Best matched song

無意識に。

ほんの数cmだった。 俺の手が動いたんだ。 上着の奥に隠した銃を意識したときに。 そのことに気づいたのはヤツの視線のせい。 俺を見ていた黒目が急にフッと左へ寄ったから。 つられるようにして同じ方を見たら、俺の手があった。 ヤツの左肩をつかんでいた右手がわずかに浮いて、自分の胸元へと寄っていた。

ハッとしたがもう遅い。 ヤツが動く。 なぎ払う動作の対象は俺の上着。 いつでも武器が取り出せるようにと開けたままだった上着の前。 その合わせ目をヤツの手が暴いた。 ひらり、舞い上がった裾の奥にのぞく銃を納めたホルスター。 ヤツの目がカッと見開かれる。

『 敵 ダ 』

その目が言った。

確信。 間違いない。たった今、俺は敵として認識された。

ヤツはどう出る!?

反射的に身を構え、相手の出方を見る。 襲い掛かってくるかと思ったが、ヤツは意外にも俺に背を向けた。 チラリとこちらを振り向く。 ヤツはそのままマンションの敷地外へと駆け出した。

まずい、逃げられる!  考えるより先に体が動いた。 飛びつくようにヤツの体につかみかかる。 襟首を引っつかみ、力ずくで引き戻し、その顔をにらみつけて。

次の瞬間、目から火花が飛んだ。 激しい頭突き。 ヤツの灰色の髪が俺の視界を埋めている。 涙をにじませた俺の鼻先からヤツの頭がいったん退いた。 そして2発目。 痛ぇ!  顔の中心に痛みが広がる。 このクソガキ、なめんな。 俺はますます力を込めてジャージの襟を握りしめた。

ヤツは俺を振り払おうと手を振り回す。 ふとしたはずみか、その手が俺の目を直撃。 思わずひるむとその隙をついてヤツは俺の手から抜け出した。 逃がすか!  つかみ掛かる俺の手。 ヤツはボクサーのような動作で素早く避ける。 かわされて前のめった俺はそのまま地面に倒れた。

思わぬ好機。 目の前にヤツの左足がある。

夢中でつかみかかる。 かじりつくようにして足首を取った。 そのまま立ち上がり、一気に片足を持ち上げてやる。 さすがのヤツもバランスを崩した様子でぐらりと揺れた。 それでも倒れないのはなかなか偉いんじゃねぇの。 悪くねぇよ。 にやりとしてやったらクソガキはムッとした顔で俺をにらんだ。 と、そのままぐるりと音がしそうなほどに体をねじる。

何だ!?  そう思った直後に手の中の足がガツンと重くなった。

ヒュッと風を切る音。

「ヴァッ!?」

舌の付け根辺りから変な声が出た。 側頭部に激しい衝撃。 蹴られたと理解するまでに数秒を要した。 なんて奴だ。 俺に握られた左足に体重を預け、右足で蹴ってきやがった。

再び俺の手にぐっと重さが乗る。 ヤツの体が宙に浮く。 キック。 右から、左から、打撃が続く。 手を放したら負けだ!  そう考え、ますます深くヤツの足を抱え込んだ。 ヤツは大振りの蹴りをやめ、ムチャクチャに暴れ出す。 じたばたともつれる二人。 前になり後ろになり、グルグル回りながらも2人は離れない。 そして。

「ぐほっ!!?」

今度は腹の底から空気が出た。 ヤツが突然、俺の鳩尾を突くように蹴ったのだ。 踏みつけるような動作は想像以上のダメージを俺に与えた。 むせ返る拍子にぎゅっと指が締まる。 ほぼ同時にヤツが大きく足を揺すぶった。 激しい動きはまるで怪魚。 俺の腕の中で暴れ狂う。

ジャージに食い込んだ爪がはがれそうに痛み、俺はつい手を緩めてしまった。 失態。 するりとヤツの足が抜け、青味を帯びた緑色の背中が逃走を開始する。 駆け行くのは整備された通路。向かう先、その奥にはマンションの駐車場。 町中に逃げられるよりましだが笑えない状況だ。 しまったと歯噛みをしても始まらない。 急いで体勢を立て直し、ヤツを追って走り出す。

「待て!」

俺が叫ぶとヤツはチラッと振り向いた。

「ヤだね!」

返ってきたのは当たり前の一言。 なんて定番のやり取りだろう。 まるでコミック。

駆け行く姿を追いかける。 速い速い。なんて速さだ。 俺も決して遅い方じゃないが、まるで追いつける気がしない。 息が上がる。 数m遅れた俺を置き去りに、ヤツは駐車場と通路を仕切るロープを飛び越えた。 ひらり、軽やかな身のこなし。 まだまだ元気そうな相手の様子にほんの少しだけくじけそうになる。

次の瞬間、フラッシュバック。 ひらめいた記憶はいつかの光景。 被害者(ガイシャ)の部屋、黒い血痕、鮮やかな仕事の痕跡。 ノイズ。 耳障りな偉いさんの声、胸に引っかかるキーワードは、プロ・殺し屋・必要悪。

あきらめるもんか。 俺は、立ち止まった。 上着の内側に手を入れる。 ホルスターから抜き出す硬質な感触。 安全装置をはずす。 逃げる背中に狙いを定めて。

一瞬の躊躇。 ホントウニ アイツガ テキ ナノカ?  もし違ったら。

ヤツが犯人(ホシ)だと確信しながらもいまだ舞い降りる迷い。 鈍る決意を奮わせて、引き金に指をかける。 南無三!  狙い定めた相手の足元へ。


パンッ!


響いたのは花火のような破裂音。 バッと構えを解き、駆け行く少年を見やる。

ヤツはすごい勢いで振り返った。 ビョンッと飛びのくように体を反転させ、後ろ向きのまま2・3歩後ずさる。 その足は止まっちゃいない。 はずしたのか。 ならばもう1発……。 再び構えた銃口の先で、ヤツがピタリと立ち止まる。

……?

いぶかしがる俺の視界の中央、ヤツが突然駆け出した。 俺の方へ。 こちらに向かって全速力で駆けてくる!

何だ!?

思わずひるんだ俺の体まで、あと1.5m。 間近に迫ったヤツは、急に大きくジャンプした。 両足をそろえる空中姿勢。

ド、ドロップキック!!?

……と思った直後、ヤツの両足はロープの上に着地した。 着地というより命中という印象か。 ともかくヤツの両足はしっかりとロープをとらえていた。 ジャージに包まれたひざが柔らかに曲がる。 跳ね返る。 まるでバネのように。 ヤツの体は再びロープの向こう側に飛び戻った。 垣間見たヤツの表情。ちらり、小さく舌を出していた。

あっかんべー。

ヤツは俺に背を向けて逃げていく。 なぜだろう、口元が上がった。 俺に浮かぶ笑みの正体は?  わからない。 瞳に焼きつく桃色の舌。 ぐらり、俺の中で何かがぶれる。

ROCK ME!

いいぜ、俺を揺らしてみせろ。

銃を片手に持ったままヤツの後を追って走り出す。 低いロープを飛び越えて。 アイツが駆け行く駐車場内に俺も飛び込んだ。 まばらに止まった車の間を縫うようにしてアイツが逃げる。 車が邪魔で狙えやしない。

撃つのをあきらめて銃をしまおうか?  そう考えたとき、ふっと視界からアイツの姿が消えた。 さっきまでそこら中を駆け回っていたのに、隠れた車の影から出てこない。 どういうつもりだ?  アイツが隠れたとおぼしき黄色い軽自動車に近づく。 ちょっと様子をうかがってから、バッと車の陰側に飛び込んだ。

……いない。

辺りを見回す。 そう遠い場所には行っていないはずだ。

どこにいる?

鋭く泳がせた視界の中にかすかな違和感を見つけた。 目に止まったのは黒い軽のワゴン型。 車体の下の隙間から足が見えている。 あの靴、白地に紺っぽい青のラインが入ったスニーカー。 間違いない。 俺の目標。 逮捕じゃなくて、退治する相手。

俺は安全装置のはずれた銃を地面に向け、じりじりと車に近づいた。 せっかく見つけたターゲットに逃げられぬよう慎重に近づく。 やつは車の横に隠れている。 助手席側だ。 静かに、息を殺しながら、運転席側に近づく。

問題の車にたどり着くと車体に背をつけて立った。 横歩きでじりじりと車体の前に移る。 ミニワゴンの鼻先に背をこすり付けるように移動。 相手の気配を感じる。 すぐ近くにいる。 確かにアイツがいるんだ。 端まで来た。 あとは一歩横の空間に飛び出すだけ。 息を整えて。


バッ……!!


いない。 そこにあったのは何もない虚ろな空間だけ。 人っ子どころかネコの子一匹いやしない。 だらりと腕を下ろして立ち尽くす。 逃げられた。 でもどこに? 辺りを見渡して視線を動かしたときだった。


とすっ。


何かが当たった。 背中の中央、ちょうど背骨に当たる位置に。 それほど太くもないものでつつかれたような感触だ。

何だ?  ……銃口?

そう考えるのとほぼ同時に背後から少年の声がした。

「フリーズ(動くな)。……手ぇーあーげて♪」

鼻歌交じりの警告はひどく不機嫌な低音の響き。 グリッと背骨に細いものが当たった。

文字通り凍りつく俺。 前髪の生え際辺りから汗が噴出す。 やべ。 心臓が止まりそうだ。 そう思ったとたん、静まり返っていた鼓動が凄まじい勢いで鳴り出した。 超速テンポの激しいビート、まるで悲鳴。 ビビッてんのか?  何だ俺、かっこ悪りぃ。


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