今年最初の依頼者は見知らぬ男だった。
裏社会の顔役からの依頼が多い俺にとっては珍しいことだ。
一月一日。
年の初めから狙撃の依頼とは、全く持って物騒な世の中だと思う。
呼び出された部屋に入ったとたん、俺は思わず立ち止まった。
目に飛び込んだのは一人の男……いや、まだ子どもか。
灰色の髪の毛。年齢。
噂に聞いたある人物とぴったりの容姿。
知らずのうちに、俺は口をゆがめていた。
「どういうことだ?」
あごで少年を指し示し、苛立ちを隠そうともせず依頼者に問う。
誰かと組むのは趣味ではない。
仕事は、孤独に限る。
この依頼者は俺とこいつを組ませるのではないか。
そんな予想が俺の表情を苦くする。
「ああ、この子は別件でね。気を悪くしないでくれたまえ。」
依頼者は穏やかに言う。
しかし、俺はありありと不満の色を浮かべた。
別件、なのか。
だが俺はこのガキを知っている。
子どものくせにとんでもなく拳銃の扱いが上手いらしい。
通称『キッド』と呼ばれる人物。
そのとき、思いがけず少年が口を開いた。
「別件だって。」
念を押す口調。
俺は、ふん、と軽く鼻を鳴らした。言葉遣いや態度から生意気な小僧だと思う。
小僧はすぐに部屋を出て行った。
後姿が消え、扉が閉まる。
カチャリとオートロックの鍵がかかる音。
扉が閉まり切るのを待っていたかのように、依頼者は詳しい内容の説明に入った。
「今は亡き友との約束を守るため、1本のフィルムを消してほしい。」
事前に明かされていた簡単な内容とほぼ同じ言葉。
最初の依頼は『目標であるフィルムとその周囲を全て撃ち壊せ』というものだった。
机の上には見取り図が広げられている。
映写機用の古いフィルム。それが目標だ。
フィルムは明後日の祝日に、このホテルの一室で上映されるという。
さらに詳細な会場の見取り図を受け取り、懐にしまいこんだ。
理由だのフィルム中身だのに興味は示さない。
余計なことには触わらない、それが俺のやり方だ。
いわば、自分と交わした約束。
絶対に守り通す、俺だけのルール。
「契約内容は先日伝えたとおりだ。よろしいかな。」
依頼者は俺に視線を合わせてきた。ああ、と答える。
腕には自信があった。
難しい狙撃依頼も必ず果たしてきた。遠距離射撃の精度には定評がある。
まして今回のような契約内容ならばしくじるわけがない。
『目標とその周囲を全て撃ち壊せ』などという景気の良い契約なのだから。
会場となる部屋を狙うため、最適な場所を探さねばならない。
依頼者から報酬の一部を前金として受け取り、部屋を後にしようとしたときだった。
「ただ、」
背後から依頼者の声がする。
振り返ると、依頼者はうつむいたまま小さく付け加えた。
「花束は、撃たないでくれないか。
私が届けさせたものだ……友が好きだった花でね。」
俺は黙ってうなずいた。
部屋から出る。
我知らず、深いため息が出た。
懐から煙草を取り出す。
火をつけて深々と、一服。
指にはさんだ煙草の火が赤々と燃え、煙がすらりと立ち上る。
ホテルを出ようと向かった玄関。
ロビーに見覚えのある小僧を発見した。
不機嫌が襲ってくる。
小僧は太い柱に寄りかかっていた。
音楽でも聴いているのか、イヤホンを耳に入れて。
俺に気づき、じっと見てくる。
俺は手にしていた煙草を投げつけた。
頬に当たったが、小僧はぴくりとも動かなかった。
その日、空は晴れ渡っていた。
俺が選んだ隠れ家は、先日訪れたホテルの向かいにあるビルの一室。
こちらもホテル、ただしビジネスホテルだ。
会場の真向かいにあたる部屋に陣取り、ブラインドを降ろす。
狙いを定め、映写機を照準に納めた。
準備万端。
後は、時を待つのみだ。
チャンスは上映前のわずかな時間だった。
フィルムが映写機にセットされてから、カーテンが閉まるまでの間だ。
俺の銃はドラグノフ。
堂々たる大きさ、威圧感さえ与える巨大な狙撃銃。
と、ホテルの屋上で誰かが動いた。
気づく。
あれは、あの小僧。
先日俺の前に呼ばれていた、あの小僧だ。
突然、小僧が銃を抜いた。
一瞬俺を狙うつもりかと思ったが、すぐに違うと思いなおす。
目標は俺ではない、俺より遥かに高い位置を狙っている。
いったい、何を?
そう考えた次の瞬間だった。
発砲。
小僧が撃った。
銃声すら聞こえない、極々わずかな硝煙だけで知れるショット。
連発だった。
同時に、自分が潜んでいる方のホテル、遥か上から小銃らしき銃声。
6発。
あっという間に、会場の花束が木っ端みじんになった。
あっけに取られる。
俺はドラグノフをケースに収め、かついで部屋を駆け出した。
去るとき、ケースが当たったブラインドが激しく揺れる。
息を切らせて、屋上に着いた。
何が起こったかは定かではないが、あの小僧がしでかしたに違いない。
辺りを見回して、柵にくくりつけられた箱のようなものを見つけた。
駆け寄る。
仕掛けられていたのは銃だった。短い狙撃銃。銃の名はWA2000。
キッと向かいの屋上をにらむ。
違和感。
小僧の姿はすでにない。
俺は用心を怠らずに気を配りつつ、自分の銃を取り出した。
もしあの小僧が俺を狙おうというのなら、容赦はしない。
銃を肩に提げたまま狙撃銃を観察した。
ハンドガードがない。
指を守るように覆う金具が切り取られている。
正面から見たとき、引き金がむき出しになる格好だ。
気配。
誰かが近寄ってくる。
俺は振り向きざまに、手にしていたWA2000を突きつけた。
「それオレのじゃん。」
銃口の先にいたのは、案の定、あの小僧だった。
通称、ブローニング・キッド。
小僧は『撃つな』と言うように手を頭の後ろに組んだ。
俺はぐっと怒りをこらえる。
手にした銃の弾は空だ。
そんなことは銃を仕掛けた本人の方がよくわかっているだろう。
「貴様……なぜだ。」
なぜ、花束を撃ったのか。
低く問う。
俺の声はわずかにかすれた。
「花を撃ったこと?」
小僧は生意気な仕草で肩をすくめる。
「だって俺への依頼は、『彼の撃てない物を撃て』だもん。契約内容とばっちりじゃない♪」
彼、とは俺のことだろう。
陽気な口調がますます俺の神経を逆なでた。
「……俺の交わした約束を、ぶち壊した。」
腹の底から声を絞り出した俺に、小僧が封筒を投げ渡してきた。
思わず受け取る。
薄い茶色のどこにでもありそうな封筒だ。サイズはA4。
無言のまま、小僧が中を見ろという身振りをする。
俺は小僧の動きに意識を置いたまま、封筒を開けた。
そこには、依頼者に関する調査結果が記されていた。
調査した情報屋の署名は、俺も聞いたことのある男のものだ。
依頼者は元カメラマン。
戦場や裏社会など、穏やかならぬものばかり撮ってきた男だという。
撃つように指示されたフィルムの中身は古い記録映画。
依頼者とフィルムとの接点は……ない。
俺が聞いた、約束を交わした『古い友人』とやらも浮かび上がってこなかったそうだ。
そして。
封筒の中から出てきた伝票の写しは、俺に息を飲ませるのに十分なものだった。
上映会の前日に届くよう指示する花屋の伝票が一枚。
さらにもう一枚。
『花束にも隠せるような』マイクロカメラを購入したことを示す伝票が。
体を貫くように、稲妻が走った。
思考がつながる。
伝表、花束を撃つなと言った言葉、調査結果。
見えた。
依頼者の真の狙いが。
奴の真の目的は、狙撃シーンを撮ることだったのだ。
この俺と小僧……、キッドの、狙撃を。
今回の依頼自体が、嘘で固めた撮影目的のものということになる。
こんな嘘すら見抜けずにいたのか、俺は。
なんて無様な。
俺は、再び見つけ出した銃を見つめた。
よく見ると、引き金に何かが当たった跡がある。
金属質の小さな傷。
言うまでもない。
キッドが向こうの屋上から引き金を撃っていたのだ。
引き金に弾丸が当たる衝撃で、この狙撃銃は発砲させられた。
向こうの屋上から銃の引き金まで距離は500m以上。
ターゲットとなる引き金は芥子粒のように小さく見えたはずだ。
癪な話だが、とんでもない精度だ、と認めざるをえない。
石化したように立ち尽くす俺に、キッドが手を差し出す。
俺は無言で狙撃銃を手渡した。
負けを、認めたくはない。
しかし、評判を裏切らない腕前を目の当たりにした。
おまけにひどく知恵がきくということまで知ってしまった。
向かいのビルからの発砲。
仕掛けられたカメラがどんなに高性能でも、これなら姿も写らない、
弾道もバレない、
奴の象徴ともいえるブローニング・ベビーの弾も残らない。
拳銃とこの狙撃銃では、弾丸の形が全く違うのだ。
「これからどうすんの?」
キッドが尋ねてくる。
「嫌な奴は忘れることにしている」
嫌な奴。
お前、そして依頼者。
そう言葉の外に含めたつもりで言い放つ。
お前の態度が気に食わない。
だから立ち去る、そしてお前のことは忘れる。
「ほっとけば?あんなじーちゃん。」
「俺のルールだ、止めるな。」
契約違反は許さない。
だから消し去りに行く、そして今回のことは全て忘れるのだ。
汚点は必ずぬぐうこと。
そして忘れること。
自分で決めたルールだった。
言わば、自分との約束だ。俺が自分自身と交わした約束。
「止めちゃう♪」
明るい声がする。
振り向くと、キッドが両手に拳銃を握って俺を見据えていた。
その瞳には、絶対に負けない自信の輝き。
俺の瞳は、きっと、よどんだ迷いの色をしているのだろう。
しばしにらみ合いが続いた。
ふと、視界の端、地上の方向で、何かが動いた気がした。
視線をずらす。
会場となっていたホテルのロビーに人影が動いている。
ロビーに現れたのは間違いなく、あの依頼者だった。
俺は、おもむろにドラグノフをセットした。
視線を感じる。
いつか敵対するかもしれない、一人の只者ならぬ少年が俺を見ている。
人前で銃は撃たないこと。
手の内を他人に明かすような真似はしないこと。
これもまた、俺が俺自身と交わした約束だったと言うのに。
……俺はまた、約束を破ろうとしている。
轟音。
俺の愛銃ドラグノフが生み出す発砲の振動。
消音機がついていても、衝撃は体の奥で響く。
同時に湧き上がるのは、ふつふつとした怒り。
自分に、そして背後の少年に対しての憤りだ。
感情を押し殺して、ひっくり返る依頼者の足元に警告を刻む。
標的を示す×印を。
「これで、奴の顔は忘れた。」
俺自身の唇が、他人のような声でつぶやく。
バカな。
俺よ、お前は裏切り者は許さないのではなかったのか。
「嫌な奴は全部忘れることにしている。」
今日の俺は、どうかしている。
そもそも他人に自分のルールを語ることなどすべきではないのに。
胸に浮かぶのは、戸惑い。
「お前のことも絶対に忘れる、一番嫌いなタイプだ。」
にらみ返してくる表情を予想しながら、横目で背後をうかがう。
「俺は覚えとく、こんなゴツイ銃であの精度、すっげー!」
キッドの反応は、予想に反していた。
思わず振り向く。
見えたのは、ひどく嬉しそうな表情。
頬を紅潮させ、瞳を輝かせる様に拍子抜けする。
「あのじーちゃんもこれを撮りたかったんだろうなあ。」
キッドはしみじみと言った。
おだてているつもり……、ではなさそうだ。
……ふん。
俺は銃を手早く片付けると、さっさとその場を立ち去った。
逃げるように。
キッド。奴のことは『嫌な奴』と決めた。
一度決めたら揺るがさない。
最初の直感はまず当たっていることが多いからだ。
これもまた、俺なりのルール。
背後から、少年の声が飛んでくる。
「また見たい! また会いたいね!!」
冗談ではない。
俺はビルを飛び出し、用意していた車に飛び乗った。
しばらくの間、車内で一人、頭を冷やす。
数分後、車の横をキッドが素晴らしい速度で走り去っていった。
足も速いのか、と感心しかけて、あわてて首を振る。
忘れなければ……。
そう考えた先から、キッドのしみじみとした声がよみがえった。
『じーちゃんもこれが撮りたかったんだろうなあ……。』
ため息すら混ざっていた、偽りなき賞賛の言葉。
自分の腕前を棚に上げてよく言えたものだ。
俺は、奴に、劣る。
それなのに。
まぶたの裏に、灰色の髪の少年が浮かぶ。
自信家そのものの瞳。また見たい、本心からと思われる言葉。
賞賛なら受け慣れている、はずだった。
まぶたの裏の残像はまるで傷跡のようにいつまでも消えず、揺らぎ続ける。
忘れられるはずがない。
そう思い切るまでには数分を要した。
なぜだろうか。
悪い気分ではない。
俺は依頼者との契約を破った。
俺は自分自身と交わしてきた約束を破り捨てた。
かたくなに守ってきたルールは、俺の自信を支える根拠でもあったのに。
大事なものを失ったことがなぜか爽快に思えて、俺は苦笑をもらした。