Let's break the promise!

男は、少年の目の前を通り過ぎた。
通る瞬間、投げつける煙草。
少年は微動だにせず頬で受けた。かすかに残る灰、小さな痕跡。
その光景が目に焼きつく前に。
男は足早にその場を去る。己との約束を果たすため。



今年最初の依頼者は見知らぬ男だった。 裏社会の顔役からの依頼が多い俺にとっては珍しいことだ。

一月一日。

年の初めから狙撃の依頼とは、全く持って物騒な世の中だと思う。



呼び出された部屋に入ったとたん、俺は思わず立ち止まった。 目に飛び込んだのは一人の男……いや、まだ子どもか。 灰色の髪の毛。年齢。 噂に聞いたある人物とぴったりの容姿。 知らずのうちに、俺は口をゆがめていた。

「どういうことだ?」

あごで少年を指し示し、苛立ちを隠そうともせず依頼者に問う。

誰かと組むのは趣味ではない。 仕事は、孤独に限る。 この依頼者は俺とこいつを組ませるのではないか。 そんな予想が俺の表情を苦くする。

「ああ、この子は別件でね。気を悪くしないでくれたまえ」

依頼者は穏やかに言う。 しかし、俺はありありと不満の色を浮かべた。 別件、なのか。 だが俺はこのガキを知っている。 子どものくせにとんでもなく拳銃の扱いが上手いらしい。 通称『キッド』と呼ばれる人物。 そのとき、思いがけず少年が口を開いた。

「別件だって」

念を押す口調。 俺は、ふん、と軽く鼻を鳴らした。言葉遣いや態度から生意気な小僧だと思う。 小僧はすぐに部屋を出て行った。 後姿が消え、扉が閉まる。 カチャリとオートロックの鍵がかかる音。 扉が閉まり切るのを待っていたかのように、依頼者は詳しい内容の説明に入った。

「今は亡き友との約束を守るため、1本のフィルムを消してほしい」

事前に明かされていた簡単な内容とほぼ同じ言葉。 最初の依頼は『目標であるフィルムとその周囲を全て撃ち壊せ』というものだった。

机の上には見取り図が広げられている。 映写機用の古いフィルム。それが目標だ。 フィルムは明後日の祝日に、このホテルの一室で上映されるという。

さらに詳細な会場の見取り図を受け取り、懐にしまいこんだ。 理由だのフィルム中身だのに興味は示さない。 余計なことには触わらない、それが俺のやり方だ。 いわば、自分と交わした約束。 絶対に守り通す、俺だけのルール。

「契約内容は先日伝えたとおりだ。よろしいかな」

依頼者は俺に視線を合わせてきた。ああ、と答える。

腕には自信があった。 難しい狙撃依頼も必ず果たしてきた。遠距離射撃の精度には定評がある。 まして今回のような契約内容ならばしくじるわけがない。 『目標とその周囲を全て撃ち壊せ』などという景気の良い契約なのだから。

会場となる部屋を狙うため、最適な場所を探さねばならない。 依頼者から報酬の一部を前金として受け取り、部屋を後にしようとしたときだった。

「ただ、」

背後から依頼者の声がする。 振り返ると、依頼者はうつむいたまま小さく付け加えた。

「花束は、撃たないでくれないか。 私が届けさせたものだ……友が好きだった花でね」

俺は黙ってうなずいた。

部屋から出る。 我知らず、深いため息が出た。 懐から煙草を取り出す。 火をつけて深々と、一服。 指にはさんだ煙草の火が赤々と燃え、煙がすらりと立ち上る。

ホテルを出ようと向かった玄関。 ロビーに見覚えのある小僧を発見した。 不機嫌が襲ってくる。 小僧は太い柱に寄りかかっていた。 音楽でも聴いているのか、イヤホンを耳に入れて。 俺に気づき、じっと見てくる。 俺は手にしていた煙草を投げつけた。 頬に当たったが、小僧はぴくりとも動かなかった。



その日、空は晴れ渡っていた。 俺が選んだ隠れ家は、先日訪れたホテルの向かいにあるビルの一室。 こちらもホテル、ただしビジネスホテルだ。 会場の真向かいにあたる部屋に陣取り、ブラインドを降ろす。 狙いを定め、映写機を照準に納めた。 準備万端。 後は、時を待つのみだ。

チャンスは上映前のわずかな時間だった。 フィルムが映写機にセットされてから、カーテンが閉まるまでの間だ。 俺の銃はドラグノフ。 堂々たる大きさ、威圧感さえ与える巨大な狙撃銃。

と、ホテルの屋上で誰かが動いた。

気づく。

あれは、あの小僧。 先日俺の前に呼ばれていた、あの小僧だ。

突然、小僧が銃を抜いた。 一瞬俺を狙うつもりかと思ったが、すぐに違うと思いなおす。 目標は俺ではない、俺より遥かに高い位置を狙っている。

いったい、何を?

そう考えた次の瞬間だった。 小僧が、撃った。 銃声すら聞こえない、手の動きだけで知れるショット。 連発だった。 同時に、自分が潜んでいる方のホテル、遥か上から小銃らしき銃声が6発。

あっという間に、会場の花束が木っ端みじんになった。 あっけに取られる。 俺はドラグノフをケースに収め、かついで部屋を駆け出した。 去るとき、ケースが当たったブラインドが激しく揺れる。

息を切らせて、屋上に着いた。 何が起こったかは定かではないが、あの小僧がしでかしたに違いない。 辺りを見回して、柵にくくりつけられた箱のようなものを見つけた。 駆け寄り確かめると、仕掛けられていたのは銃だった。 短い狙撃銃。銃の名はWA2000。

キッと向かいの屋上をにらむ。 違和感。 小僧の姿はすでにない。 俺は用心を怠らずに気を配りつつ、自分の銃を取り出した。 もしあの小僧が俺を狙おうというのなら、容赦はしない。 銃を肩に提げたまま狙撃銃を観察した。 ハンドガードがない。 指を守るように覆う金具が切り取られている。 正面から見たとき、引き金がむき出しになる格好だ。

気配。

誰かが近寄ってくる。 反射的に、振り向きざま、手にしていたWA2000を突きつけた。

「それオレのじゃん」

銃口の先にいたのは、案の定、あの小僧だった。 通称、ブローニング・キッド。 小僧は『撃つな』と言うように手を頭の後ろに組んだ。 俺はぐっと怒りをこらえる。 手にした銃の弾は空だった。 そんなことは銃を仕掛けた本人の方がよくわかっているだろう。

「貴様……なぜだ」

なぜ、花束を撃ったのか。 低く問う。 俺の声はわずかにかすれた。

「花を撃ったこと?」

小僧は生意気な仕草で肩をすくめる。

「だって俺への依頼は、『彼の撃てない物を撃て』だもん。契約内容とばっちりじゃない♪」

彼、とは俺のことだろう。 陽気な口調がますます俺の神経を逆なでた。

「……俺の交わした約束を、ぶち壊した」

腹の底から声を絞り出した俺に、小僧が封筒を投げ渡してきた。 思わず受け取る。 薄い茶色のどこにでもありそうな封筒だ。サイズはA4。 無言のまま、小僧が中を見ろという身振りをする。 俺は小僧の動きに意識を置いたまま、封筒を開けた。

そこには、依頼者に関する調査結果が記されていた。 調査した情報屋の署名は俺も聞いたことのある男のものだ。 依頼者は元カメラマン。 戦場や裏社会など、穏やかならぬものばかり撮ってきた男だという。 撃つように指示されたフィルムの中身は古い記録映画。 依頼者とフィルムとの接点は……ない。 俺が聞いた、約束を交わした『古い友人』とやらも浮かび上がってこなかったそうだ。

そして。

封筒の中から出てきた伝票の写しは、俺に息を飲ませるのに十分なものだった。 上映会の前日に届くよう指示する花屋の伝票が一枚。 さらにもう一枚。 『花束にも隠せるような』マイクロカメラを購入したことを示す伝票が。

体を貫くように、稲妻が走った。 思考がつながる。 伝表、花束を撃つなと言った言葉、調査結果。 見えた。 依頼者の真の狙いが。 奴の真の目的は、狙撃シーンを撮ることだったのだ。 この俺と小僧……、キッドの、狙撃を。

今回の依頼自体が、嘘で固めた撮影目的のもの。 こんな嘘すら見抜けずにいたのか、俺は。 なんて無様な。

俺は、再び見つけ出した銃を見つめた。 よく見ると、引き金に何かが当たった跡がある。 金属質の小さな傷。 言うまでもない。 キッドが向こうの屋上から引き金を撃っていたのだ。 引き金に弾丸が当たる衝撃で、この狙撃銃は発砲させられた。

向こうの屋上から銃の引き金まで距離は500m以上。 ターゲットとなる引き金は芥子粒のように小さく見えたはずだ。 癪な話だが、とんでもない精度だと認めざるをえない。 石化したように立ち尽くす俺にキッドが手を差し出す。 俺は無言で狙撃銃を手渡した。

負けを、認めたくはない。 しかし、評判を裏切らない腕前を目の当たりにした。 おまけにひどく知恵がきくということまで知ってしまった。

向かいのビルからの発砲。 仕掛けられたカメラがどんなに高性能でも、これなら姿も写らない、 弾道もバレない、 奴の象徴ともいえるブローニング・ベビーの弾も残らない。 拳銃とこの狙撃銃では、弾丸の形が全く違うのだ。

「これからどうすんの?」

キッドが尋ねてくる。

「嫌な奴は忘れることにしている」

嫌な奴。 依頼者、そしてお前。 そう言葉の外に含めたつもりで言い放つ。 お前の態度が気に食わない。 だから立ち去る、そしてお前のことは忘れる。

「ほっとけば?あんなじーちゃん」
「俺のルールだ、止めるな」

契約違反は許さない。 だから消し去りに行く、そして今回のことは全て忘れるのだ。 汚点は必ずぬぐうこと。 そして忘れること。 自分で決めたルールだった。 言わば、自分との約束だ。俺が自分自身と交わした約束。

「止めちゃう♪」

明るい声がする。 振り向くと、キッドが両手に拳銃を握って俺を見据えていた。 その瞳には、絶対に負けない自信の輝き。 俺の瞳は、きっと、よどんだ迷いの色をしているのだろう。

しばしにらみ合いが続いた。

ふと、視界の端、地上の方向で、何かが動いた気がした。 視線をずらす。 会場となっていたホテルのロビーに人影が動いている。 ロビーに現れたのは間違いなく、あの依頼者だった。

俺は、おもむろにドラグノフをセットした。 視線を感じる。 いつか敵対するかもしれない、一人の只者ならぬ少年が俺を見ている。 人前で銃は撃たないこと。 手の内を他人に明かすような真似はしないこと。 これもまた、俺が俺自身と交わした約束だったと言うのに。 ……俺はまた、約束を破ろうとしている。

轟音。

俺の愛銃ドラグノフが生み出す発砲の振動。 消音機がついていても、衝撃は体の奥で響く。 同時に湧き上がるのは、ふつふつとした怒り。 自分に、そして背後の少年に対しての憤りだ。 感情を押し殺して、ひっくり返る依頼者の足元に警告を刻む。 標的を示す×印を。

「これで、奴の顔は忘れた」

俺自身の唇が、他人のような声でつぶやく。 バカな。 俺よ、お前は裏切り者は許さないのではなかったのか。

「嫌な奴は全部忘れることにしている」

今日の俺は、どうかしている。 そもそも他人に自分のルールを語ることなどすべきではないのに。 胸に浮かぶのは、戸惑い。

「お前のことも絶対に忘れる、一番嫌いなタイプだ」

にらみ返してくる表情を予想しながら、横目で背後をうかがう。

「俺は覚えとく、こんなゴツイ銃であの精度、すっげー!」

キッドの反応は、予想に反していた。 思わず振り向く。 見えたのは、ひどく嬉しそうな表情。 頬を紅潮させ、瞳を輝かせる様に拍子抜けする。

「あのじーちゃんもこれを撮りたかったんだろうなあ」

キッドはしみじみと言った。 おだてているつもり……、ではなさそうだ。

……ふん。

俺は銃を手早く片付けると、さっさとその場を立ち去った。 逃げるように。 キッド。奴のことは『嫌な奴』と決めた。 一度決めたら揺るがさない。 最初の直感はまず当たっていることが多いからだ。 これもまた、俺なりのルール。 背後から、少年の声が飛んでくる。

「また見たい! また会いたいね!!」

冗談ではない。 俺はビルを飛び出し、用意していた車に飛び乗った。 しばらくの間、車内で一人、頭を冷やす。 数分後、車の横をキッドが素晴らしい速度で走り去っていった。 足も速いのか、と感心しかけて、あわてて首を振る。

忘れなければ……。 そう考えた先から、キッドのしみじみとした声がよみがえった。

『じーちゃんもこれが撮りたかったんだろうなあ……。』

ため息すら混ざっていた、偽りなき賞賛の言葉。 自分の腕前を棚に上げてよく言えたものだ。 俺は、奴に、劣る。 それなのに。

まぶたの裏に、灰色の髪の少年が浮かぶ。 自信家そのものの瞳。また見たい、本心からと思われる言葉。 賞賛なら受け慣れている、はずだった。 まぶたの裏の残像はまるで傷跡のようにいつまでも消えず、揺らぎ続ける。 忘れられるはずがない。 そう思い切るまでには数分を要した。

なぜだろうか。 悪い気分ではない。

俺は依頼者との契約を破った。 俺は自分自身と交わしてきた約束を破り捨てた。 かたくなに守ってきたルールは、俺の自信を支える根拠でもあったのに。 大事なものを失ったことがなぜか爽快に思えて、俺は苦笑をもらした。


Fin.

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「約束を破ろう」、ドラグノフを持つ男編でした。
+自称、小説書きの集い+ 第4回お題作品として投稿したものの another side 話です。


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