サクヤの目の前で、キッドと依頼者が話し合いをしている。
キッドが何か言っている。
先ほど会ったばかりの男性が少しだけ困った顔で返事をする。
聞いたこともない言語で。
目を白黒させているサクヤの前、二人は早口で何事か相談をしている様子だ。
サクヤの背後ではピンク色の着ぐるみウサギがのんきに風船を配る。
さっきからずっとこの調子だった。
サクヤは頭を抱えてうずくまりたいのをひたすら我慢している。
どうやら何か困ったことが起きたらしい。
サクヤにも関係することで、何か状況が変わったらしいのだ。
そう、ここまではわかった。
日本語で会話されていたからだ。
ところが。
話は途中から得体の知れない外国語になってしまった。
おそらく、周りに人が多くなってきたからだろう。
話の内容を知られたくないのだ。
その気持ちはわからないでもない。
だが、横で聞いているサクヤにとっても謎の外国語。
何のことやらさっぱり理解できない。
意味のわからない会話を聞かされるのはなかなかに苦痛だ。
蚊帳の外に置かれているという疎外感。
他人には話せる言葉が自分にはわからないという劣等感。
どうにも居心地が良くない。
英語ならまだしも、スィだのジュだのパだのと言っているこの言語は何なのだ。
ヨーロッパ言語っぽい気はするが、どこの国の言葉なのだろうか。
やがて二人の会話は謎の言語のまま終了した。
別れの挨拶だけは日本語で。
依頼者はサクヤとキッドに別れを告げて、どこかへ去って行った。
やれやれ、というか、何というか。
サクヤはさっそくキッドの肩を叩いて問いかけた。
「どんな話だったんだよ。」
返事はない。
キッドは少し困ったような表情で、サクヤの方へと振り向いた。
「なぁ、観覧車行こうぜ。」
「は?」
思わぬキッドの提案に、サクヤは呆気にとられてしまった。
「なんで男二人で観覧車なんか乗らなきゃならないんだよ。」
不満げに抗議する。
キッドはちょっと眉をあげ、こう答えた。
「人のいない場所で話したいから。理解完了?」
単純明快、わかりやすい話。
サクヤは、あぁ、と了解の声を上げた。
確かに観覧車の中はこの上なく邪魔が入らない場所だ。
二人はてくてくと巨大観覧車の足下へ向かう。
程なくたどり着いた観覧車の前には、ごくごく短い行列ができていた。
スリルが売りの絶叫マシーンや最新式のアトラクションに客を取られ、観覧車はいまいち不人気らしい。
二人が乗る順はすぐにやってくる。
丸い箱に乗り込んだ二人の後ろで、ガコン、と鉄のドアが閉まった。
これで密室。
絶好の密談スペースの中で、サクヤはあらためてキッドにたずねる。
「で、どんな話だったんだ?」
帰ってきたのは意外な言葉だ。
「いやぁ。サクヤ……どうする? やる?」
一瞬の間。
「はぁ?」
思わず上げた声は疑問系の響き。
頭痛が始まりそうな展開に、サクヤはまたこめかみを押さえるしかなかった。
何だろう、今になって、こんな問いかけをする意味は。
二日前、いきなり部屋を訪ねてきたときには当然のように巻き込んできたくせに。
今日だってここまで連れ回しておいて、今さら何を言っているのだ。
そんな思いを込めてにらむ視線の先でキッドが真面目な顔になる。
「ちょーっとマズイ感じ。」
キッドはぽりぽりあごをかきながらぽそりともらして、口をつぐんだ。
不穏な空気。
少しだけ、不安になってくる。
「ちょっと状況を説明してくれるか?」
こうたずねてみた。
するとキッドはいつになく真剣な表情で話し始めたのだ。
「さっき依頼者と話してたことなんだけど。
どうやら向こうも薄々気づいてて、ヤバイと思ってたらしくてー。
サクヤにいじってほしかったシステムが?
なんかー、外からアクセスできないコンピュータに移されちゃったらしいんだ?」
はぁ、と一つ息をついて。
「だから手伝ってもらうとしたらー、サクヤも建物の中に入らなきゃダメ。
オレは、サクヤには安全なトコからアシストしてもらうだけのつもりだったから。
一応、どうかな、と思ってー……。」
傍若無人なこの友は、ちょっとだけ眉をひそめていた。
歯切れの悪い口調。
珍しい、と思う。
サクヤとキッドとの付き合いは小学生の頃からなのだが。
こんな風に話すのは初めて聞いた。
すぐには気づけなかったのだ。
何がそんなに言いにくいのか、ということに。
サクヤはキッドの言葉を脳内でくり返してみた。
『建物の中に入らなきゃダメ』……?
ふとひっかかったのはこの部分。
「建物って……、どうやって、潜入するんだ?」
建物とは写真で見たあの研究施設のことだろう。
あの手の施設は外部の人間を中に入れることなどあまりないはずだ。
どうやら何事かのプロであるらしいキッドだけならば、ともかく。
ド素人の自分がどうやってそんなところに潜入できると言うのだろう。
もっとオープンな施設なら、見学者に混じって、という手もあるだろうが。
「入るのは簡単。こっち側も内部の人間だから、こっそり入れてくれる。」
キッドがクイッと指さす窓の下には、さっきのベンチ。
そう、最初に依頼者と会っていた場所だ。
なるほど、依頼者が施設関係者だというわけだ。
内部の人間の手引きがあるなら入り込むことはできるかもしれない。
ようやく納得しかけたサクヤの前でキッドが言葉を続けた。
「ただし出るのがすっげー難しいと思う。下手したら見つかってアウト。」
そこでキッドは口をつぐんだ。
静寂が流れる。
今まで経験したことのない、緊迫したムードの静けさが。
「どうして、出るのが難しいんだ?」
サクヤにはわからない。
行きと帰りで何が違うのだろう。
行きはよいよい、帰りは怖い……、だなんて、どこかのわらべうたのようだ。
いつも陽気なはずの友は、渋い表情でしばらく黙った。
キッドの瞳に宿っているのは珍しく緊張を隠すような雰囲気だ。
4・5分も経ったころ、キッドはようやく口を開いた。
「ぶっちゃけ犯罪だからさ、オレがやってること。」
サクヤと目を合わせたまま、キッドが言う。
「サクヤには施設内のセキュリティを止めるか壊すかしてほしかったんだ。
俺が中に入り込んで、『仕事』するために。
そんなことすればどーなるかわかるだろ?
当然、誰かが異常に気づけば騒ぎになるし、原因探しも始まる。
人の手でおかしくしたってことがバレるかもしれない。
そうしたら犯人は誰だってことになって、出入りのチェックも厳しくなるじゃん。」
ここでいったん言葉を切って、キッドは静かな口調で言った。
「おまけに死体が出ちゃうから、警備や警察も動くだろーし。」
『シタイ』という単語が、脳内に響く。
キッドの口から人の命に関わる言葉を聞くのは初めてだった。
今まではそれを匂わせることはあっても、直接言うことはなかったのだ。
ただの幼馴染と思っていた相手が実は別世界の住人なのだと突然教えられたように思える。
瞬間、目の前が暗くなった気がして、サクヤは黙ってしまった。
知らず知らずのうちにごくりと喉が鳴る。
「下手したら、サクヤも、刑務所行きよ?
外からweb通して協力してもらうだけなら安全だと思ったんだけど、事情変わったろ?
サクヤも建物ン中入るとなると、危険度高ぇーよ。もしつかまったら、モロ共犯。
つーか、もっと下手しちゃうとぉ……、」
そう言って、キッドは指でピストルの形を作った。
「ばぁんっ。」
口で銃声を真似て、キッドはサクヤに指先を突きつける。
キッドの口調はあくまで軽かった。
だが、確かな存在感で迫ってくる。命のやり取りを日常とする者の言葉が。
「どうする? 降りるか乗るか、サクヤに任せる。」
そう言って、キッドはふっと視線をそらした。
やたら強気で明るくて、自分勝手で……今まで持っていた友のイメージが、歪む。
瞳をそらした姿がひどく寂しげで、言いようもなく悲しくて思えて。
つい、言ってしまった。
「乗る。……一緒に行こう。」
キッドは、ほんの少しだけ目を見開いたようだった。
「マジで?」
つぶやいた横顔がうれしそうに見えたのは、気のせいかもしれない。
「せっかくここまで巻き込まれたんだから、何か参加しないと。」
軽く腕を組み、サクヤは笑みを浮かべた。
「言うじゃん、つかまっても知らねーよ?」
ニヤリ。
キッドの瞳にはいつもどおりの不敵な輝き。
サクヤは笑う。
「大丈夫、全部お前……と、依頼者さんのせいにするから。
『だまされてつれてこられました、脅されて仕方なくやりました』って。」
この言葉を聞くとキッドはヒュウッと口笛を吹いた。
それから浮かんだ表情は底抜けに楽しそうな笑み。
「いーわ、それ最高! サ〜クヤって強ぇ〜♪」
キッドがサクヤの背をポンと叩く。
手のひらの感触。
昔、まだ小学生だったときに握ったことがある手だ。
あの頃は、上から見下ろされている気がしていた。
今は、隣りに立っている。
「ま、プログラム言語が相手ならお前よりずーっっっっと役に立って見せるよ。」
自慢げに言えば、友は、また笑う。
「おっけ! 決行は明後日。今夜サクヤん泊めてよ! 打ち合わせしようぜ!」
こくりとうなずき、サクヤは窓の外を見やった。
本日は晴天なり。
澄みきったスカイブルーの下、数え切れない人々が楽しげに行き交っている。
そう、ここは楽しい遊園地。
ウォーターにinするスライダーに乗って歓声を上げるお客たち。
ティーカップはぐるぐる回り、お化け屋敷も大にぎわい。
ミラーハウスでさまよえば、陽気なピエロが顔を出す。
遊園地を出ても似たようなものだ。
ハラハラ、ドキドキ、エキサイティングな毎日毎夜がやってくる。
急転直下の運命はまるで絶叫マシーンだ。
ハイスピードのジェットコースターが駆け抜けて、フリーフォールが急降下。
朝昼夜を繰り返す、エンドレスな毎日はメリーゴーランド。
彼らが生きるこの世界は全てがステキなアトラクション。
今日もまた、事件が起こる。
さぁ、遊ぼう。どこより無茶で贅沢な、スリル満点のアミューズメントワールドで。
Fin.
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