Heroism

そんなこんなでお姉さんを送り始めてから今日で3日目。 予想に反して何事もない。 何事もないけど、どうにも不安で落ち着かない。

電車に乗ってる間はいいんだけど。

不安になるのは暗い夜道を歩くとき。 駅から家までの短くて長い道のり。毎日並んで人気ひとけのない道を歩く。 駅の周りは人も多いんだけど、 家までたどり着くにはあまり人通りのないところも歩かなきゃなんだよね。 コンビニとかあって明るい道なんだけど。

お姉さんの帰ってくる時間帯ってなぜか人がいない。 帰宅ラッシュからちょっとずれちゃうからかな。 お姉さんの会社からは乗り換えがあるから、少しだけ帰りが遅いんだ。 仕事が忙しいとさらに帰りが遅くなる。

「今日も遅かったね」

と俺。

「もうすぐプレゼンがあるから……」

とお姉さん。

「ナオちゃんが社会人だー、すげー、働いてる」

そう言って俺はお姉さんを茶化す。 小さい頃から身近にいた人が少しだけ遠くなったようで寂しい。 俺だってもう何年かすれば社会人になるんだろうけど。

「ちょっと寒い」

つぶやいて、お姉さんは自分の腕をさすった。

「そんな薄着してるからじゃん」

言いながら俺も鼻をすする。 お気に入りの青いパーカーはよく風を通し、もうすぐ4月とはいえ夜道には肌寒い。 中のTシャツを長袖にしてくるべきだったかな。 今度はもうちょっと厚手の生地で頼むよ、ユニ●ロ! やっぱりジャ■コで買えばよかった。そんなくだらないことをそこはかとなく後悔。

俺たちは談笑しながら家までの道を歩いた。 何気に結構あるんだよね、10分くらい。 ちょうど駅と駅の中間地点くらいに家があるから、どっちの駅にいくにも遠いっていうか。

しゃべりながらパーカーのポケットに手を突っ込む。 触り慣れない感触。 小さく折りたたまれた、護身用のナイフ。

武器は駄目だと思ったんだけど、やっぱ丸腰じゃ不安かなーって。 ちょっと買ってみた。 フォールディングナイフ。 別名、肥後守っていうんだって。 持つとこの中に刃を折りたためるようになってるやつ。 何も持ってないより少しは安心できる気がしない?  いざってときにわざわざ刃を引っ張り出す時間があるのかって疑問にはこの際目をつぶる。

「ナオちゃんの彼ってどんな人?」

雑談のついでに尋ねてみた。

迎えに来るようになって3日目だけど、いまだにお姉さんの恋人には会っていない。 写メで顔を見たことはあるけど実物はまだ。 一度くらい駅まで送ってきてもいいんじゃね? って思うんだけど。 それもできないくらい忙しいらしい。 なんだか気に食わない話。

「えー……なんかねー……うーん、」

ニヤニヤしながらうつむくお姉さん。 ああ、もういい。 その顔見ればわかるよ。好みのタイプなんだろ。

話しながら、少しだけ笑いながら、俺たちは歩く。

ふと。

背中に何かを感じた気がして、俺は後ろを振り返った。 誰もいない道には何の異変もない。 暗いアスファルトを電柱についたライトが照らしているだけだ。 気のせいか、と息をついて視線を前に戻したときだった。

「!!」

お姉さんと俺は立ち止まる。 すぐ前に人が立っていた。 若い男。 俺と同じくらい、たぶん高校生くらいの若い男。 少しダメージっぽいジーンズをはいて、灰色のパーカーの上に黒いジャケットを羽織っている。 パーカーのフードを目深にかぶっているせいで顔はよく見えない。

ちゃらっ、と。 そいつの腰でウォレットチェーンが揺れた。 ぴかぴかの銀色。 濃い青の飾りが付いている。 俺、あれ知ってる。すっげー高いの。 ポケットに手を突っ込んだまま、一歩、二歩、そいつはゆっくりと俺たちの方に進んで来る。

……おかしい!

直感。 俺はお姉さんの手を引っつかみ、もと来た道の方へと駆け出した!  あいつ、おかしい。 何かおかしい。 直感でわかる。

突然のことに驚いたお姉さんが足をもつれさせて転ぶ。 あわてて振り返った俺はとんでもないものを見た。 さっきの若い男。 ゆっくりとこちら近づいてくる奴の手が、これまたゆっくりとポケットを出て……。

その手に、ピストル。 生まれて始めて見るけどたぶん間違いない。 ドラマの小道具で見るような、ちっちゃいピストル。 心臓が跳ね上がった。

「ナオちゃん、立って!」

引きずり起こすようにしてお姉さんを立ち上がらせ、俺たちは夜道を走る。 後ろを振り返ると奴は走っては来ないようだった。 逃げられるかもしれない。 逃げよう!

少しでも明るい方に行こうと道を曲がる。 と、コンビニが目に飛び込んできた。 あそこだ!  俺はお姉さんの手を引いてコンビニまで走った。

「いらっしゃいませー」

いつもどおりの挨拶に迎えられて店内に駆け込む。 息を弾ませて、俺たちはレジへと食いついた。

「ちょ、逃がして!」

整わない息のまま、俺が叫ぶ。

「ハイ!?」

驚く店員にわちゃわちゃと事情を説明すること、数分間。 何とか裏口から逃がしてもらえることになったのは奇跡だと思う。 ほとんど何の説明にもなってないようなあわあわした言葉ばっかりだったもんなー。 親切な店員さん、ありがとう。

コンビニの裏口を出ると辺りはとても暗かった。 出たところがちょうど、等間隔に並んでる電灯の切れ目に当たる部分だったから。

でも家は近い。 さっきとは別の道を通って早く帰ろう。 そう考え、俺はお姉さんの手を引いた。 細い道を選び、慎重に進む。 今にも電柱の影からスッと怪しげな人影が現れそうで怖い。 そうだ、路地を通ったら見つからないんじゃね?  そう思って、俺はお姉さんの方に振り返った。

「ナオちゃん、路地、行こ」

お姉さんもうなずいて、俺たちは路地を抜け始めた。 広い通りをわざわざ避けて家々の隙間を行く二人。 旗から見たら俺たちのほうがよっぽど不審者だ。だろ?

家々の隙間は暗くて、とにかく細い。 こんな狭いところじゃ走るわけにも行かないから、俺たちは慎重な足取りで進んでいった。

一つ目。 無事に越えた。 越えた先の広い道路が落ち着かなくて、すぐに次の路地を探す。

二つ目。 また無事に越えた。 路地は湿っぽいかと思っていたけれど、どちらかというと乾いた石のにおいがする。

着実に家に近づいていることに安堵する俺。 さっきの奴はまいたみたいだ。そう思ってホッとした。 あんなのに見つかったらヤバイ。 偽物かもしれないけど、ピストルとか持ってるとかホントありえない。 俺の安っぽいヒロイズムがキュッてしぼむよ。音を立てて、キュッ、って。

三つ目。 ちょうど入り口から電灯の光が差し込んでいる、比較的明るい路地。 これを越えたら俺たちの家は目と鼻の先だ。

強く握ったお姉さんの手がじっとりと汗ばんでいる。 いや、この汗は俺のかもしれない。 この路地は少し長くて、先に行くほど暗くなっていた。 真ん中辺りまで差し掛かったときだ。 向かう先の暗がりの中に見えてきたんだ。 人影が。

俺たちはビクリと立ち止まる。 人影はゆっくりとこちらに進んできた。

「……っ! ……っ!」

声に鳴らない声を上げてお姉さんがしがみついてくる。 奴だった。 さっき出会ったあの男。 俺と同い年くらいの少年X。 灰色のフードをかぶったあの男だ。

俺は息を飲む。 乾いた地面。後ずさったお姉さんのミュールがコツンと音を立てる。 俺はお姉さんをかばうように腕を広げてそいつの前に立ちはだかった。 にやり。 フードの下で色白の口もとが笑うのが見える。 ヤバイ。 いや、何がヤバイのかわかんないけどなんかヤバイくさい。

わずかに腰を落として身構え、ファイティングポーズを取る。 そして思い出した。 俺のポケットにも武器があるじゃん!  ちっぽけなナイフだけど。 俺は相手を見据えたまま、震える手でわたわたとナイフを取り出した。 刃を引っ張り出して身構える。

「逃げろ!」

背後に立つお姉さんに一声かけて。 俺は一気に飛び出した。

「うわあぁぁぁ!」

叫び声。 自分の声なのにどこか遠い響きに聞こえる。 フードをかぶった男はひらりと身をかわして、ククッと笑った。 何だ、今の。 まるで流れるような……なーんて、そういうヒョウゲンが似合う身のこなし。 俺は思わず目を見開く。

そのとき。


パン!


音がした。 俺の頬をかすめる何かの波動。

一瞬時間が止まった気がして。

次いで、どさっという鈍い音が聞こえた。 音がした背後を見やると……お姉さんが、ナオちゃんが倒れている。 横向きにバタッて。

え? 何?  何が起きた?

呆然と前へ向き直ろうとした直後。 ちょうど真横を向いた顔のこめかみのところに強い強い打撃を受けた。 ガツーン!!って。 まるでハンマーで頭を吹っ飛ばされたみたいに。

衝撃が強すぎて、くらくら。俺は意識を失う。

視界が砂嵐。

続いて暗転。

それっきり、俺は二度と目覚めなかった。


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