その日の空は薄曇りだった。
「雨は降らない予報ですから、ガーデンでの式が可能ですよ」式場の人間が愛想よく笑う。
私は朝から興奮気味だった。 もうすぐ、計画が達成される。 トイレの洗面台に手をついて体重を預け、鏡を見ながら押し殺した声で笑った。 あの少年、……キッドと言ったか。 彼はすでに到着している。 今は外にいるが、まもなく私のところにやってくる手はずだ。 鏡に顔を近づける。 鏡像は黒い礼服を身にまとい、充血した目を輝かせていた。 もうすぐ、もうすぐだ。 ククク、と声が漏れる。 喉の奥、深いところから、抑えきれない声が。
トイレから出た私は控え室に向かった。 花嫁とその家族のために用意された控え室に、だ。 アイボリーを基調とした明るい室内。 大きなドレッサーの前に、ウエディングドレスを着た美奈子が座っていた。
「お義兄さんがデザインしたドレスなんですって?」ヘアメイクをしながら、式場の人間が言う。 美奈子は少し青ざめた顔で、こくりとうなずいた。 そうだ。 オーダーメイドの花嫁衣裳。 よく似合う。 綺麗だ。 綺麗だ、美奈子。 君のために描いたデザインだ。 君のためだけに描いたものだ。
純白のドレス。ベールに薄い薄い紫の小花をあしらった静かな衣装。 派手派手しい飾りは下品なだけだ。 清らかに、楚々とした姿こそふさわしい。 控えめなドレスであるかわりに、大降りのコサージュをつけさせた。 華やかな花の形。 こちらも薄い紫色だ。 薄く削られた紫水晶のような、透明感のある素材にこだわった。
美奈子の髪が整えられ、顔に化粧が施されていく。 その様を楽しみながら、私はあの少年がやってくるのを待った。 ノック。 誰かがドアを叩く。 来たか? 義母がドアを開けると、はたしてそこにはキッド少年がいた。
「あら、どちら様で……」言いかけた義母の肩をそっと叩く。
「私の客です、お義母さん。知り合いの息子さんで」にこやかにそう言って、私は彼を部屋へと招き入れた。
「美奈子」名を呼ぶと、美奈子はこわばった顔をこちらに向けた。 その瞳が少年をとらえた、その瞬間。 美奈子の表情に驚きの色が浮かんだ。 どうしたんだ?
「あ……」美奈子が何か言いかけたのをさえぎり、少年が挨拶をする。 すると美奈子はまた元通りのこわばった表情となり、少年に会釈した。 落ち着きを取り戻した様子で、美奈子はただうつむいている。 私は彼に目配せをしてから美奈子を指した。
「義妹の美奈子だ。見ての通り、今日結婚する」私と。
そうだ、 私 と の 結婚式だ。 ふざけた見合いであてがわれたよその男ではない。 この私と、今日、結ばれるのだ。
キッド少年は美奈子の顔をじっと見た後、かすかな声で「OK」とつぶやいた。 準備は整った。 これでもう、嫉妬にさいなまれることはなくなるのだ。 他の男に笑顔を見せることもない。 私以外の人間と口を聞くこともない。 美奈子よ。 美しい君は一番美しい姿で永遠になる。 これからはうつろな幽明の狭間を二人でさまよおう。 そうして私の前でだけ微笑んでいればいい。
「ちょっといい?」幸せな空想は少年の声に打ち破られた。 突然、キッド少年が美奈子の胸元に手を伸ばしたのだ。 何をする気だ? 美奈子も驚いた様子で少年の手元を見ている。 彼はコサージュをはずして、少しだけずらした場所に留め直した。
「うん、よし」にこっと笑う。 それから少年は私にウインクを投げてきた。 何だかわからない。 私は彼を部屋の外に連れ出し、今のは何かとたずねてみた。
「撃つのに邪魔なトコについてんだもん」そういって少年は朗らかに笑んだ。 なるほど、そういうことか。
もう外に出ると言う彼を送り出し、私は部屋に戻った。 準備は着々と進む。 やがて美奈子と私たちは外へと向かうことになった。 式は屋外でとり行われるのだ。 美奈子は教会の中を通って庭に出るらしい。 父親に腕を引かれ、ヴァージンロードを歩くのだ。 私は他の家族とともに、美奈子らに先立って外へ出た。
銀白に覆われる空の下にはすでに多くの招待客たちがひしめいている。 少年の姿は見えない。 きっと狙撃に最適なポイントを見つけ、身をひそめているのだろう。 式場となる教会の庭にはすでに新郎となろうという男が待機していた。 愚かなやつだ。 美奈子はお前のものになどならないのに。 お前には美奈子は似合わない。あまりにも不相応だ。
式場の人間が合図をし、教会の扉が開く。 重々しい扉の奥から美奈子が現れた。 綺麗だ、横にいる義父など目に入らないほど。 さぁ、もうすぐだ。 私は固唾を飲んでそのときを待った。
たった一歩。
美奈子が、たったの一歩、前に踏み出したときだ。 パンッ、とパーティー用のクラッカーを鳴らしたような音が響いた。
「あっ……!?」美奈子が胸を押さえる。 苦悶の表情。 水底で空気を求めるかのように、口を開いて。 膝を折り、その場に崩れ落ちる。
やった、のか?
やったのか!?
私は美奈子の側に駆け寄った。
「美奈子!」呼びかけると美奈子は見開いた目を私に向けた。
「……っ、いや……」悲しげな声をもらし、美奈子は目を閉じる。 やった。 やったのだ! 私は群がる人々をかき分け、教会の裏に走った。
「どこだ、どこにいる!?」辺りに呼びかける。
「はーい」返事があった。 だが、姿は見えない。 私はきょろきょろと辺りを見回した。 すると、茂みからあのキッドという少年が現れた。
「よくやった!」私は彼の手をぎゅっと握った。
「んー、言われたとおりー、ココの範囲内、撃ったからね」ココ、と指を使って心臓の辺りに円を描きつつ。 少し歯切れの悪い口調で、少年が言う。
わかっている。 すべてはうまくいったのだ。 私は見た、ちょうど心臓の辺りに赤黒い点が浮かんでいるところを。 美奈子の心臓は、凶弾に撃ち抜かれたに違いない。 これでいい、これで美奈子は私のものだ。
「これを渡そう」私は用意してあった小切手を取り出した。
「前払いでもらったよ?」 少年は怪訝そうな顔をする。 「追加注文だ」そう言いながら、私は自らの額を指差した。
「ここを、打ち抜いてくれ」人差し指で自分の額の中央を叩く。 今、私の顔は、きっと満足げに微笑んでいることだろう。
「はぁ?」少年はすっとんきょうな声を上げた。 声を上げてしまってから慌てて辺りを見回している。 誰かに見つかることを恐れているのだろう。 私はもう、誰に見咎められようと構わないのだが。
「そんなトコ撃ったら、確実死ぬよぉ?」ひそひそとした声でキッド少年がささやいてくる。 そんなことは当たり前の話だ。 いちいち言われるまでもない。 私は急かす気持ちでこう応じてやった。
「前にも言ったが、死なんてものは行為の後についてくる、ただのオマケだ。 そんなことは考えなくてもいい、言われたとおりにやればいいんだ」少年はふてくされたような顔で銃を構えた。 ポケットから取り出された武器。それは、オモチャのように小さな銃だ。 こんな小さいもので人が死ぬのか。 そう思うと、ひどく滑稽だった。
「ホントにいいの? やっちゃうよ?」少年が言う。
「ああ、いいとも」そう応えて、腕を広げ、目を閉じる。 私は陶然としてそのときを待った。
そして。
強い衝撃。 頭蓋の奥にとどろく轟音、明滅する視界。 痛みというよりもただ衝撃に吹き飛ばされる。 後ざまに倒れながら、私は幻を見た。 儚く光るアメジスト・フラワー。 濁る世界の真ん中でほろりと開く薄紫の花。 混濁のさなかに浮かんだのは、まぎれもなく美奈子の気配だった。
美奈子。
美奈子。
君の魂が迎えに来たのだ。
喉の奥からひきつれるような笑いがもれる。
コレデ オ前ハ 私ノモノダ。
薄れゆく意識の中、私は幸せだった。