Color of vain

園田由紀。 その名を聞いた瞬間、キッドの表情が引き締まった。

「ユキがどーした、って?」

問いかけの言葉はスローテンポで。 ユキ、それはキッドのかわいいカノジョの名前。

「顔色が変わったわね。……お熱いこと」

女は余裕の表情だ。 壁の絵を前に、横並びの2人。 2人の間を緊迫した空気が流れる。 数秒間、にらみ合いが続いた。 1秒1秒が長く感じられる。 互いに発しているのは決して穏やかではない恫喝の空気。

「私に何かあったら、あなたの恋人もただではすまないわよ?」

先に口を開いたのは女の方だった。

「でもアンタが先に死ぬ」

クールすぎる瞳でキッドが応じる。

「……」
「……」

再び2人は黙りあった。 沈黙。 緊張。 探りあいの気配。 やがて息苦しいほどの気配が流れ出した。 どちらから発せられているかもわからない、濃厚な殺気が。

「もう一度だけ聞くわ。私と組みなさい?」

女がキッドの方に体を向ける。

「『聞いて』ねぇー。疑問系だけど命令じゃん」

キッドは壁の絵画の方を向いたまま。 首だけを女に向けて、ギロリとにらむ。

「これが見える?」

女が白くて薄っぺらいものをキッドに向けた。 小型の携帯端末だ。リアルタイムで映像や音楽を受け取れる、タブレット端末の一種だろう。

四角い画面。 映っているのは白いコートの少女だった。 どうやら家に向かう途中らしい。 キッドにとっても見慣れた道を、映像の中の少女は足早に歩く。 キッドは冷め切った表情を崩さなかった。 鋭いくらいにクリアな眼で女を見据える。両手はポケットに入れたままだ。

「どう? 見えたの?」

女が問いかけてきた。

「あぁ、見えた。オレのカノジョ。 ××駅から1丁目の自宅に向けて移動中、4丁目のコンビニ前を通るところ……」

ことさらに声を張り上げる。 キッドのよく通る声は周囲の注目を集めた。 女はわずかに焦った様子で端末を下げる。

それでも。

視線を上げた女は勝ち誇った表情だった。

「いーかげんにしろよ、ババァ。ユキに手ぇ出したら全力でコロス」
「ばっ……!」

キッドの言葉に女が目を見開いた。 すぐに笑顔を取り戻す。だが、引きつっている。 余裕の笑顔を作ろうと努めているようだが、思いっきり引きつっている。 してやったりだ。 キッドはニヤリと黒い笑みを浮かべた。

「このクソガキ……!」

我慢も限界だったのか、女が低い声でつぶやいた。 たぶん怒鳴りつけたいところを我慢している、そんな雰囲気。 腰に当てられた左手には指が真っ白になるくらい力が込められている。

にらみ合い。 ほんの1秒間。 次の瞬間、キッドは左手で銃を抜いた。 ほぼ同時に女が先ほどの端末を掲げる。 キッドの手に握られたブローニング・ベビーが沈黙する。 右手が、ポケットの中でかすかにうごめいた。

「やるの?」

女は動じない。 他の客の一部が銃の存在に気づいたようだ。 あわてて画廊の女主人の元に走っている。女主人も動揺した様子。

女は、端末を握っているのとは反対の手を懐に差し入れた。 上着の内側で何かを握ったようにも見える。 そこにあるのは? 銃? 他の武器? もしかして別の通信機か?  白いコートのユキなる少女を襲えという指令を出すための。

キッドは女の眉間に銃口を向けたまま動かなかった。 軽く歯を食いしばる。 わざとに見せた悔しそうな顔。 女は笑った。

「どんなに急いでも、ここから彼女の元にたどり着くまで30分はかかるわ。 間に合わないのよ、あきらめなさい」

わかりやすい牽制。 私を撃てばお前の恋人もただではすまない、そんな脅し。 キッドは銃を降ろした。 だらりとぶら下がる左手。 ついでに舌打ちを1つ。 女が懐から手を抜いた。握られているのはどうやら小さな通信機。

「理解したわね? あなたの負けよ」

女が言った。

店の奥では画廊の女主人が客たちをなだめている。 あれは撮影だとか何とか、そんな言葉が聞こえた。 事態をごまかすところを見ると、やはりあの女主人もまともな人間じゃない。 十中八九、今まさにキッドと対決している紅い女の手下なのだろう。

キッドはフンと鼻を鳴らした。 嘘をついてなだめねばならないということは、客の方は本物の一般人。 できれば巻き込まずに済ませてあげたいところだ。 たぶん、無理だろうが。

「何とか言ったらどう?」

女が急かす。 キッドは ありえなーい とでも言うように首を振った。

「観念してちょうだい、ボウヤ。今日は逃がさない」

女はこれ見よがしに映像を映す端末をチラつかせる。 小さな小さな画面の中に家路を急ぐカノジョの姿。

「甘いね。とっくに解決してる」

落ち着き払ってキッドが言った。 驚く女。 あわてて小型画面に目をやろうとしてハッとなる。

「あぶない、引っかかるところだったわ」

女は半眼でキッドを見すえた。

「私に隙を作らせるつもり? ……甘いわね」

その手は食わない、とばかりににらんでくる。

「さーて、どぉーかな」

キッドは涼しげな表情を崩さない。

「生意気な子……」

女が言った。 微笑みながらの言葉だが穏やかならぬ空気。 ふふふ、と。 かすかに笑う女の声が聞こえる。

「銃を捨てなさい」

静かな恫喝。 キッドはまだ動かない。

「捨てろと言ったの、わかりなさい。 これ以上待たせたら命はないわ、あなたじゃなくて彼女の方!」

女の語気が少しだけ強まる。 キッドは銃を捨てた。 音もなく、ポケットサイズのかわいい相棒が床に転がる。 毛の固い絨毯で覆われた床は硬質なブローニング・ベビーを優しく受け止めた。 握ってくれる主を失った銃はどこか寂しげだ。 キッドの頬が苦々しげにゆがむ。

女がにったりと微笑んだ。 勝利を確信した表情。生まれたのは、一瞬の隙。


パン!


軽い音が響いた。

これは銃声。 銃声とほぼ同時にドッと鈍い音も聞こえる。

「なっ……!?」

女の声はかすかに震えた。 その鈍い音は女の胸から聞こえていた。心臓の位置。 ガクッと揺れる女。同時に手から通信機が転がり落ちた。 機械を落としたことに気づいているのかどうか、女は驚きの表情で自分の胸に目をやる。

鮮やかな青のスーツに、穴が開いていた。 直径2・3cmばかりの小さな穴が。 目を瞬かせる女。 何が起こったのかわからないといった様子だ。 この間、キッドは微動だにしていない。 左手から落とした銃に触れることも、右のポケットから新たな銃を抜くことさえも。

女の視線が上がる。 見えたのはキッドの右のポケット。 上着の下の方についている右ポケットがやけにふくらみ、突き出している。 ポケットの表面には穴が開いていた。 黒い丸の形に。

女が悔しげに歯を食いしばる。 気づいたのだろう、その穴が銃弾の通り道だということに。 ポケットの内側で発砲した結果、布を突き破って弾丸が飛んだ。 その痕跡。 そう。 ポケットから取り出さなくても銃は撃てる。 左手だけではなかったのだ。隠れた右手もまた、銃を握っていた。 キッドは二挺拳銃の使い手だ。片手の銃だけを捨てさせても意味はない。 そんなことは女だって知っていたはずなのに。

油断。 おそらくは自分が優位にいるのだという安心感が女の目を曇らせた。

「……何とか言えよ。平気なんだろ?」

静かな低音で告げながら、キッドは女をにらむ。 女はよろめきながら、後方の壁まで後ずさった。 そのまま背中を壁に預ける。 お客のご婦人方は興味深そうな顔で2人を見ていた。 きっとまだこれが何かの撮影、すなわちお芝居だと思い込んでいるのだろう。

女はキリキリと歯を食いしばってキッドをにらみつけた。 キッドの言うとおり、命に別状はない様子だ。 夜の蝶が着るようなビビットブルーのスーツの下には、高性能のボディアーマーが潜む。 いわゆる防弾チョッキというやつだ。 これではキッドの小さな弾丸など女の体には届かない。むろん、全く影響なしとはいかないが。

「ふっ……ふふ、ふっ……」

女は切れ切れに笑った。 内心の動揺を隠そうとしているのがわかる。 だが隠しきれてはいない。だって、ほら、瞳が揺れている。

しばらく間があった。 時の流れる音すら聞こえそうな無音の空間。 沈黙を破ったのはキッドの方だ。 女が足元に落ちた通信機に目をやった、その瞬間だった。

「……ところでぇー」

女の体がびくりと揺れる。突然聞こえた声の元をたどるように、 跳ね上がるように視線が動いてキッドの顔を捕えた。 女の凝視を浴びながらキッドが尋ねる。

「この前のこと覚えてる? アンタがオレを襲わせたときのこと。 あんときオレと話したよねぇ? アンタの部下が持ってた通信機使って……」

言いながら、キッドは左手で携帯電話を取り出した。 チラリとも見ないまま電話を開き、目にも止まらぬ速さでボタンを押していく。

「言ったよな。『今度はオレから会いに行く』って」

最後に押された通話ボタン。 それが合図だった。


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