男はまぶしい赤をにらんだ。
くるりと丸まった細い花びら。
すっくと立った曼珠沙華は威勢のいい娘のようだ。
男はじわりと身を起こした。
駆け通しに駆けて来たせいで、肺腑が破れそうであった。
心の臓は早鐘の如く、どこどこと脈打つ。
そのとき、男の背にごうと熱い風が吹いた。
弾かれたように振り向く。
村が燃えていた。
火はあっという間にふくれ上がり、粗末な家々を飲み込んでいく。
戦禍の炎は緋色の舌だ。
まるで生き物のように、すべてをなめつくす。
男は食い入るように炎を見つめた。
焼けていく。
何もかも。
火を放ったのは男の味方どもだった。
目が熱い。
瞳に火の熱を感じた気がして、男は固く目をつぶった。
ゆっくりと、数を数える。
一、二、三、四……、百。いつか教えられた、落ち着くためのまじない。
目を開く。
そのとたん、男は声を上げて後ろに飛びずさった。
大地に向けた視線の先に、誰かの足があったのだ。
小さな、薄汚れた足が。
驚きに息をすることさえ忘れ、男は顔を上に向けた。
立っていたのは女の子だ。
汚い着物はところどころ焼け焦げていた。
澄み切った瞳はうつろな様子で男を見ている。
炎を後ろに黒く浮かび上がる、小娘の姿。
どのくらい見合っていたのだろうか。
小娘は突然崩れるようにしゃがみこむと、しくしく泣き出した。
か細い泣き声に男はハッと我に返る。
「む、村のわらしか……」
かすれる声で問うた。
小娘は顔を伏せたまま、こっくりとうなずく。
「逃げてきたのか」
男の呼びかけに答えることなく、娘は泣き続けた。
男の胸を言葉にしがたい感情が宿る。
幼子を慈しむ気持ち、弱き者を護りたく思う心。
それら全てを含む、愛おしさに似た感情が。
「泣くな、……大丈夫だから、な」
男は思った。
この子を連れて逃げよう。
俺がこの娘を守ってやろう。
そうして、なんとしても生かしてやろう、と。
「逃げよう。な、俺と一緒に逃げよう」
男の中から恐怖が薄れていった。
俺はもう一人ではないのだ。
道連れの共ができたことは、男の心をひどく励ました。
男は小娘に手を差し伸べた。
泣いていた小娘は、やっと泣き止んで顔を上げた。
涙に光る瞳。
泉のように澄んでいて、美しい。
男は頭をなでてやろうと、膝立ちのまま小娘に近づいた。
娘が言った。


「 逃 ガ ス モ ノ カ 」


大人の声。
同時に、小娘は男の肩をつかんだ。
黒焦げの手で。

男は悲鳴を上げた。
目の前で、娘の顔があっという間に焼けただれる。
澄んだ瞳は焼き魚の目のように白く濁った。
「あっ……、あ、ぁ、あぁあぁぁぅあっ……」
男は夢中で小娘の手を振り払った。
そのとたん。
ぼうっ。
赤い花が燃えた。
一面に咲いていた花が、一輪残らず燃えた。
炎は瞬時に消えた。まるで炎が花の上を駆け抜けたように。
辺りの景色が一変する。
絢爛と咲いていた花は一瞬にしてすべて消え失せた。
代わりに転がっているのは数え切れぬ骸。
まるで死人の畑のようだ。
ごろごろと、村人も敵味方の兵も入り混じった死人畑。
愕然とする男の前で小娘が笑う。
ぱっかりと血まみれの口をあけて、ケタケタと。


「 ド コ ヘ 行 ク 気 ダ

 オ マ エ モ コ コ デ 燃 エ タ ク セ ニ 」


男は思い出した。
ああ、俺は燃え盛る炎に取り巻かれたのだ。
俺は炎に巻かれて、崩れ落ちる家の下敷きになったのだ。
そうだった。

俺は、死んでいたのだ。

鬨の声。
ワーッ、ワーッと、敵方の兵たちが上げる勝利の叫び。
死人が転がる野の隅には男も小娘もいなかった。
ただ、数え切れぬ骸だけが大地を埋めていた。


時は流れ、全ては塵となっていく。
焼け跡を雨風が洗い、土ぼこりが降り積もっていった。
数え切れぬ骸が転がったあの死人畑も元の草むらに戻る。
そして、花が咲いた。
あの死人畑の真ん中辺り。
すっくと立つは、戦禍の炎と同じ色にふわりと開いたケシの花。
一輪、また一輪。
やがて、戦の時代が終わりを告げる。
ここに村があったことすら、人々の記憶から消えた頃。
死者たちが眠る大地は、緋色のケシ畑に変わっていたという。

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