Color of vain

画廊を満たす柔らかな光は人工のライトだ。 見たところ、室内に窓はない。

2人はまだ絵の前にいた。 壁の絵画は40号より少し大きなサイズ。 色白の少女が柔らかなタッチで描かれている。 やんわりと微笑むかのような少女の横顔。 本物? レプリカ? キッドにはわからない。

5分ほども黙っていた後だろうか。 突然、女が言った。

「ちょうどよかったわ」
「……ナニが?」

少し間を空けてから、キッドが問う。 女はスッと己のえり元に手をやった。

「これを着てきたこと」

これ、と言いながら女はえりから胸にかけてのラインをなぞる。 ダークレッドの爪先を受け止めたのは目に刺さるほどの鮮明な青。

「ちょうど青でお揃いに……あら? でも」

そう言って、女はキッドの全身をしげしげと眺めた。 キッドもまた、自分の体にキョロリと視線を走らせる。 本日の服装はモノトーンスタイル。 スリムなパンツは真っ黒で、短いジャケットはダークなグレイ。 ナナメに引っかけたシンプルなショルダーバッグは髪の毛と同じアッシュグレイだ。 純白と淡灰色のマフラーは、太目のボーダー柄がポップなイメージだった。

「今日はつけてないのね?」

問いかける調子で女が言う。

「何言ってンの?」

言いながら、肩をぐっと後ろにやって胸をそらす。 キッドにしてみればただ体を伸ばしたいがための動きだったが。

「あら、あった!」

女が嬉しそうな声を出した。 指さす先にはキッドの腹部。 体をそらしたせいで前が開いて、ジャケットの隙間からインナーが大きく顔を出していた。 シンプルな白地のハイネックTシャツに紺のラインが描かれている。

「だから、何のこと?」

笑いながらキッドが問うと、女はとびっきり色っぽく微笑んだ。

「青のことよ」

ささやきは艶めいた響き。 女は豊かな黒髪にスッと手を通す。

「ブローニング・キッドは青が好き。 特に仕事中は、いつも何かしら青いものを身につけている……そう聞いたわ」

女の口からはマニアックな情報。 オマエはストーカーか、と心の中でツッコミを入れて、 キッドはポケットに入れた手をますます深く差し入れた。 ポケットの奥で、袖に隠れた腕時計の文字盤は鮮やかに深いウルトラマリンブルー。

「やっぱりお揃いね、青と青」

そう言って、女は軽く腕を組み合わせた。 胸の下で重なる両腕が少しだけモナリザのポーズに似ている。 脇を閉めた姿勢。 ただでもナイスなサイズの胸がいっそう強調される。 思わず目が行った。

「……そろってねーし。オレが好きなのはもっと濃い青、ウルトラマリンブルー」

まぶしすぎる青のスーツを見ながら言ってやる。 かろうじて、豊かな胸からは目を離した。

「ウルトラマリンブルー? それなら、まさしくこの石の色ね」

キッドの言葉に女が応じる。

「このラピスラズリの色」

指さしたのは胸元の首飾りだ。 大ぶりの石でできたジャラリとした物だった。どことなくエスニックなデザイン。 石の色はまさにウルトラマリンブルーだ。 ところどころに金色の斑紋が浮かんでいる。

「ラピスラズリ?」

キッドは小さく疑問系の声を上げた。

「昔々、それこそここに展示されている絵画たちの本物が描かれた時代、 ラピスラズリをすりつぶして作った絵の具がウルトラマリンブルーなのよ」

年上らしい落ち着いた態度を見せつつ、女は少々得意げに言う。

「へぇ……」

冗談ではなく感心の声がもれた。 もちろんキッドもラピスラズリという言葉くらいは知っている。 だが、それが自分の好きな色と関わっていたとは初耳だ。 キッドはちょっとだけ、本当にちょっとだけ、女を見直した。

「この石、きれいでしょう?」

女は手の中でラピスラズリをもて遊ぶ。 カチ、こすれあう石の音。かすかに揺れる首飾り。

「あなたのこともこんなふうに手の内に納めてしまいたいものだわ」

これ見よがしにキッドの色を身につけて、女が笑った。 グロスたっぷりの唇が光る。 深みのあるローズレッドに彩られたふくらみが裏のありそうな弧を描いた。 たくらみの微笑。

「偶然じゃないんでしょ」

その一言は唐突に。口にしたのはキッドだ。

「どういうこと?」

女が応える。

「あんたが呼んだんだろ。オレを。ここに」

キッドがたたみかける。 顔は前方の絵画に向け、横目の視線だけを女に当てて反応を待つ。

「……ふふふ、どうかしら」

女の目から微笑が消えた。 口元はまだ笑っている。ほんのわずかに緊張の気配。

また、沈黙。

少し待ってみたが女がはっきりと答える様子はなかった。 仕方なく、話題を変えることにする。

「でもさ、オバ……」
「お姉さん!」

禁句を言いかけたとたん、鋭い叱責が飛んできた。 この女、よっぽどおばさん扱いが嫌らしい。

「……アンタが青い服とか珍しい気がする」

素直に言い直して、キッドは女の方に視線を戻した。 似合わない青い服。 肌の色がくすんで見える。赤の方が似合うのに。

「そうでもないわ。どんな色の服だって着るわよ?」

柔らかく、女の声が聞こえてくる。

「ふーん。意外」

たいして意外でもなさそうにキッドが言った。 聞いた女はおかしそうに笑う。

「何か先入観があるみたいね。青は嫌いに見えた?」

よりいっそう腕が寄る。 寄せ上げられた胸でインナーの上に谷間ができた。ああ、もう、目の毒だ。

「青がどうとかより赤いイメージがあった。特に……黒っぽい赤。ダークレッド?」

1番しっくり来る言葉を探し出すのに2秒間ほど手間取った。 女を彩るイメージは深い紅だ。 最初に会ったときは真っ赤なルージュに目を奪われた。 今はなぜか、鮮やかな赤よりもダークレッドの印象が強い。

「ダークレッド? そうね、深紅と言い換えていい色のことなら確かに好きよ」

女はフフフと含んだ笑いをもらした。

「不思議ね。直接会うのは今日を入れても二度でしかないのに。 どうして私の好きな色がわかったの?」

壁の少女像に顔を向けながら、流し目を寄こす。 甘いまなざし、薔薇の香り。 キッドは片眉をちょいと上げて視線を受け止めた。

「なんでだろぉねーん」

いい加減な返事を投げる。 女はスッと胸元に手をやった。

「今日も身につけているのよ、ダークレッド」

ちらり。

胸元を開けて見せる。 スーツとインナーの奥からほんのちょっぴりのぞくのは高価そうな下着だ。 ダークレッドのゴージャスなレースが何ともセクシー。

「いい色でしょ?」

そう言って、女はゆっくりと胸元を隠した。

「静脈の血みたいな色でどうかと思う」

半笑いで答えてやる。 すると女はあらと声を上げた。

「それを言うならあなたのも静脈の色よ? ほら、この色」

指差す先は目の前の少女像。 どういうことかとキッドは両眉を上げる。 「何が?」とでも言いたげな疑問の顔。

「ルノワールという画家を知っているかしら?」

女が問うて来る。 キッドは首をかしげた。 名前くらいは聞いたことがあるが、知っているというほど詳しくもない。

「フランス印象派の巨匠よ。勉強なさいな」

呆れたように女が教えてくれる。 キッドはぺろりと舌を出した。 必要なこと以外は覚えない主義ゆえに、芸術分野にはかなり弱いキッドなのだ。

そんなキッドの様子をよそに、女は絵を見ていた。 少女の頬に向けた指をそのままキャンバスに近づける。

「私はね、ルノワールが描く少女の絵が好きなの。 ほら、この壁にかけてあるのも彼の絵のレプリカよ。 偽物だけど、これはよくできてるわ。肌の質感がいいでしょう?」

そっと滑らせた人差し指。 少女の頬も女の指も、同じくらい白い。

「ルノワールは白い肌の透明感を出すためにある特別な技を使ったの。どんな方法だと思う?」

女はまた問いかけてきた。

「さあ?」

キッドは肩をすくめて見せる。

「肌の下にあらかじめ静脈を描いたのよ。 ウルトラマリンブルーの絵の具で、と聞いているわ。 白い絵の具の下からかすかに青い筋が透けて……ほら、本物の静脈みたいでしょう?」

言われるままに絵の少女を観察してみる。 よくよく見ると、確かに肌の白地の下に青い色が透けて見えた。

「ん、本物っぽい、かな?」

じっと絵に顔を近づけるキッドを女がからかう。

「キスでもするつもり? そんなに近づいたらこのが恥ずかしがるわよ」

言われるままに顔を離す。 それから、横を向いて女と目を合わせた。 女は静かに目を閉じる。

「私の深紅、あなたのウルトラマリンブルー、どちらも color of vein ……静脈の色ね」

うっとりした声音は芝居がかった響き。 女が目を開く。 とろりとした瞳。

「オレもアンタも静脈の色?」
「そうね、二人とも」

簡単なやり取りの後、キッドは反対側を向いてこっそり顔をしかめた。 今、女と対話しているのは自分のはずだ。 なのに、まるで話しかけられている気がしない。

会話は成立している。 けれど女の瞳はどこか遠くを見ているようだ。 誰に語りかけているつもりなのか、まどろむような微笑。 誰かと会話するというよりは観衆を前にした役者のよう。 ここは、女の独り舞台。 彼女はきっと自分だけの世界で、気に入りの役を演じているのだろう。 そこは暗い劇場。 ステージ上には、彼女の他には誰もいない。

「内側の血と、肌の外に透ける色。……キーワードは『静脈』。 面白いわ。赤と青で全く方向性が違うのに、同じものを象徴しているなんて」

ここまで言って、女はやっとキッドと目を合わせた。

「面白くもなんっともない。俺、アンタのこと嫌い」

キッドが言い返す。 やっとマトモに話ができそうだ、そう思いながら。

「あぁ、酷い。そんなじゃあ女の子にもてないわよ?」

女が言った。 いかにも悔しげな言い方がわざとらしい。

「残念でした、オレってかーなーりモテるんですぅー」

ベー、と舌を出してやると女はコロコロと笑う。

「あらまぁ、彼女に言いつけるわよ? 他の女の子に好かれて喜んでるって」

笑顔のまま、女がささやき声で付け足した。


「いつも四時半の電車で帰るんですって? 園田由紀さん」


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