Pratfall

しりもちをつくところを見てみたい、と思った。 足を滑らせたあいつがイヤミなまでに華麗な動きでそれを避けたから。

コンビニに入ってすぐ濡れた床に足を取られたのだ。 普通なら完全に尻から着地する状況だったのに。 あいつは思い切り体をひねると踊るように回転して踏み止まった。 そういえば、僕はこいつが転んでしりもちをつく姿を見たことがない。 かれこれ5年ほどの付き合いになるが一度もだ。 いつだってこいつはサッと足を出し、絶妙に体をひねって踏みとどまる。

「お前、本当に転ばないよな」

そう話しかけると、彼は気にした風もなくこう答えた。

「そりゃそーじゃん。コケたら痛いし、クールじゃないじゃん?」

笑いもせずにふんふんと鼻歌を歌い、青木は店の奥へと向かう。

そう、こいつの名は青木だ。 キッドというあだ名を持っているらしい。 それから、少しおかしなこともしているようだ。 例えば本物の拳銃を隠し持っていたり、人を消すことを"仕事"と呼んでみたり、とか。

「はいはい、コケかかってもクールだなんて大変結構なことですね」

飲み物の棚へと向かった青木の背中に言葉を投げる。

「クールをバカにするなー」

口を“お”の形にして発音したようなくぐもった声で青木が言った。 くるり、ふりむく。 黒いジャケットの前面には大きなえり。 右寄りから体の真ん中へと斜めに走るジッパーが物珍しい。

もう一度、背を向けた後ろ姿をまじまじと見た。 背面にも前のジッパーとほぼ同じ角度に傾いた斜めの縫い目が通っている。 ジャケットの背中を切り分けるように、左肩から下端の真ん中までをつなぐ一直線だ。 その線をまたぐように並んで3つ、ベルト状の布が×印を作っている。 近づくいて見ると、そのベルトたちはぴったりと張り付いているわけではなかった。 両端をボタンで留められているだけだ。 しかもベルト部分の生地はジャケット本体とは少し違う織り方のようだった。

凝った作りの服だがそれが何の役に立つというのか。 むしろ何かに引っかかったら邪魔だろうに。 こんなの布の無駄にもほどがある。

思えば、青木はいつもこういった見慣れないデザインの服を着ている気がする。 僕が行く店ではこういうものは見たことがないが、いったいどこに売っているんだろう。 ため息をついた僕の前で再び青木がくるりと振り向く。

「クールも大事だけど痛いのもイヤだろ♪」

にっと笑って、青木は人差し指を立てて見せた。 確かにこいつの言うとおりだ。 転べば当然痛い。 特に、思い切りしりもちをついて尾てい骨を打ったときの痛みったらない。 それに他人が転ぶ様子というものは、本人には悪いがとても滑稽だ。

でも、僕は他にも理由があると思う。 本人は自覚していのかもしれないけれど、たぶん、もう一つ。

再び飲み物の棚へと向いた後ろ姿を見ながら考えた。 こいつがいついかなるときも転ばないのは隙がないからだ。 とっさに動かす全身の筋肉。 細部まで的確にコントロールして、すぐに体勢を立て直す。 運動神経の問題かもしれないけれど、たぶん精神的にも隙がないんじゃないかな。 一瞬の油断が命に関わる生活をしているようだから、いつのまにか癖がついたんだろう。

決して体勢を崩さぬように。 いつでもすばやく次の動作に移れるように。 たぶん、そういうふうにインプットされてる。

……空恐ろしさなんて感じる必要はない。ゾクッと軽い寒気が走って僕は頭を振る。 棚の前で迷っているらしい青木の後に続いて自分も飲み物を選ぶことにした。 僕は緑茶だ。 やつはゼロカロリーのコーラ系飲料を手に取った。 二人して、飲み物片手にレジへと向かう。

そういえば、と思い出す。 青木は両手に荷物を持つということがない。 物が多いときはメッセンジャーバッグ。 バッグに入らない場合は全部宅急便を使う。 片手には物を持っていても、もう一方の手は必ず空けているようだ。

無意識なのかわざとなのか、たいがい空いているのは利き手である左側。  “いつでも銃を抜けるように”  そういうことなんじゃないかと僕は思う。



『もっすぃー? 元気? こじゃるを盗りに行くよ!』

やけに陽気なしゃべりの電話がかかってきたのは次の週末のことだった。

コジャルって何だ!?  意味不明。 携帯から聞こえてきた謎の単語に頭痛が始まる。

「コ・ジャ・ル?」

たっぷりの侮蔑をこめた口調で問い返す。 すると今度はまともな返事が返ってきた。

『あー、“こざる”な。ちっちゃいサル』
「ああ、小猿か。で、何で?」

うんざりしながら聞いてみる。 そうしたら、やつはまたやけに陽気な口調で言った。

『そりゃ依頼されたから〜。さ、がんばって盗るよ!』

だから何なんだ。 依頼されたのは把握した。だが、まさか僕に手伝えというわけじゃなかろうな。

いろいろと言いたい事はあったがとりあえず飲み込んで、一言だけ問いかける。

「なぜ小猿」

やつは答えた。

『だぁーら依頼されたからだって!』

ああ、違う、僕が聞きたいのはそこじゃない。

「いや、だからなぜそんな依頼が?」

いつから珍獣ハンターまでやり始めたんだ、お前は。 内心でそんなことを毒づきながら僕はあいつの返答を待つ。

『んー、たぶんー、そのこじゃるがめっさかわいいんだよ!  依頼者はこじゃるにラヴラヴなんだよ、だからだよ!』

なぜ、そんなに楽しげなんだ。 まるで歌うような青木の口調にムッとくる。

「似たような別の猿を買っていくことを推奨する」

そう吐き捨てて、僕はぷつりと電話を切った。

直後。

ピリピリと無味乾燥な電子音が鳴る。 僕の携帯電話が着信を告げる音だ。 表示を見なくても相手が誰だかわかる。……あきらめの悪いやつめ。

『切ーるーなーよー!』

電話をつなぐとすぐに青木の抗議が耳を刺した。 まったく、何だって言うんだ。

『真面目な話ぃ、それじゃダメなの。そのサルじゃないとぉ、意味がねーの』

それは今日初めて聞いた青木の真面目な声。 強調した言い方は僕の興味を引くのに十分だった。

「……何で?」

そう問い返したときにはもう話を聞く気になっていた。 すぐに切る気でいた電話をきちんと持ち直し、僕は青木の話に耳を傾ける。

『そのサルの元飼い主ってのがからくり細工を作る職人さんだったらしいんだけどさ。 死んじゃったんだって。ご高齢で。 で、その人が死んだときまで使ってた、結構おっきな箱ぉ? が、あってー。 それを開けたいんだァ。それが最終目的なんだよね』

いまいち話が見えない。 僕は青木の話を頭の中で繰り返す。

『設計図的なのを入れてたらしいんだ、新しいからくりの。 まだ作ってないやつ。だから、ほら、』

青木が続けて発した言葉を聞いて、やっと頭の中でパスがつながった。

「つまり小猿の飼い主だった故人の、新作の設計図入れを開けたいんだな? 最終的に」

僕が言うと携帯電話の向こうからぽんと膝を打つ音が聞こえる。

『そうそうアイデアメモ的なの! そういうの入れてた箱なんだって。 それ持ってる人からの依頼なんだけどー、実はその箱自体がからくりになっててさ、』
「ふーん……自動で開くとか?」

続けて話そうとする青木の言葉をさえぎり、問いかけた。 からくりという言葉から、オートマターのような自動人形を想像しながら。

『いや、そういうじゃなくてー。 からくりって言うか、パズル?  ふつーにパカッて開くように見える扉が実は引き戸だとか、 上の引き出しを半分引いた状態にしないと下の引き出しが開かないとか……』

青木はあわてたようにいくつかの例を挙げて“からくり”という単語の意味を説明してくれた。 なるほど、そういうものがこの世にあることは知っている。 確か日本に古くから伝わるもので、金庫や箪笥に多いらしい。 かつては防犯の意味もこめて開け方を複雑にしたものだったはずだ。

「わかった、要するに開け方がパズルになってて複雑な箱か」

さらに例をあげようとする青木にそう告げる。 電話の向こうから、再びぱしぱしと膝を打つような音が聞こえてきた。

『そ、そ、そ! で、今開けたい箱の、開け方がわかんないんだって!  今の持ち主もプロのからくり箱作る人なんだけど、知識駆使して挑んでみたけど、どうやってもダメだったんだって』

ふーん、と鼻だけで答えてから、僕はふと思いついた疑問を口にした。

「壊せばいいのに。そういうのってたいがい木製の箱だろ?」

すると青木は少し歯切れの悪い口調でこう答えた。

『いや、箱自体が価値高いから壊したくないって言ってた。 ここまで開け方がわからないってことはよほどの傑作なんだって。 で、中身さえ抜けばー、売ってもいいしー、コレクションするにもかなーり魅力的?  だから壊さず開けたいんだって』
「なるほどー」

思わず納得の声を上げてしまった。 何とも面倒な事態だが、理解できる話だ。 どうしても壊したくない箱。 とても価値の高い箱。 しかしその箱の中身はさらに興味深いものなのだ。 僕が持ち主であっても、その箱を開けるためなら何でもしたいと思うだろう。

しかし。

「それと小猿に何の関係があるんだよ」

そう、僕の疑問はまだ解決していない。 すると青木は意外なことを言った。

『だからー、その箱を開けられるのが今から盗りに行くこじゃるなんだよ』
ぱーどん?

……日本語訳:恐れ入りますがもう一度言っていただけませんか?  どう考えても納得のいかない内容に思わず強く聞き返す。ふざけているのかと思うような内容だったから。 人間様に開けられない箱が猿になんか開けられるもんか。 猿にもできる、と言えば簡単であることの例えだ。 そんなバカな話はない。 だが、青木は真面目腐った調子でこう言ってきた。

『いや、それがマジなんだって』

まだ信じられない僕にあいつがしてくれたのは長い長い説明。 変な例え話を組み入れ、大いに脱線する話の内容はここにさらすのもバカバカしい。

簡単にまとめてみるとこうだ。 からくり箱を作った本人……今はもう亡くなってしまったその人物。 彼は片手が不自由だった。 脳梗塞か何かで倒れた後、半身に麻痺が残ってしまったらしい。 そんな彼が用いたのが介助猿だ。 介助猿とは、盲導犬などと同じで人間の手助けをしてくれる動物である。 人間に近い手を持った猿にはかなり細かい動作ができるため、とても重宝だという話だ。 日本ではとても珍しいものだけれど、ペット扱いということで許可されて飼っていたものらしい。 故人は、その介助猿に箱の開け方を仕込んだという。 自力で箱を開けられなくなったときへの備えか、ただの慰みか、その辺はわからない。

「よく開けられるようになったな、猿」

僕が言うと、青木は特に関心もない様子で返事をよこす。

『そんくらいできんじゃなーい?』

人間が創意工夫しても開けられないようなものを開けさせるなんてすごいことだと思うのだが。 青木はわかっているのかわかっていないのか、猿のすごさに感じ入るつもりはまったくないようだ。

「と・に・か・く。事情はわかった。そのからくりを開ける介助猿ってのが取りに行きたい小猿なんだな?」

そう問うと、青木は嬉しそうに言葉を返してくる。

『そうそう。誰も開け方聞いてないから、もう箱を開けられるのはこじゃるだけで、 そのこじゃるがどこにいるかっていうと、死んだからくり師の遺族の人が飼ってんの』

おや、と思った。

違和感。

「待て」

電話の向こうに呼びかける。

『何?』

青木が問うてくる。 僕は感じた違和感をそのままに問いかけた。

「依頼者はなんで遺族に協力を求めないんだ? 猿を借りれば済むんじゃないか?  っていうか、作者が自分で使ってた箱なのに、今の持ち主は遺族じゃないのか?」

わずかに間があって、青木が答えた。

『うん、そう。依頼者は今からくりBOXを持ってる、別のからくり師さん』
「その人はどうしてもっと穏便な方法をとらないんだ?  わざわざさらってこなくても、遺族に頼んで開けさせてもらえばいいじゃないか」

すると、あいつは言った。

『いやー、それがねー。実はぁ、依頼人、箱盗んだんだってさ。 通夜の時? 死人の部屋に忍び込んで、パクって逃げたんだって! だから穏便にとか無理でさ〜。 むしろ追われちゃって外にも出れないって。遺族からすごい勢いで恨まれてるっぽい』

楽しそうに苦笑混じりで、よくそんなことが言えるな!  僕はたっぷりの空気を吸い込んで怒鳴ってやった。

犯罪者じゃないかぁぁぁぁぁ! なんでそんなのに協力するんだぁぁぁぁぁぁぁ!
『オレも犯罪者だけどね?』

返ってきた声は乾いた笑いを含んでいて。

僕は一瞬で言葉を失う。 そういえばこいつもそうだった。 盗人なんて、くらべものにならないくらいに……。 犯罪者なんて単語、どうして出してしまったんだろう。 僕はもう何を言っていいのかわからない。

『まぁとにかく、オレは依頼果たすだけだから。 フツー盗ってこい系の依頼なんて受けないけどね? つか来ねーよ、オレにそんなジャンル違う仕事、来ねー!  普通ヒットか護衛だっての。あまりに珍しくてつい引き受けちゃった♪ ハハッ!』

黙ったままの僕に、あいつは楽しげな早口を投げかけてくる。

「……まぁ、気をつけて。行くなら行って来れば?」

やっとのことでそれだけ言うと、僕は電話を切った。

直後。

またしても着信音がなり、僕はしぶしぶ通話ボタンを押す。

『だーから切ーるーなーよーぅ!』

青木の声が鼓膜に突き刺さる。

『お前も行くんだって、住宅地一人でウロってると怪しまれるから! だぁーいじょーぶ、下見だけ!』

うろってる、とはうろついているという意味らしい。 相変わらず身勝手な物言いに腹が立つ。

「行かん。以上」

勤めて冷静に告げる。 また切ってやろうと電話から耳を離したが、どうやらやつが何かわめいているようだ。 仕方なくもう一度耳をつけ、「うるさい!」と一喝してやった。 すると青木は声のトーンを落としてむずむずとぼやくように言う。

『むー……、行こって! 大丈夫、今回は危ない目にはあわないから。たぶん。

語尾が気になる。

「……今、たぶんって言わなかったか?」

思わず突っ込むとやつは言った。

『ハァ? 何ですかァ?』

こやつ……! 瞬間的に腹の底が煮え返る。

「ヌッコロ」←(ヌッコロ=ぶっ殺すの意)

静かに言う。 すると青木は爆笑を返してきた。

『すーまーーーぁん!』

げらげら笑いながら言うあいつに、僕はまたこめかみを押さえるしかなかった。 頭痛が起こりそうな気配。 まったく、やっていられない。


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