話は二日前にさかのぼる。その日、二人は共同で一つの仕事を引き受けた。いや、サクヤの立場からすれば、引き受けさせられた、と言った方がいいだろう。
「今日はちょっと仕事の話ー」突然訪ねてきた友人は、サクヤの部屋に入るなり、そう言った。 この友人の呼び名はキッドという。 正確にはブローニング・キッド。 呼び名の由来はブローニング・ベビーというピストルの名前だそうだ。 そのピストルと関係があるのかは知らないが、どうやら最近、危険な仕事をしているらしい。
「仕事って……、僕には関係ない話だろ?」いぶかしげにサクヤが問うと、キッドは「んーん」と首を横に振った。
「サクヤってwebとかくわしいじゃん。ハッキング、得意だろ?」キッドの言葉にサクヤがうなずく。 するとキッドは、何か建物が写った写真とURLが書かれたメモを取り出した。
「実はココのセキュリティシステムをバグらせて欲しいんだけど」言いながら、写真とメモをサクヤに手渡す。
「バグって……。僕はハッカー(高度な技術者)だけどクラッカー(破壊者)じゃないのに」文句を言いながら写真を手に取ったサクヤは、危うく後ろにひっくり返るところだった。
写っていたのはとある研究施設。 よりにもよって、厳重な守りで有名な場所ではないか。 実際の出入りはもちろん、web上の守りも鉄壁との噂だ。 世界中のクラッカーから攻略不可能とすら言われている“城”である。
当然、無理だ無茶だと抵抗はした。 にも関わらず、キッドは「じゃ、頼んだから」の一言を残して去って行ったのだ。 知ったことかと無視していたつもりだったに、二日後である今朝、キッドはサクヤを迎えに現れた。
「依頼者と会うぞー。早く行こー」何のことだと怒鳴る暇さえもなく、引っ張り出されてしまった。 すでに二人の仕事として受けていたことがわかったのは、待ち合わせ場所へ向かう特急列車の中。 サクヤはまだ、詳しい仕事の内容すら知らない。
時は戻って、今現在。
場所は某大型アミューズメントパーク −すなわち巨大な遊園地− に移る。
「なぁ、やっぱりバレるんじゃないか?」前髪の長い少年が、隣りの友人をつついた。
「大丈夫でしょ、10クラスもあったら全員の顔なんてわかんねって」隣りの少年はケータイをいじりながら、ひそひそと答える。
「それはそうだけど」最初の少年は落ち着かない様子でちょんと眉間に触れた。 まるで、メガネを上げるような仕草。 この二人、よくよく見ればどこかで見た顔だ。 サクヤとキッドである。
二人は並んでベンチに座っていた。 そろってブレザータイプの制服を着用。 二人の身を包んでいるのは二人が住む地域にある進学校の制服だ。 おそらく変装のつもりだろう。だって二人は学生ですらないのだから。
制服のみならず、二人の姿にはちょっとだけ普段とは違う点があった。 キッドは髪の色だ。 普段の色ならアッシュグレイ。それで制服ではかえって目立つ。 というわけで、今日は黒に近い茶色の髪をさらさらと風になびかせている。 サクヤの方は即席だ。 普段かけているメガネをはずしている。ただ、それだけ。
「そろそろ時間なんだけどな」ケータイから目を離し、キッドが周りを見回す。
「本当に来るんだろうな」サクヤが小声で言った。
「たぶん」キッドがうなずく。
この遊園地が依頼者との待ち合わせ場所。 広い遊園地は二人と同じ制服姿の男女であふれている。 どうやら二人は、中学か高校の修学旅行ご一行様に紛れ込んでいるらしい。
「やっぱバレないか? 教師は意外と覚えてると思うよ、ウチの両親そうだから」心配げに辺りを見回して、サクヤが眉をひそめる。 キッドはさっと髪をかき上げた。
「大丈夫じゃないの? 自由行動の間だけだし。 だいたい一人で全クラス教えてるわけじゃねーじゃん。こんだけいたら」こんだけ、と言いながら、辺りをさっと見回す。 あたり一面、わらわらわらとそこいら中に散らばる生徒。 パッと見ただけではどれだけいるのか見当もつかない。
「確かに、ね」サクヤもうなずく。
それから。
「何でわざわざ、こんなところで待ち合わせなんだ?」ふと気になって問いかけてみると、キッドは意外なことを言い出した。
「俺がココにしてくれって頼んだから」そんなことは一言も聞いていない。 サクヤは、困ると怒るの中間に陥ったときのクセで、強くこめかみを押さえた。
「何で何も教えてくれないんだ。……まぁいいよ。なぜここに?」サクヤの不機嫌を横目に見てか、キッドはひょいと肩をすくめている。
「見てのとおり。向こうが日にち指定してきたから、ここが目立たないかと思ってさ」キッドの言うことは一理ある。 人を隠すなら人の中。 特に彼らの年頃ならば制服を着てしまえば学生にしか見えない。 誰もが同じ服を着て、同じ年頃。 群れの中にまぎれ込んだなら、制服は、森の中の迷彩服のように彼らを隠してくれる。
「どうして、ここが学生だらけだって知ってるんだ?」サクヤの疑問をたったの二文字で片付け、キッドはケータイをパタンと閉じた。
サクヤはちょっと首を傾げたい気持ちになる。 ユキとは人名だろうか。 聞き覚えのない名前だな、と思う。どこかで聞いたようにも思う。 はて、誰だったろうか。
「ユキって誰だっけ?」サクヤが聞くと、キッドはフルネームを口にした。
「園田由紀」サクヤは、ああ、とうなずく。
「園田さんか。まだつきあってんの?」園田と聞いて思い出したのは一人の少女。色白でパッチリした瞳の女の子だ。
「当ー然。ラブラブよ〜ん♪」答えてキッドはニッと笑う。 ユキとはキッドの彼女の名前。 何のことはない。恋人から聞いた学校行事の予定を利用したということだ。
「なるほどね。それでこんな遠いとこまで引っ張ってこられたのか、僕は」いろんなことがどうでもよくなってきて、サクヤはあきらめの表情。 その隣りではキッドが待ちくたびれた様子で伸びをする。 平和な平和な遊園地。 少しだけ退屈な、人待ちの時間。
「僕の技術でいけるのかな」誰に話しかけるでもなく、サクヤがつぶやく。
正直、自信がない。 難攻不落と呼ばれる場所に侵入し、内部を崩すことなどできるのだろうか? そんな思いが胸の内でうずまいていた。
「お前ができなきゃ誰でも無理」絶妙なタイミングの一言がサクヤの弱気を吹き飛ばす。 キッドの言葉が表すのは何だろう。 お世辞? 叱咤? 激励? たぶんどれでもない。あえて言うなら、信頼だろうか。
「ふっ……。まぁね」単純に気をよくして、サクヤはまたメガネを上げる仕草。
「喜んでるとこ悪いけど、依頼者発見」キッドの一言で現実に引き戻される。 せっかくいい気分だったのに。よい時間は長く続かないらしい。