はじめに、若い僧は百個の白くて丸い小石を拾い集め、丁寧に磨き上げた。
僧はこれから旅に出るのであった。
遠く離れた都にある大きな寺へと届け物をするためだ。
彼は旅の道々に聞く珍しい話を好み、特に怪異に関する話は必ず書き留めた。
そして話し手に、お礼としてピカピカに磨いた小石を一つずつ手渡していった。
妖怪、幽霊、不思議な出来事の話。
怪異について書き留めた草紙は段々厚くなっていき、小石はどんどん減っていく。
一つ目。山奥の沼に住む河童の話。
大きな沼に河童の一族が住んでいるのを見たそうだ。
緑の体に赤い目、ざんばら髪で生臭い臭いがしたという。
物陰から様子をうかがっていると、
『人の臭いがするぞ、見つけてやっつけてしまえ』
と口々に言いながら辺りを探し回ったそうだ。
たまたま迷い込んで、命からがら逃げ出した旅人が語った。
二つ目。そういえばと切り出された、河童小僧の話。
村の川に相撲好きな河童の子どもが住んでいた。
馬のしっぽの毛を抜いたり、近くを通る人に水をかけたりといたずらな小僧。
ある時ひどい嵐で川があふれた後、ぱったり姿を見せなくなったそうだ。
小僧がどこに行ったのか、誰も知らない。
三つ目。堀に住むかわうそが人を化かした話。
かわうそは、狐狸ほどではないが、よく化けて人をだますという。
堀で釣りをした帰り道、美しい女が釣り人を誘う。女は夜鷹(娼婦)である。
いい気になって女の示す小屋についていくと、あっという間に眠ってしまう。
翌朝、あったはずの小屋はなく、堀の側の草むらで寝ている。
釣った魚はすっかり食い散らかされているという。
四つ目。猫又の話。
『長く生きた猫は猫又に成って姿を消す』と聞いてきた男が、家に帰り、
可愛がっている猫に「お前もいつか猫又になっちまうのかい?」と尋ねた。
猫はちらと男を見、にゃんとも言わずにそっぽを向いた。
男は「お前がいなくなっちまったらひどく寂しいよ。」と、優しく猫をなでた。
次の日、猫は姿を消していた。
男と一緒に。
毛並みの美しい、メスの猫だったという。
大入道の話。ろくろ首の話。一つ目小僧の話。神や仏、鬼、幽霊の話。
町に住む妖怪の話。
山奥に住む天狗の話。
海の果てに住む怪物の話。
図書室に住まう物の怪の話(笑)
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「今では、ついに石も残り三つとなりました。」
若い僧はにっこりと笑って言った。
都までは、あと二日もあればたどり着くであろう。
夕暮れ、都近くの小さな山寺に宿を求めた時の出来事だ。
「それでは、これが九十八番目の怪談ですな。」
そう切り出したのは、都に近い山寺の和尚が語る話。
この辺りの山を歩く猟師の間では、よくよく知られた話だそうだ。
『子守とはぐれてしまったの、かか様もいないのよぅ』
鈴を振るような愛らしい声で言う。
『そいじゃあ、おいらが一緒に探してやろうか』
女童は泣きながらもうれしそうにこっくりした。
『あっ、子守!』
言うがいなや、女童はぱっと消えていなくなった。
『どうしたんだい』
努めて優しい声で問うと、童は獣の方へと末吉を引っ張っていった。
『お前は猟師だのに、なにゆえ獣を助けるのか』
突然、銀色狐が口を開いた。
『猟師だって獣を助けることもあるさ。ましてお前様は獲物になる獣でないもの。
すっかり手当てを終え、さて、と腰を上げてみれば、女童の姿がない。
『娘と子守りを助けてくれたそうな。良き事、良き事、恩には恩を返そうぞ。』
どうっと風が吹き、気がつくと末吉は一人ぽっちで雪原に立っていた。
晴れているのに、朝から雪が降り続くような日。
雪原で雪より白い狐を見かけても捕らえようとしてはいけない。
それは普通の獣ではなく、害を及ぼそうとすればきっと返り討ちにあうからだ。
妖怪か、もしくは霊獣の類と思われる。
前に回って顔を見れば、ただの狐でないことはすぐにわかるという。
金色に輝く目をし、口の周りに藍色の化粧をしたような姿の化け狐なのだ。
体も狐よりやや大きく、毛も白一色ではなく銀色を帯びて光っている。
これは雪女の一族で、まだ幼い雪娘の子守をする「銀色狐」というものである。
あるとき、この銀色狐を間近に見たという者がいた。
それはまだ若い猟師で、ろくに狩りの腕も持っていないような半人前の男だ。
名を末吉といった。
ある冬の日、末吉が山を歩いていたときである。
突然、ごんごんと雪が降り出した。
しかし天を仰げば、空は真っ青に広がっている。
すわ、銀色狐でも出るかと身構えていると、どこからか子どもの泣く声がした。
ますます不気味に思い、身を隠す場所を探そうと辺りを見回した、そのときだ。
末吉の目の前に、忽然とかわいらしい女童が現れた。
紅いべべを着て、尼そぎ(おかっぱ)くらいの髪。
髪の黒さの見事なこと。烏の濡れ羽色とはまさにこれこそ、であった。
さらに際立っていたのは肌の白さで、周りの雪と区別がつかぬほど。
末吉が言葉を失っていると、女童はすすり泣きながら末吉に近づいてきた。
末吉は内心、(これは雪娘に違いない)と思ってぶるぶる震えていたが、
心細く泣いている女童がかわいそうに思え、ついに優しく声をかけてやった。
それからしばらく二人連れ立って山の中を歩きまわり、雪の原に出た。
雪原の中ほどに狐のような獣が見える。
おや、とあわてて向こうを見れば、狐の側に紅いべべの姿が見える。
さて、これで迷子の送りも終わったか、と末吉がほっとしたのもつかの間。
帰ろうと背を向けた着物のすそをぐっとつかまれ、危なく悲鳴を上げかけた。
何とか声を飲み込んで後ろを見ると、先程の女童である。
末吉はひどく驚いたが、ままよと腹をくくってかがみこんだ。
やはり、それは銀色狐であった。
ぐったりした様子で雪に寝そべり、紺色の舌を吐いてはぁはぁと息をついている。
金色のまなこでちらりと末吉を見ると、苦しげに自分の腹を鼻先で指し示した。
いったいどうしたのかと目をやって、末吉は思わず、うっとうめいた。
腹には、どういうわけか鋭く折れた枝がぐっさりと刺さっている。
傷は深く、青い血がだらだら流れていた。
すぐさま枝を抜いてやると、狐はぐっとこらえる様子であったそうだ。
末吉は、傷口に薬を塗り、自分の手ぬぐいや着物を裂いて手当てを始めた。
末吉はもう人ならぬものと話すにも慣れてきて、手当てをしながら答えてやった。
それに、こんな小さい娘っこが泣いているのだもの。助けてやらねば。』
どこからか、『かかさまー、こっちこっちー』という声が聞こえる。
これはまずい、あの雪娘が雪女を連れて来る。
雪女は恐ろしい妖怪と聞く。末吉はあわてて逃げ出そうとした。
と、目の前に女がいる。
白い着物。白すぎる肌。
桑の実のような黒っぽい唇で、流れるような黒髪は洗い髪の姿。
きゅぅと釣りあがった目だが大変な美人である。
噂に聞いた妖怪、雪女に間違いない。
氷漬けにされるのではないかと青ざめる末吉に、女はかすかに微笑んで言った。
足元を見ても銀色狐が流したはずの血の痕もない。
夢でも見たかと我が身を見れば、手ぬぐいがなくなっていた。
着物のすそも裂いてある。薬もない。
夢ではないらしいと首をひねりながら、末吉は山を降りた。
降りる途中、末吉の前にひょこんと兎が出たそうだ。
よく肥えた兎だ、うまい獲物になる。
さっそく火縄銃を構えた末吉だったのだが。
出てきた兎は、自ら末吉の足元まで跳ねてくるところりと倒れてしまった。
これでは撃つまでもない。
不思議に思いながらも、末吉はそのまま兎を手に入れて家に帰った。
同じようなことは何日も続いた。
末吉が山に入ると、必ず兎や山鳥が自分から獲物になりにくるのだ。
さすがの末吉も、これが雪女たちからの礼であろうと思い至った。
それからというもの、雪のある時期に末吉が獲物に困ることはなくなったという。
「…とまあ、こんな話です。」
山寺の和尚は語りを終えた。
若い僧は礼を述べて、白い小石を差し出した。
和尚は笑って石を受け取ると、ふと思い出したように言い添えた。
「貴僧は、百の物語を集めるおつもりか。」
百物語をすると、物の怪が現れるという。
百の話を集め終えれば、何事か起こるのではあるまいか。
そんなことを案じて聞いたのかもしれない。
だが、若い僧は笑って答えた。
「いえ、残りの二つは聞けないようです。……ほら。」
差し出した掌には、白くて小さな石の欠片どもが乗っている。
残りの小石は、二つそろって砕けてしまったのだ。
今の今まで完璧な姿で懐にあった固い石が、どうしたことか。
まるで鉄の槌で叩いたかのような砕け方であった。
「これではお礼にお渡しするわけにもいかぬでしょう。」
これこそ九十九個目の怪異である。
若い僧は、この己が手の中に起きた出来事も加えて、草紙を綴じることにした。
九十九で話が止まったのも御仏のお心かもしれません、と書き添えて。
昔々。
百物語に一つ足りない、九十九の物語である。
あとがき?
「百」の字から「一」を除くと「白」になる。
九十九歳のお祝いを『白寿』というのはここからきているとか。
というわけで、「白」&「九十九」のお話。