曽根崎の語り部


所は大阪、曽根崎露天神。
霧深い森の奥で、若い男女の亡骸が互いに手を取り冷たくなっておりました。
この世で添えぬ二人なら、いっそ浄土で夫婦となってと思いつめての逃避行。
その死に態や、かくの如しとやら聞き及びます。
 女は遊女の姿。
 袂、胸元かすかにほころび、仏となって、なおも艶やか。
 男は町人、きりりとしまった良い男。
 身持ちのよさがにじみ出た、堅人実直、その心根が骸の上にも見えるよう。
曽根崎の森で見つかったこの男女。
堂島新地の遊女お初と、醤油屋の手代を勤める徳兵衛という者でした。
人生五十年、浮世とは夢幻の如しといえど、まだこれからの惜しい命を散らした二人。
これだけの事を成したには、聞くも涙、語るも涙の深い理由があったとか。
詳しい事の顛末は、稀代の名作、浄瑠璃『曽根崎心中』にてご覧あれ!
……とは、浄瑠璃『曽根崎心中』絶賛公演中の、竹本座よりご宣伝。


 サァ、ここからが不肖、私、曽根崎の語り部が語ります一つの噺。


 これからお話いたしますのは、『曽根崎心中』と関わりの事でございます。
 言うにや及ばず、『曽根崎心中』といえば、かの近松門左衛門の作。
 この芝居は、世間一般、町人の暮らす世界を描いた物語、すなわち『世話』の類でございます。
 かの心中があった時、近松は京の都におりました。
 そこへ飛び込む、知らせ一報。
 もたらしたのは、大阪からの使いでありました。
 当時、売れ始めの歌舞伎・浄瑠璃作家であった近松先生。
 心中事件を基にして……、これは書けると思われたのか、すぐさま舟に飛び乗りました。
 京の鳥羽から向かうは心中の舞台、曽根崎でございます。
 さて、舟での道中のこと。
 やけに張り切る近松先生。とにかく詳しい話を聞かせて欲しいと申されます。
 そこで、さっそく事件を知る者が、事の顛末を語り始めました。
 先生は熱心に聞き入ります。要所では問い返し、時にはあいづちも打ちながら。
 ところが。
 事件のあらましを語るうち、話し手の男はどうも妙な気分になってまいりました。
 何だか、背中の方がすぅと寒い気がするのです。
 さぁ、気になりだしたらとまらない。
 話し手、時々後ろを振り返るも、なにせ舟の上のこと。舟べりと水があるばかり。
 そのたびに話が滞るもので、近松先生は先を急かします。
 急かされるもんだから、男は急いで先を続けます。
 話しちゃ振り向き、急かされちゃあ話すの繰り返し。話し手の男、もう気が気じゃありません。
「あの、せんせ」
 ついに我慢も限度を越えて、男は話を止めました。
 どうしたのかと不思議顔をなさる先生に、男はこのように問いかけたそうでございます。
「どうも後ろに、ひ、人のおるような気配があって……。だ、誰かおりゃしませんやろか」
 聞いた先生、はっはと笑って言ったとか。
「はてさて、おかしなことを言わはるお人や。後ろは船べり、人の立てる道理もない」
 それでも男は、しきりに後ろを気にします。
 するってぇと、また近松先生が。
「お前さんの話が聞きとうて、お初はんと徳兵衛はんが来たのかもわからんなぁ」
 先生は、さもおかしそうにクツクツと笑いながら申されたそうで。いやはや、お人が悪いこと。
 参ったのは話し手の男。
 うひゃあと叫びだしたいのを何とか我慢して、知る限りの事柄を語り終えました。
「……とまあ、こういうわけで」
 語った者が、ほっと息つく暇もなく。
「すぐに原稿にかかりたい。準備を」
 先生ときたら、さっそく仕事にかかると言い出すじゃありませんか。
 事のあらましを聞くやいなやの早変わり。
 ささっと取り出だしたるは紙・墨・筆の三拍子。
 近松先生、さァ書き出した。さらさらさら……さらさらさらさら……。
「はて、えらいお早いこと。その先生、心中物がお得意で?」
 なーんにも知らぬ同舟客がひょいとのぞいて聞いてくる。
「へぇ、先生は、心中物は初めてお書きにならはりますが……」
 近松先生のお供にしても、それきり二の句が告げぬ仕事ぶり。
 なんと近松門左衛門先生、あの『曽根崎心中』を一月足らずの速さで書き上げたというから驚いた。

 時は移りまして、元禄十六年、皐月の七日。
 ご存知『曽根崎心中』は、竹本座にて初の公演と相なりました。
 偶然かわざと図ってのことかはわかりませんが、この日はお初と徳兵衛の心中からちょうど一ヶ月。つまりは、月命日の封切りでございます。
 いや、その売れに売れたことといったら!
 実はそのころの竹本座、客足が全く伸びず、金回りは火の車。
 多額の借財を抱え、お店の景気は酉の刻(*2)のお天道様ほど傾いておりました。
 それがこいつの売り上げで、アッという間にめきめき持ち直したってぇんですから大したもの。
 さァてさて、ここでちょいとお耳汚しを。
 人形浄瑠璃としては初の『世話』物となりました、『曽根崎心中』の物語。
 なぜにここまで売れたのか、というお話をばいたしましょう。
 どうやらその秘密は、常識を破る、斬新な作風にあったようでございます。
 それまでの『世話』と言えば、まず狂言で仕立てられる物でした。
 話の筋書きは、事件を外から眺めて物語的に描くが定石。
 事実より面白おかしく、ことさら大げさに仕立てます。
 そりゃあ、見世物にするのですから、そこいら辺りは当たり前。
 ところが、この浄瑠璃『曽根崎心中』は、まったく毛色が違っておりました。
 芝居を見れば、いや、台本を読んだだけでも。
 まるで己が、お初や徳兵衛自身であるような悲しみや憤りを感じますでござんしょう。
 純粋な想い。
 どうにもならない葛藤、そして決意。
 ひしひしと感じやいたしませんか。
 まるでこの物語が、若い二人の記憶の内からそのまま生まれたかのように……。
 そうなんでございますよ。
 なんと近松先生は、事のいきさつから二人の会話まで、すべてを渦中に堕ち行く男と女、二人の目から眺めたように書き上げたのでございます。
 この作風が大当たりの大当たり。
 珍しくもあり、観る者の胸を打つというので大評判になったのでございます。

 さて、旦那様方。ここから先はあくまで作り話と聞いておくれなさいよ。
 ものの噂に聞くことで、ただ一人、執筆中の先生を訪ねた僧がいたそうで。その僧が帰り際、近松の家人を呼び立ててこう伝えたそうな。

「門左衛門殿の傍らに、二人ほどの人影がある。
 人影は寄り添い合うて、どうも男女のようである。
 二人ともたびたび門左衛門殿に顔を寄せ、何か申しておるようじゃ。」

 噂といえば、当時こんな噂も立ったそうでございます。
 全て書き終え、筆を置かれた時のこと。
 近松先生が、ふと顔をお上げになって「これでよかろう、ご両人」とつぶやいたというのです。
 先生の言葉が終わったとたん、さらりと衣擦れの音がして、急に部屋が明るくなったように感じたそうで。
 なんでも、茶を運んできた家人が、確かに目にし、耳にしたことだという話でしてね。
 その折、先生はかすかに笑んでおられたとか。その笑みは、ひどく優しく満足げで、まるで如来様のようであったと伝えられてございます。
 夢か、誠か、幻か。はたまた、ただの噂の尾ひれ。
 いづれにせよ、本当のところは霧の中でございます。
 真実は、当の近松門左衛門先生の胸の内か、お初・徳兵衛の墓の内か。
 いや、もしかいたしますと、霧深い曽根崎・露天神の森の奥にあるのかもしれません。


 それでは、これにて語り部、語り納めでございます。次のご縁がございましたらば、また、別のお話で。


(*)元禄十六年=1703年  (*2)酉の刻=午後5〜7時
 この物語は、実在した人物や作品を題材としていますが、内容は全くのフィクションです。

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