Color of vain

地下道だった。 正確に言えば、ショッピングセンターの地下3階だ。 ショッピングセンターといってもかなり大型のもので、モールと呼ぶべき広さである。 ベージュの壁とレンガ模様の床がどこまでも続く。 人の気配はない。

地下道の奥から人影が現れた。 数名の男女。 ほとんどの者は地味なスーツ姿だ。 一人だけ、派手な色彩が見える。 真っ青なスーツ。 あの女だ。

女は松葉杖にすがりながら片足で歩いていた。 浮かせた方の足にはがっちりと巻かれた包帯。 手の傷もすっかり手当されている。 とても5時間前まで異常な戦いの場にいた者とは思えない。 このまま町を歩いても「怪我をした人だな」くらいにしか思われないだろう。

女がよろめいた。 取り巻きの一人が手を差し伸べる。 女はその手を思いっきり振り払った。 払った拍子に傷が痛んだのか、苦悶の表情を浮かべる女。

女たちはゆっくりと地下道を進んだ。 しばらく行ったところに小さな出口がある。 女から見て右手の壁にぽっかり開いた暗いゲート。 ゲートの先は急な階段だった。 その段を登って、女たちは地下2階へと向かう。

階段は長くて暗い。 傾斜も急で、うっかりすると段を踏み外してしまいそうだ。 前方から白い光が差し込んでいる。 光とともに流れてくるのはめいっぱいに明るいCMソング。 女は前を見上げた。 階段に光と音を流し込むのはドアのない出口だ。 出入り口の向こうは踊り場。 踊り場は廊下を経て、買い物客でにぎわう店内に続いている。

女たちは出口に向かってゆっくりと段を登った。 よく見ると、出口には太いロープが貼り渡されている。 ロープの真ん中にぶら下がった一枚のプレート。 女たちの側からはただ白いだけの裏側が見える。 反対から見れば「立ち入り禁止」の赤い文字が読み取れるはずだ。 女はうつむき加減に足元を見ながら階段を登る。 ゆっくり、ゆっくり、はうようなスピードで。 取り巻きたちも同じ速さでそろそろと進んだ。 ときどき手を添えて、足を撃たれた女をかばっているようだ。

半分まで登った頃だろうか。 ふっ、と。 差し込んでいた光がかげった。 女は顔を上げる。 出口の前に誰かが立っていた。 ちょうど逆光になっていて顔は見えない。 だが、わかった。 ポケットに手をつっこんだシルエット。 その正体が誰なのか。

「……」

女は息を飲んだ。 全身に冷たいものが走るのがわかる。キリキリと心臓が鳴った。 シルエットの人物は無言のまま階段の中へと入ってくる。 暗さの中でしだいに顔が鮮明になった。

「……、ハァッ ……!」

思わず震えた息を吐く女。 その影は女たちまでほんの5段の位置まで近づいて足を止めた。 ブローニング・キッド。 そう呼ばれる少年。 今から5時間ほど前、女と火花を散らし合っていた人物だ。

キッドが言った。

「追ってきといてアレだけど、今日はもうやりたくない」

数秒の間があった。

「そうね、こっちも今日は手を引くわ」

女が答える。 声はわずかにかすれた。 ほのかな安堵は奥底に隠す。

二人は無言で見つめ合っていた。 沈黙の目戦はほんの10秒間。 先に目をそらしたのは女の方だ。 黒い瞳が揺れて、ついと横へ流れた。

「何が『ブローニング・キッド』……ボウヤのくせに!」

吐き出すように告げたセリフに力はない。 そんな女に一瞥をくれて、キッドはくるりと後ろを向いた。 そのまま、1段、2段。 数歩だけ階段を登ったキッドは突然、女の方へと振り向いた。

「その服の青、似合わない。赤い服の方がマシだった」

捨てゼリフ。 女が目を見開く。 キッドはさっさと前を向き、駆け足に階段を登っていった。

間もなく、その後ろ姿も出口の向こうに消える。 薄暗い階段の途中で立ち尽くすのは、紅い女。 と、女の身体が小刻みに震えだした。 寒さではない。 恐怖のためでもない。 指が真っ白になるほど握りしめた拳と般若のような形相。 全てが怒りの強さを物語っている。 女は憤りのあまり身を震わせているのだ。

「……ちくしょう!」

ベタなセリフ。 くしゃり、表情が崩れる。 悲しくもないのに涙が出そうな激情の波。唇をかみ、女は呼気を振るわせた。

次の瞬間、激しい動作で首飾りをつかむ。 引きちぎった。 ばらばらになった群青の石がバラバラと辺りに散る。 石の名はラピリラズリ。 深く鮮やかなウルトラマリンブルーは宿敵の色。 女は手の中に残った残骸を思い切り床に叩きつけた。 目の錯覚だろうか。 女の美しい黒髪が波打って見える。まるで、黒い炎のように。

女は深くうつむいた。 階段も地下道と同じくレンガに似せたタイル貼り。 タイルの色はダークレッドだ。 暗い中でもはっきりと闇色を帯びた紅が見てとれる。 視界をいっぱいのダークレッドで埋めながら、女は荒く息をついた。

怒りにゆがむ顔。 醜いはずの崩れたその表情は、なぜか美しかった。



5時間ほど前。

画廊を出たキッドはすぐさま情報屋の圭介に連絡を取った。 女の足取りを追うために協力を求めたのだ。 うれしいことに女を目撃した人間はかなり多かった。 しかもそのうちの2人がなんと、女が逃走のために乗りこんだ車を見ていたのだ。 車種やナンバーがわかってしまえばこっちのもの。 女が駆け込んだ病院も。 病院から乗り換えた新たな車のナンバーも。 そしてその車が向かった先も。 何もかもすぐにわかった。面白いくらいに。

常に正体不明を貫いてきた女とは思えないほどのひどいミスだった。 きっと、よっぽど余裕がなかったのだろう。 もしかしたら、いつもは協力して女の正体を隠してくれていた大物たちの支援を受けられなかったのかもしれない。 あまりに緊急のことだったからか、キッドの件は女の単独行動だったためか、そこまでは想像もつかないが。

キッドが女に追いついたのは、女たちがショッピングセンターに入った直後だった。 このセンターは女とキッドが初めて会った場所でもある。 偶然というより、ここが女のホームグラウンドなのだろう。 そして今。 短い会話を終わらせて、キッドは女の元を去った。 地下からエスカレーターで地上へ。 そのままショッピングセンターを出てタクシー乗り場に向かう。

今度はユキを迎えに行かねばならない。 ついさっきまで危険にさらされていた可愛い恋人。 その身の安全はすでに確認した。 ユキは今、隣の市にいるそうだ。 居所が判明したのはついさっき。このセンターにたどりつく直前のこと。

『今、××駅にいるんだけど〜。 よくわかんないんだけど、知らないお爺ちゃんにつれてこられちゃった。 人違いしたんだって〜。お友だちのお孫さんと間違えたちゃったみたい。』

何食わぬ調子で電話かけたキッドに、ユキはそう言った。 意外とのんきな声にほっとしながらも危機意識の薄さを危うく思う。 同時に、ハコ屋の爺ちゃんグッジョブとも思った。 この分なら危険なお仕事のことを打ち明けなくても済みそうだ。

それにしても、と思い出すのはあの紅い女のこと。

「あンのクソババア!!」

歯を食いしばってキッドがつぶやく。 脳裏に浮かぶのは女の爪。 きれいに整った長い爪をダークレッドが覆っていた。 まるで血まみれの薔薇ブラッディローズ、そんな赤。

正直、ユキの方に行くとは考えてもいなかった。 次からはもっと気をつけよう、と思う。

女との決着はつけられなかった。 始末しようと思えばできた。そうしてやりたかったがあえて我慢したのだ。 仕方がない、そう自分に言い聞かせる。

ついさっきまでは決着をつける気でいた。そのつもりで追ってきたのだ。 けれど、よく考えてみると。 女の命を奪えばさすがに向こうの部下ご一同様が黙っちゃいない。 単純に自分が狙われるならいいのだ。 バトルのお誘いならいくらでも来い。負ける気はしない。 だが、報復としてユキを……なんて事になったら大変だ。

そう判断したのは傷ついた女を守る部下たちの様子を見たからだった。 ずいぶんと大事そうに扱っていた。 あんな「クソババア」でも部下たちからはかなり愛されているらしい。 女を倒せばきっと復讐してくるだろう。 殺りがたいキッドではなくカノジョの方へ……ありえない話ではない。

そう考えると、と思い返す。 あのとき弾丸が当たらなくてよかった。 ドアから出ようとした女をガード越しに狙ったときだ。 あのとき、女が転ばなかったらその命はなかった。 狙いは確実。急所を直撃していたはず。 当然、部下たちの怒りは沸騰していただろう。 もしそうなれば、ユキの身はもっともっと危なくなったはずだ。 あのときは女の強運だと思い、腹が立った。 だが、実際にツイていたのはキッドの方だったということになる。

そう、ラッキーなのだけれど……。 キッドは小さくため息をついた。 残念ながら、このバトルはまだまだ続くだろう。 ゲームクリアでもなく、ゲームオーバーでもないドロー状態。 このままでは終わるまい。女はきっとまた現れるだろう。 多くの手ごまを率いて、たぶん今度はキッドの命を狙う者として。

「……うぁー! ウゼぇ!」

思わず漏らす。 少し声が大きかったのか、脇を歩いていた人が振り返った。

あわてて黙り、ごまかしの気持ちで上を向いた。 空が見える。 まだ夜空というほど真っ暗ではなく、青空というには黒すぎる空が。 ブラックとブルーの中間くらいの色だ。 少し暗いけれど、どこまでも抜けていきそうな透明感を持つ。 遠い宵空はウルトラマリンブルー。 キッドが愛する紺碧の色。

天を仰いで、キッド。 地を見つめて、 紅いひとマドモアゼル・ルージュ。 ゲームは終わらない。 二人ともまだ生きているから。


覚えてろ!


離れた場所で、奇しくも二人は同時に言った。

ダークレッドもウルトラマリンブルーも color of vein、静脈の色。 どうしても交わる道の上で、二人は相容れない。


Fin.

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